真ヶ谷城跡

更新日:2022年04月18日

戦国時代

真ヶ谷城跡 しんがやじょうあと

 牛久から茂原に向かう街道を見下ろす要地です。細長い丘陵を占地した大規模城郭で、三段に大別できる郭を整地し、尾根筋を掘り切って防備を固めています。麓は「宿」という字名なので、城下町も街道筋に展開したものと考えられます。
 きわめて残りの良い城ですが、その沿革は知られていません。真里谷武田氏の影響下による築城で、第二次国府台合戦のころ里見氏によって改築されたと見る説(池田1996年)や、永正末から天文頃の在地有力勢力が籠もった城と捉え、具体的には仏像銘文に見える長崎氏の可能性に触れる説(小高1998年)、里見方に対する境目城として、城域の拡大と改築を長南武田氏が行ったと推測する説(柴田2002年)などがあります。

『日本城郭大系』6 平井 聖他 新人物往来社 1980年
『千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書II─旧上総・安房国地域─』 千葉県教育委員会 1996年
『市原の城』 小高春雄 1999年『千葉県の歴史 資料編 中世1』 1998年 財団法人千葉県史料研究財団編
『図説 房総の城郭』 千葉城郭研究会編 2002年

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