033西広貝塚の縄文晩期の貝層標本資料

更新日:2022年04月18日

33 西広貝塚の縄文晩期の貝層標本資料 −残された貝層ブロックは、重量140キログラム以上の塊−

近藤 敏

遺跡所在地

西広

時代

縄文時代

 現在の市原市西広6丁目14にある西廣神社北東側一帯にありました西広(さいひろ)貝塚遺跡は、昭和50年代後半から62年にかけて大規模に発掘調査が行われ、ほとんどが調査後に区画整理事業により湮滅しています。その後、遺跡の整理報告事業が開始され、10年に及ぶ整理作業が終了し、平成19年に調査報告書である遺跡のレポートが刊行されています。

 下表は今までに報告された西広貝塚に関する主な報告書や書籍で、このうち、2〜4は当センターホ−ムページの図書室から、PDFで内容を閲覧することができます。

西広貝塚に関する主な報告書や書籍

1

米田耕之助ほか 1977年 『市原市西広貝塚』 市原市教育委員会

2

安井健一ほか 2005年 『市原市西広貝塚II』 市原市教育委員会
3 鶴岡英一・忍澤成視ほか 2007年 『市原市西広貝塚III』 市原市教育委員会
4 市原市埋蔵文化財調査センター編 2008年 『発掘いちはらの遺跡 市原の大貝塚』2号 市原市教育委員会
5 忍澤成視 2011年 『房総の縄文大貝塚 西広貝塚』  シリーズ「遺跡を学ぶ」 新泉社

 

西広貝塚に印がついた周辺の航空写真

西広貝塚周辺の航空写真
(平成21年撮影・旧地形は神社のみ残る)

 上の写真の薄茶色の範囲が西広貝塚の貝層分布範囲となっていました。

赤印とオレンジ印で示された、現在は貝層はほぼ湮滅した西広貝塚周辺地形図と貝層分布範囲の地形図

西広貝塚周辺地形図と貝層分布範囲
(現在は貝層はほぼ湮滅)

 昭和57年度(1982〜83年)には、上図オレンジ色部分の西側斜面部が調査され、厚さ2メートルにもおよぶ縄文時代後期を中心とする貝層が見つかっています。また、赤色線内からは縄文時代晩期中頃の前浦式土器を含む貝層が見つかり、厚さ50センチメートルほどと小規模なものでしたが、大型のハマグリが多く含まれるという特徴が確認され、貝層上面に堆積した遺物包含層からは、おびただしい量の獣骨が出土しました。
 縄文時代晩期の貝層が見つかる事例は、東京湾岸地域では非常に稀で貴重なことから、その貝層の一部を保存するために、50センチメートル四方・高さ70センチメートルの範囲を、ひとかたまり丸ごと薬剤で固定し、木枠にいれて運び出しました。

写真中央に柱状木枠が写った発掘調査中に梱包された晩期貝層サンプルの状況のモノクロ写真

発掘調査中に梱包された晩期貝層の状況
(1983年1月頃・写真中央の柱状木枠)

晩期前浦式期の貝層の範囲と柱状ブロック資料のサンプル採取位置の地図

晩期前浦式期の貝層の範囲と柱状ブロック資料の採取位置
(赤印部分・樋泉1983年に加筆)

手前側に人が多く、縄文晩期前浦式期貝層の調査風景写真

縄文晩期前浦式期貝層の調査風景
(1982年夏頃・写真手前側の人が多い部分)

大型メジャーがあてがわれた木枠を取り外した状態の貝層サンプルブロックの写真

木枠を取り外した状態の貝層ブロック

工場のような通路の間で、貝層下部のロームを取り除き、約30キログラム減量された再梱包した貝層ブロックの写真

再梱包した貝層ブロック
(貝層下部のロームを取り除き、約30キログラム減量された)

 西広貝塚の晩期貝層は、遺跡から取り上げてちょうど30年になります。これまで収蔵庫の片隅にぽつんと置かれたままになっていましたが、これを機に梱包を解き、土壌を一部取り除いて軽量化をはかりました。
 希少な晩期の貝層資料として、現在は再梱包し、合板に保護された状態で保管されていますが、総重量143キログラムの塊を今後どのように活用していくかを考えていくことが大切です。

参考文献

樋泉岳二 1983年 「晩期貝層の形成と構造」 『西広貝塚第4次調査』 上総国分寺台発掘調査概報抜刷

この記事に関するお問い合わせ先

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