有木城跡
戦国時代末期
有木城跡 ありきじょうあと

養老川中・下流域の沖積平野に接する台地の上にあり、椎津方面と連絡を取りつつ、牛久に向かう交通の要所を押さえられる要地といえます。
この城は戦国末期の文献史料に登場する「有木城」に比定されています。天正5年(1577年)ヵ「里見義弘書状」『吉川文書』では、前年に北条勢力が上総に侵入、有木城を築いて配下の椎津氏を置き、下総・相模の兵を入れ守備している状況が記され、里見勢としてはこれを攻略する必要があり、上杉謙信の関東出陣を懇願しています。このことから、戦国大名北条氏・里見氏間の境界城として、北条勢によって急造された軍事要塞であったことがわかります。
現在は住宅化が進み、当時の景観を偲ぶべくもありませんが、八幡宮周辺に、わずかながら古城の面影を遺しています。
『日本城郭大系』6 平井 聖他 新人物往来社 1980年
『市原市史』中巻 市原市教育委員会 1986年
『市原の城』 小高春雄 1999年
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更新日:2022年04月18日