門前貝塚

更新日:2022年04月18日

縄文時代中期〜後期

門前貝塚 もんぜん

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明治時代の 門前貝塚の様子(松村瞭氏撮影:人類学雑誌第27巻第4号より)

 明治43年(1910年)、市原村大字郡本字門前で、貝塚の発掘がおこなわれます。のちに門前貝塚として知られる遺跡です。しかし発掘と言っても、辺りに貝殻があまりに多くて樹木の発育が妨げられるため、土地の所有者がその年の春から夏にかけて人夫を雇って大規模に貝殻を除去しようとしたものでした。発掘した貝殻は、肥料や貝灰の原料、そして道路の普請用などのため、売られたり運ばれたりしたそうです。
 この発掘の最中に、石のペンダント、石斧・石皿、鹿角製釣針などが見つかったため、当時の新聞に掲載されました。そして早速、東京帝国大学人類学教室から研究者が現地へ赴き、石器時代の貝塚であること、貝層の厚さは3メートルを優に超え見事なものだとし、写真付きで報告しています。掲載された写真を見ると、山林斜面に堆積した貝層の一部が掘り崩されて山になっている様子がうかがえます。また、断面写真からは、土の混入の少ないハマグリとイボキサゴ主体のぶ厚い貝層であることが見てとれます。またその後の記事によれば、貝輪や凹石に転用された石棒なども出土しているが、土器の量が極めて稀だという点が注意されています。一般に大規模貝塚の発掘調査では、純貝層中には遺物が伴うことが少ないので、この時の発掘ではたまたま遺物量の少ない地点だったのかもしれません。
 その後市街化が進み、門前貝塚はついに本格的な調査を待たずして、現在ではその位置すらほとんど確認できなくなりました。現地を訪れても、宅地造成のため地盤が大きく削られてしまっていて、貝塚があった当時の面影はほとんどありません。ただ、造成された斜面などに細かい貝殻が散っているところを見ることはできます。写真に残されているように、非常に厚い堆積をもった大規模な貝塚だったようですから、まだどこかの地中にその一部が埋まっているかもしれません。

引用参考文献

無記名1911年「上総郡市原村発見の石器時代遺物」『人類学雑誌』第26巻第298号
柴田常恵1911年「上総国市原郡市原村貝塚」『人類学雑誌』第27巻第4号

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