008南岩崎遺跡の壺形土器

更新日:2022年04月18日

大村 直

青い背景に、下部が丸く上にいくにつれて狭くなっている茶色の壺形の土器の写真

南岩崎遺跡から出土した壺形土器

 これは南岩崎遺跡から出土した大型の壺(つぼ)で、高さは74.1センチメートルあります。弥生時代中期後半の宮ノ台(みやのだい)式土器とよばれている段階のものです。その中でも比較的新しい時期、西暦1世紀前半頃のものと考えています。
 細長い口が特徴のフォルムに、縄文帯と2本線で刻んだ格子(こうし)状の線画、その下部には、結紐文(けっちゅうもん)と呼ばれる「ハ」字状の縄文帯が描かれています。文様がないところはベンガラ(酸化鉄)が塗られ焼かれたため、赤く発色しています。赤彩土器は、弥生時代後期に発達しますが、この土器のように、中期末ごろから目立つようになります。

2本線で刻んだ格子状の線と、その下部には、結紐文の縄文帯が描かれた茶色の土器の拡大された写真

壺の肩部 格子状の沈線と結紐文が特徴的。

 一般に、弥生土器の壺形土器は、「貯蔵用」の土器と言われていますが、こうした大型で細首の土器が実際どのように使われたのか、はっきりしません。首の内径は6.4センチメートルであり、大人の握り拳がようやく入る程度で、何かをつかんだまま手を抜くことはできません。土器本体の重量が約11キログラム、土器の容量は16.2リットルあり、これに液体を入れ、はたして傾けることができたかどうか。強度は大丈夫か。けっして実用的とは言いがたい土器です。この土器は、方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)とよばれる、周囲を溝で区画した墓の溝内から横転した状況で出土しました。しかし、この時期は、墓から出土するような祭り用の土器と、住居から出土するような日常使用の土器が明確に区分されていたわけではありません。

上下2枚の写真に分かれており、上1枚目は奥から居住域、環濠と思われる溝、方形周溝墓、下は、方形周溝墓の中に割れてバラバラになった茶色の土器の拡大写真の写真

壺形土器の出土状況

 方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)出土土器には、墓に供えられたものと、胎乳児の埋葬用の土器棺として使用された例があります。この土器の場合、遺体埋葬用にどこかが割られていたり、打ち割った場所を他の土器などでふさいだような状況は認められませんでした。また、内部から人骨も発見されませんでした。ただし、横転した土器の上部は、発掘時にはすでに破損していたため、墓におかれた当時の状況を正確に復元することはできませんでした。

『南岩崎遺跡』 市原市埋蔵文化財調査センター 2006年
『発掘いちはらの遺跡』創刊号 市原市埋蔵文化財調査センター 2007年

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