平蔵城跡

更新日:2022年04月18日

戦国時代

平蔵城跡 へいぞうじょうあと

主郭や国道297号と書かれ、平蔵川や北の方位と0から200メートルの縮尺が描かれた平蔵城のイラスト地図

『市原市史』中巻 掲載図に着色

 牛久から大多喜に向かう国道297号線沿いにあります。梯郭形の非常に堅固な山城ですが、その沿革はよくわかりません。文献史料から、上杉禅秀の乱後、上総本一揆が籠もった城として「平三城」が知られていますが、平蔵城とは別の地点と考えられています(小高1992)。
 さて、平蔵城の谷向かいには明応4年(1495)造立として国指定重要文化財に指定された西願寺阿弥陀堂があり、平蔵城主の土橋平蔵平将経が城の鬼門守護のため建立したと伝えられています(市史)。伝承に見るような在地勢力は駆逐されたようですが、その当事者に天文期の大多喜正木氏を当てる考えがあります。この説では両勢力の交替時を城郭整備の画期とし、在地勢力の居城から大多喜防衛の境目城へ変化した可能性を指摘するものです(小高2002)。

『日本城郭大系』6 平井 聖他 新人物往来社 1980年
『市原市史』中巻 市原市教育委員会 1986年
『千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書II─旧上総・安房国地域─』 千葉県教育委員会 1996年
『千葉城郭研究』第2号 千葉城郭研究会編 1992年
『市原の城』 小高春雄 1999年『千葉県の歴史 資料編 中世1』 1998年 財団法人千葉県史料研究財団編
『図説 房総の城郭』 千葉城郭研究会編 2002年

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