編組(飛びござ目)圧痕土器
編組(飛びござ目)圧痕土器(へんそ(とびござめ)あっこんどき)



出土地
西広貝塚(さいひろ)
遺跡所在地
西広(さいひろ)
遺構
竪穴住居跡
時代
縄文時代後期
解説
西広貝塚は、養老川中下流域を南に望む、通称、国分寺台と呼ばれる標高40メートル程度の台地斜面部に位置し、縄文時代後期〜晩期を中心に、大規模な貝塚が所在していた遺跡です。大量な出土土器、土偶などの祭祀(お祭り)の遺物、貝塚より出土した貝輪(貝のブレスレット)などの装飾品といった多様な出土品の中に、土器を成形するときの敷物として使っていた「ござ目」や「網代」などの編組製品の痕跡が、底部に残された土器がたくさん含まれていました。
その中で多く残っていたものが、この「飛びござ目」の圧痕の付いた土器でした(写真上)。「飛びござ目」とは、経材たてざいを越える緯材よこざいを、一方向に向かって送る(ずらす)ことによって、右上がり(または左上がり)の模様が表出する組み目のことで、「ざる」「かご」などでは、底部の「網代あじろ」組みと、側面の「ござ目」組みとをつなぐ、底部外周に組まれる編組技法へんそぎほうです。真上から見ると、「飛びござ目」部分は、緯材が、渦を巻いているように見え、装飾的効果も狙った組み方と言うことができます(写真下)。
本遺跡から出土する「飛びござ目」圧痕土器は、「右上がり」の組み目で、遺跡から出土する「飛びござ目」の多くが、この組み目です。西広貝塚ムラの人々は、上記の組み方以外にも、多様な組み方で作った編組製品を使っていたようで、このような編組製品を、たくさん日常生活に利用していたと考えられる西広貝塚ムラの生活文化の高さに驚かされます。また、他の遺跡からも、編組圧痕土器が多く出土しており、全国的に見ても、本市は、編組圧痕土器の宝庫と言えるでしょう。
安井健一・鶴岡英一他 2005年 『市原市西広貝塚II』 財団法人市原市文化財センター調査報告書 第93集
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更新日:2022年04月18日