報恩寺古墳群

更新日:2022年04月18日

古墳時代後期

報恩寺古墳群 ほうおんじ

報恩寺3号墳調査風景の写真

報恩寺3号墳調査風景

 養老川中流域左岸を東に望む標高65メートル前後の台地上に位置します。台地は、本市栢橋(かやはし)付近より端を発し、養老川中流域に流れ込む戸田川によって南北に樹枝状に開析されており、吉野1号墳が存在する西国吉の台地とは、東西に分断されています。
 遺跡は、養老川へと広がる氾濫平野の開口部にあたります。戸田川によって開析された小支谷南側を中心に展開している報恩寺古墳群は、径10〜20メートルの円墳を中心に、現在25基程の古墳が確認されています。その中にあって、墳丘長70メートル前後と推定される前方後円墳である報恩寺3号墳は、中心的な古墳であったと考えられ、その前方部に隣接する部分を調査し、周溝の一部を確認しました。

報恩寺3号墳周溝の写真

報恩寺3号墳周溝の検出状況

 調査面積が狭小なトレンチ調査であったため、古墳の全容をつかむことはできませんでしたが、幅8〜9メートル、深さ1メートル程度の周溝が周囲を取り囲んでいると推定されました。出土遺物は僅少で、帰属時期の断定は困難ですが、墳丘測量の結果、発達した前方部と推定されることから、後期の築造である可能性が考えられます。古墳時代後期になると、多彩な副葬品を持つ江子田金環塚古墳が養老川中流域に出現するように、菊間国造や上海上国造の他に、在地の中小首長が勢力を持ち、古墳群を築造するようになると考えられています。

「4 南岩崎仲山遺跡」『平成19年度 市原市内遺跡発掘調査報告』市原市教育委員会  2008
『上総 江子田金環塚古墳発掘調査報告書』上総江子田金環塚古墳発掘整理調査団編 市原市教育委員会 1985

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