宮原立太郎

X線医学の先駆者

宮原立太郎は、明治11年(1878)、市原郡惣社(現在の市原市惣社)にて生まれました。明治30年千葉県尋常中学校を卒業後、その4月に第一高等学校医学部に入学しました。34年に千葉医学専門学校第一回卒業生として卒業後、上京して外神田に医院を開業する傍ら、明治35年には東京帝国大学医科大学の三浦内科で内科を専攻します。

明治38年(1905)、横浜港からアメリカに向けて旅立ち、ニューヨーク大学に入学し、生涯の友となる細菌学者の野口英世と知り合います。

帰国後、東京の芝愛宕町に帝国胃腸医院(後に宮原医院と改称)を開業、当時の日本では未だ珍しいX線機械をドイツから輸入しました。これは画期的なことで、立太郎は医療近代化の先覚者の地位を確立し、その業績を医学雑誌への発表や、講演を行い、X線の普及・発展に貢献しました。

晩年は、虚弱児童養護協会を創設し、社会事業に尽力しました。治療のさなかで、X線機器の影響で右中指にX線癌を発症し、指や腕の切断を余儀なくされ、昭和11年(1936)、58歳にて逝去しました。

参考文献:『市原人物譚』大室晃(海潮社、1983)

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