022銅印「刑房私印」

更新日:2022年04月18日

遺跡所在地

犬成

時代

平安時代

発見された古代の銅印

 市原市は多くの遺跡が所在し、貴重な文化財が数多く出土することで全国的によく知られています。
 そのほとんどは発掘調査によって出土したものですが、発掘調査によらず、偶然発見されることもあります。
 今回は、そのようにして発見された古代の銅印を紹介します。
 2001年4月6日、市内犬成(いぬなり)地区に住まわれる方から、自宅前の畑(冬込野(ふゆごめの)遺跡の近隣)で採取した遺物について、当センターに問い合わせがありました。
 現物を精査したところ、大きさや形状などから古代の印の可能性があることが分かりました。
 より詳細な分析をするため、同年4月18日および2002年11月27日に、国立歴史民俗博物館の平川南副館長、永嶋正春教授に鑑定を依頼しました。
その結果、平安時代の銅印であることが判明しました。

刑房私印の実測図の画像

刑房私印の実測図

 印の大きさは上の図のとおりです。
 また、気温20.9度Cで重量50.4251グラム、体積7.246立方センチメートル、密度6.96グラム/立方センチメートルという数値が得られています。
 鈕は、「莟鈕」(がんちゅう)といわれる形状で、中央部に孔が穿たれています。
 印面の断面が台形になっているのも特徴のひとつです。

青緑色の錆のついた持ち手のある印の外形の写真

印の外形

印文は「刑房私印(けいぼうしいん)」と判読できます。
 いわゆる四文字私印といわれるもので、印を所有する豪族の氏(うじ)名の一文字と、名前の一文字をとって印文を構成します。
 この印の場合、「刑部房○」という人物の私印という意味になります。

印面が見える緑青のついた印の外形の写真

印の外形2

 印文は全体に彫りが深く、字は細めです。
 X線で透過したところ、内部に小さな隙(鬆・ス)が入り込んでいることがわかりました。
 これらの所見は、古代の銅印の特徴と一致します。
 なお、印面には微量ながら赤褐色の付着物が認められました。
 一部欠損が見られますが、原状をよくとどめており、遺存状況も良好であるとのことでした。
 蛍光X線測定装置による構成成分の分析を行ったところ、銅(Cu)、鉛(Pb)、錫(Sn)、ヒ素(As)が抽出され、これまで知られている古代印の特徴と合致しました。
 肉眼で観察された赤褐色の付着物は、確定はできませんでしたが朱である可能性が強いことが指摘されました。
 当時朱印の使用は「天皇御璽」に限られ、国司が使う「国印」にはベンガラを使用したことが分かっていますが、私印に朱が使用されていた可能性を示す発見といえます。

刑房私印の印面の写真

印面

 国内で存在が確認されている古代印は、出土品や伝世品、鋳型や土器に押捺されたものなどを含め、1999年2月現在で243点を数えます(『国立歴史民俗博物館研究報告79 日本古代印の基礎的研究』1999)。
 千葉県内では10点(鋳型4点を含む)が確認されており、銅印に限れば「山邊郡印」「匝永私印」「王酒私印」「王泉私印」に次いで5例目です。
 市原市内では初の出土となります。
 四文字私印に限ってみた場合、2000年1月現在全国で33点の存在が確認されており、そのうち銅印は21点です。
 それらの製作時期は、9世紀代が最も多いようです。
 印が発見された遺跡はこれまで調査が行われていないため、時代や性格は不明です。
 しかし、印文に見える刑(部)が、奈良時代の市原郡にもいたことは万葉集防人歌によっても分かりますし、出土地が長柄郡刑部郷に近接しているのも、偶然ではないかもしれません。
 偶然発見された小さな銅印が、市原の古代史に新たな光を当てる貴重な資料であることは間違いありません。当資料は発見された方の御好意により、2003年3月13日に埋蔵文化財調査センターに寄贈され、2010年6月25日付けで、市の文化財に指定されました。
 今後さらに分析、研究を進めて、ふるさとの歴史を解明するために役立てたいと考えています。

参考文献

このコラムは、下記文献を引用しました(一部加筆しています)。
市原市埋蔵文化財調査センター2004 「刑房私印」『市原市埋蔵文化財調査センター報 埋文いちはら14』 所収

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