027上高根貝塚出土のクジラ骨

更新日:2022年04月18日

忍澤成視

遺跡所在地

上高根

時代

縄文時代後期前葉から中葉

 以前研究ノートに「クジラと縄文人」というものを書きました。
 この際、市内上高根貝塚付近から採集されたクジラの脊椎骨を石皿のように加工した製品を紹介しました。
 この資料は、1958年(昭和33年)5月に当時の千葉県教育庁文化財係に、千葉県市原郡南総町在住のかたによって、同町高根別所に所在する貝塚から出土したものとして持ち込まれたものです。
 そして、同年9月、この資料は実測図とともに鯨骨加工品の一資料として、伊藤和夫氏によって紹介されました。
 氏は、この資料紹介の最後に触れていますが、「高根別所の貝塚は、未だ踏査する機会に恵まれぬが、伝聞するところに依れば、縄文後期のものであるという」と、遺跡の位置や内容については、この時点ではあまり明確ではありませんでした。
 その後、1961年(昭和36年)8月、上高根字塚越に所在する貝塚が「上高根貝塚」として藤原文夫氏を会長とする南総郷土文化研究会によって発掘調査されます。
 この成果は、同年11月、南総郷土文化研究会会報の第一号に報告されています。
調査の結果、上高根貝塚はA・B・Cの3地点からなり、貝層の厚さが2メートルにも達する良好な貝塚であることがわかりました。
 貝層は、下層が縄文後期前葉の堀之内式が、上層が後期中葉の加曽利B式のもので、中からはこれらの時期の多量の土器・石器、27種類の貝類のほか、7種類の魚類骨や12種類の鳥・獣類骨がみつかっています。

 これらの中で一際目をひいたものが、貝層の下の方からみつかった大きなクジラの骨でした。

 上高根貝塚は、市原市内では最も南に位置する市内最奥部の貝塚として知られています。
 海から遠い場所にある貝塚から、海との強い関わりを示すこれらの遺物が見つかっていることは驚きです。
 その後、これらの資料は、一部が南総公民館の郷土室、そしてその他のものが、当時発掘調査に参加された県立千葉高校教諭の武田宗久氏によって同校の資料室に保管されていましたが、この度、千葉高校保管資料が一括して市原市教育委員会に寄贈されました。

 写真は、寄贈資料中に含まれていたクジラの脊椎骨です。
 南総郷土文化研究会の報告には、図・写真はもちろん、この骨の詳細な記録はありませんでしたので、今回の寄贈によって初めて資料の実態が判明しました。
「長軸・短軸はともに34センチメートルほど、高さは22センチメートルほどある。上方と左右にのびる棘部は失われている。骨の間接面にあたる上下部分には、明瞭な使用痕はないが、下面側が上面側よりやや窪んでおり、あるいは使用の結果によるものかもしれない。」
 この資料を観察して気づくのは、これが1958年に資料紹介された石皿状の製品と遜色ないサイズの骨であることです。
 想像力をはたらかせると、これらの骨は同一のクジラであった可能性もあります。
そもそも最初に採集地とされた「別所」には貝塚の存在は知られていませんので、同じ遺跡のものだったかもしれないのです。
 いずれにしても、骨の部位や特徴を今後さらに調べたうえで判断したいと思っています。

 海から遠く離れた貝塚遺跡から、ポツンとみつかった大きなクジラの骨。
 東京湾の奥部に迷い込んだクジラの運命、そしてクジラの巨体を目にした市原の縄文の人たちの驚きや歓喜の様子を、この遺物は私たちの目の前に示してくれているようです。

 上高根貝塚のクジラ脊椎骨、そして市内出土のクジラ骨とその加工品は、福岡市博物館平成23年度特別企画展「日本とクジラ」に出品予定です。

上高根貝塚から出土したクジラ骨

上高根貝塚から出土したクジラ骨

参考文献

伊藤和夫 1958年 「鯨骨加工品の一資料について」 『貝塚』 80
南総郷土文化研究会 1961年 「上高根貝塚」 『南総郷土文化研究会会報』 第一号
忍澤成視 2002年「南総地区の縄文時代」 『市原市南総地区の遺跡と文化財』 市原市歴史と文化財シリーズ 第七輯

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