海保野口遺跡(縄文)

更新日:2022年04月18日

縄文時代早期・中期

海保野口遺跡 かいほのぐち

掘り起こしたtうちの上に腰掛ける男性と土を掘る女性とかごを持つ女性のイラスト

 海保野口遺跡は財団法人千葉県文化財センターが1988年から翌年にかけて発掘調査を行い、縄文時代早期と中期の遺構を発見しています。
 今から7000年前、縄文時代早期の遺構は、礫(れき)群と炉穴遺構(ろあないこう)166基があります。縄文土器の条痕文系と呼ばれる子母口(しぼぐち)、野島(のじま)、鵜ヶ島台(うがしまだい)式土器が出土する環状の炉穴群が、大量の焼け礫と共に調査されました。発掘調査報告書では、海進による海面上昇のため、侵食台地崖から大量流失した礫群が見つかったのではないか、と類推しています。環状配置の炉穴は、市原市山田橋大山台遺跡に同時期の検出事例があり、注目されます。縄文海進は当時の地球温暖化の影響であり、旧石器時代から縄文時代を開始するきっかけをつくる原因でもありました。
 縄文時代中期後半は竪穴住居跡が16軒発見され、4000年前の海保野口遺跡が集落だったことがわかりました。発見された建物群は、集落の東半分と考えられ、加曾利(かそり)E式後半の土器が出土しています。打製石斧や石鏃(せきぞく)は再生加工が多く、リサイクルされ長く使用されています。貯蔵穴、土坑も50基以上見つかり、小規模ながら貝塚も形成されています。この時期の海面は低下しており、ほぼ現在と同じレベルと考えられ、市原の海にも干潟が形成され始めます。姉崎台地の縄文時代の集落調査は少なく、貴重な資料となりました。

『東関東自動車道(千葉・富津線)埋蔵文化財調査報告書1』 財団法人千葉県文化財センター 1998

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