パネル展示「下野寺谷古墳群速報展」開催の記録

更新日:2022年04月18日

市庁舎1階ロビー展示 タイムトリップいちはら 第2回 下野寺谷古墳群速報展

 平成23年2月7日(月曜日)から3月18日(金曜日)にかけて、市庁舎1階ロビーにて、タイムトリップいちはら 第2回「下野寺谷古墳群速報展」を開催しました。
 展示の内容をアップしましたので、ぜひご覧ください。

下野寺谷古墳群速報展について

 市原市では、平成20年度から下野寺谷古墳群の発掘調査を行ってきました。
 平成22年9月18日に遺跡見学会を開催したところ、好評でしたので、調査の終了にあたり、成果の一部を速報というかたちで再度展示したものです。

赤い夕焼けの背景の前に、資料が貼られたパネルや塔の模型、休憩用ベンチなどがあり、3名が資料を閲覧したりしているのが写っている写真

展示風景

村田川水系の古墳群

山や田畑や住宅が写っている航空写真に、駅や学校、遺跡などの位置を吹き出しと文字で表している画像

村田川水系の遺跡

黒い魚がいる水の上を、5人の人がいかだに乗って進んでいるイラスト画像

 村田川は上総・下総国境の川で、両岸には古くから、重要遺跡が分布しています。
 左岸には寺谷古墳群のほか、潤井戸杉山古墳、下総型埴輪が出土した小谷1号墳などの前方後円墳が知られています。

 これに対し右岸には、豊富な副葬品で有名な草刈1号墳をはじめ、円墳を中心とした草刈古墳群が展開します。

寺谷古墳群

山の中のひらけた部分を上から写している写真で、所々に遺跡名や2号墳などの名称が吹き出しと文字で表されている画像

寺谷古墳群2号から4号墳の写真。調査にあたり、現在の表土層を除去した状況。

 6世紀末から7世紀前葉にかけて造られた古墳群で、本泰寺境内の寺谷1号墳(前方後円墳)を盟主墓とします。

 今回調査したのは2・3・4号墳で、1号墳の西側にならぶように造られています。
 すべて円墳と考えられてきましたが、調査の結果、2号墳は前方部が短く張り出す帆立貝式の前方後円墳であることがわかりました。

寺谷2・3・4号墳の地図の画像

寺谷2・3・4号墳

青い空の下の草原に、剣を持った男性と目を閉じてひざまづいている男性と柄の長い扇のようなものを持って目を閉じている女性の3人が描かれたイラスト画像

寺谷2号墳

木々に囲まれた中にあるひらけた所で、日除けパラソルが何本か立てられてその周りでたくさんの人が作業をしている写真

寺谷2号墳調査風景

帽子をかぶり日除け対策をしている人が2人、メジャーで何かを測っていたりボードに何か書いたりしているイラスト画像

 帆立貝式の前方後円墳で、全長28メートル前後、後円部径22.5メートル、後円部高さ2.3メートルほどあります。

 出土した須恵器の年代は6世紀末葉から7世紀初頭と、7世紀前葉後半に分かれるため、それぞれの時期の埋葬施設が2基存在する可能性があります。

 また、周溝の中にも複数の埋葬施設を発見しています。

ひらけた場所の真ん中に人が1人横になれるほどの穴が空いている写真

周溝内埋葬

小刀を腰につけた男性が右手を開いて突き出しているイラスト画像

 古墳はふつう、溝で囲まれており、これを「周溝」と呼んでいます。

 古墳の主は墳丘の上に埋葬されるのがふつうですが、周溝の中に埋葬された人々もいました。

 古墳の主と深い関係をもった人だったのでしょうか。

 寺谷2号墳の周溝内からも、埋葬の跡が見つかりました。

寺谷3号墳

木々がある隣の土が盛り上がった所で、十数人が掘り起こしたりして調査している様子が写った写真

寺谷3号墳の調査風景

刀を手に持ち、ムッと怒った顔をしている人のイラスト画像

 直径23.7メートル、高さ3.5メートルの円墳で、3基のうち最も高さがあります。

 墳頂からは、木棺を納めた埋葬施設を新旧3基発見しました。
 それぞれ直刀が1点づつ検出されています。

 発見した須恵器の年代から、6世紀末葉に造られた古墳と考えられます。

土の中に刀のような形がモコっと浮かび上がっている写真

大刀出土状況

寺谷4号墳

奥に密林があり、手前に土の地面が広がっている写真

寺谷4号墳の現表土を除去した状況

奥に密林があり、手前の盛り上がったところが断面がわかるように削られている写真

寺谷4号墳の断面

 直径21.2メートル、高さ1.7メートルの円墳で、約半分を対象に調査しています。
 埋葬施設は、今回の調査では残念ながら発見できませんでした。おそらく調査区域の外側にあるのでしょう。
 この古墳は、最も台地の奥に立地することや、出土した須恵器杯から、3号墳よりも少し新しい時期に造られたと考えられます。

遺物の展示について

ガラスで囲まれた展示ケースの中に出土品が展示されている写真

遺物展示風景

 ここでは下野寺谷古墳(2号墳・3号墳)からの出土品を展示しています。
 これらの出土品は人を埋葬した施設に副葬されたもので、生前の被葬者に関係が深いものであると考えられます。
 考古学では副葬品の種類や量から、埋葬者の社会的な地位(階層制)や、地域間の交流範囲(生産・流通)、軍事組織などを復元する研究が行われています。

 しいて言えば、遺物の様相から浮かぶ寺谷古墳群の埋葬者像は、兵士クラスといったところでしょうか。
 今後の検証が待たれます。

土色で刀の形をしている出土品を写している写真
  • 鍔付大刀
     この大刀の鍔には飾りの穴がありませんので、無窓鍔と呼ばれ、鍔付大刀では最も出土数が多いものです。
     房総半島の、特に村田川流域に分布が集中することから、近年の研究では、生産・配布の拠点がこの地域にあった可能性も指摘されています。
画面の上の方に刀のような形をした出土品が横向き大小2本にあり、その下に縦に小さな棒状のものが15本並んでいる写真
  • 刀子(上写真の上列)
     現在のナイフです。
     武器ではありませんが、副葬品としても良くみられる道具のひとつです。
     寺谷古墳群では1つの埋葬施設には複数本の出土例はありません。
  • 鉄鏃(上写真の下列)
     鉄製のやじりで、武器として使われました。
     展示した鉄鏃は錆びた鉄の塊に見えますが、塊であることから、当時1セットを何本としていたか、また同時期にどのような形状が存在したかが判る良好な資料となります。
     この埋葬施設からは2束19本の鉄鏃が見つかっています。
様々な種類の出土品がいくつも並んでいる写真
  • 土師器
     伝統的な素焼きで褐色の器です。
     地元で作られたもので、この器類の形状から時期を推定します。
     須恵器も含め、いわば時代を計るものさしのような存在です。
  • 須恵器
     窯(かま)で焼かれた硬質で灰色の器です。
     西日本から搬入されたとみられます。
     製作技術は古墳時代に朝鮮半島から伝えられました。

市役所付近の遺跡・施設案内

市役所周辺の遺跡・展示施設案内図の画像

市役所周辺の遺跡・展示施設案内図

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