八幡地区(児童生徒向け)

YW-01 房総往還(ぼうそうおうかん)

旧房総往還の写真

房総往還は、船橋から内房沿いの市原や木更津を通って、館山につながる道です。現在もその多くが道路として使われています。江戸時代、市原市内の房総往還には八幡・五井・姉崎に「継場(つぎば)」というものが置かれました。継場では、物資を輸送する人と馬の継ぎ替えが行われ、参勤交代や旅をする人びとの通行にも利用されました。また、往還沿いの海岸には、海上交通で江戸と房総をつなぐ湊(みなと)が点在していました。湊と湊を結ぶ房総往還は、人とモノの往来に大きな役割を果たしました。

YW-02 無量寺(むりょうじ)

無量寺の写真

奈良時代の7世紀後半に建てられたと言われる浄土宗(じょうどしゅう)の寺院です。前身は「宝樹坊」(ほうじゅぼう)という名称だったという伝承があります。本尊(ほんぞん、寺などの最も大切な仏像などのこと)は、地元漁民が海上で大波を受けた際、海中から出現し救ったとされる阿弥陀如来(あみだにょらい)です。飯香岡八幡宮の前身である市原八幡宮と密接な関係にあり、近世の町場の基礎を築いた、千葉氏の系列である原氏(はらし)の影響があったそうです。境内には千葉(馬加、まくわり)康胤(やすたね)と子の墓とされる五輪塔(ごりんとう、供養塔や墓として使われる塔の一つ)があります。

YW-03 飯香岡八幡宮(いいがおかはちまんぐう)

飯香岡八幡宮拝殿の写真

奈良時代の7世紀後半に建てられた一国総社八幡宮(いっこくそうじゃはちまんぐう…上総国の代表的な神社)と伝えられます。中世(ちゅうせい、鎌倉時代から室町時代の呼び方)の史料にある市原八幡宮は飯香岡八幡宮(いいがおかはちまんぐう)の前身ともいわれ、鎌倉、室町両幕府に篤く(あつく)保護されました。江戸時代以降は、安産子育てを願う民衆にも広く信仰(しんこう)されました。八幡宮には、室町時代に造られた国の重要文化財に指定されている本殿(ほんでん)があります。他にも、足利義満が奉納(ほうのう、神社などに物品をおくること)したとされる室町時代前半の神與(みこし)、境内の夫婦銀杏(めおといちょう)等、多くの文化財があります。

YW-04 八幡港跡(やわたみなとあと)

八幡港の古写真

江戸時代以降、江戸(東京)との海運拠点として五大力船(ごだいりきせん、江戸時代の船の一つで川と海の両方を航行できる)等多くの船が泊まり、上総国内からの年貢米や九十九里浜の海産物等が集まる港でした。周辺は、五大力船の持ち主や商人の家、料亭等が建ち並びにぎわっていました。港は戦後に埋め立てられましたが、縦T宇型となっていました。付近には水神様として大海住(おおわたつみ、日本神話にある海の神様)が祀(まつ)られています。

YW-05 若宮八幡神社(わかみやはちまんじんじゃ)

五所若宮八幡神社の写真

創立年代はわかりませんが、海中に光るものを地元民がすくい上げて祀(まつ)ったことに始まると伝えられます。地元では元宮様(もとみやさま)と呼ばれ、一説に飯香岡八幡宮の元の神社だったとの伝承があります。境内には『神名帳考証土代』(じんみょうちょうこうしょうどだい、1813年に書かれた古くからの神社について考証した書物)の一節を刻んだ由来碑(ゆらいひ)があります。祭神は仁徳天皇(にんとくてんのう)です。現在の神社の扉の左右にある彫刻は、飯香岡八幡宮のお祭りで使われた山車(だし)についていたものです。

YW-06 御墓堂墓地五輪塔(みはかどうぼちごりんとう)

御墓堂墓地五輪塔の写真

室町時代に造られた供養塔(くようとう)で、小弓公方(おゆみくぼう、関東の足利家)足利義明(あしかがよしあき)と妻の墓とも言われています。義明は、古河公方(こがくぼう、室町時代後期から戦国時代にかけても下総古賀を中心とした足利家)足利政氏(まさうじ)の次男で、真里谷武田(まりやつたけだ)氏に招かれ八幡、そして小弓城に入りました。天文7年(1538)の国府台合戦(こうのだいかっせん、北条氏との合戦)で北条氏に敗れて没し、現在の八幡宿駅周辺にあった霊応寺(廃寺、はいじ…すでになくなった寺)に妻とともに仮に埋葬(まいそう)されたといわれています。霊応寺付近にあった五輪塔は区画整理に伴い今の場所に移されました。

YW-07 村田川渡船跡(むらたがわとせんじょうあと)

村田川渡船場跡の写真

河口付近が上総と下総の境を流れ「境川」と呼ばれていた村田川は、かつて現在の村田川公園内を流れていました。そこには渡船場(とせんば、渡し船が発着するところ)が設けられ、明治7年に橋ができるまで、人びとは渡し船で対岸へ渡っていました。水戸黄門(こうもん、江戸時代の副将軍の呼び名)として知られる徳川光圀(とくがわみつくに)がこの地を通過した際には、船を並べてつないだ上に板を渡した船橋をかけて川を渡り、飯香岡八幡宮や姉崎の妙経寺(みょうきょうじ)を訪れました。