UN-02 明照院

更新日:2025年04月02日

明照院

古河公方足利高基の子で関東管領職を継いだ上杉晴直がこの地に隠棲し、足利姓に復したことから「宮原御所」と称しました。当院は晴直菩提の為に創建したと伝わります。天明の大飢饉からの救済を機に開かれた市原郡八十八ヶ所霊場と上総八十八ヶ所霊場の22番札所となっています。明治6年(1873)開校の宮原小学校は当院が供用され、境内には薬師堂、門前には庚申塔や地蔵など多くの石造物が並びます。

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