菅原孝標の女の更級いちはら紀行 島穴神社の路3
島穴神社の路No.3 (しまあなじんじゃのみち)
白塚台遺跡の発掘調査−古代駅や駅路を考古学的に探索− 2000年10月25日〜2001年1月31日
メインルートと島穴神社参道の分岐点付近から北西450メートルまでの範囲に対し、平成12年10月から翌1月にかけて、埋蔵文化財の発掘調査を実施しています。
確認調査と呼ばれる試掘調査なので、調査対象範囲14,400平方メートルのうち実際調査した面積は1,440平方メートルに止まり、詳しい情報は得られませんでしたが、現在の耕地景観の原型が戦国期に形づくられたことがわかりました。


さとし学芸員
(さとし学芸員)こんにちは、学芸員のさとしです。この調査は僕も担当したんだ。何でも聞いてよ。
(なるみ)じゃあさっそく。古代駅路は発見されたのですか?
(菅原孝標の女)島穴駅家や関係施設は見つかりましたか?
(さとし学芸員)いきなり核をつくねえ。この調査で古代道は確認できなかったから、はたして近くを通っていたのかどうか、何とも言えません(汗)。少なくとも古代の建物が無いことはハッキリしたから、調査範囲とその隣接地は駅家ではありません。

古代の駅路はいったいどこを走っているのでしょうか。発掘調査の結果、少なくとも調査した地点においては、今まで探訪してきたルートの真下に古代道は存在しないと推測されます。ただし、やや逸れた場所を通っていた可能性はあります。この調査では、今まで探訪してきたルートの40メートルほど北西に併走する中世以前の小溝(畝状溝)が数条発見されています。仮にこれが道路の側溝ならば、道幅12メートルほどになり、古代駅路の可能性も出てくるのですが、残念ながらこれを道路跡と決める証拠は全くつかめませんでした。

(菅原孝標の女)埋蔵文化財調査も今後の課題が大きいですね。

(さとし学芸員)これが問題の小溝。発掘調査といっても、トレンチと呼ぶ帯状の試掘坑内だけを対象とする確認調査だからね。道か溝かの判断は難しいんだ。
(なるみ)道路の跡なら、路面が硬くなっているんじゃあないの?
(さとし学芸員)ここは地面自体が硬くってね。僕としては路面ではないと考えてるけどね。仮にこの溝が道路の側溝だとすれば、写真のトレンチ中央を横切るのが、道路中央から見て北西側の側溝になる。これに対する東南側の側溝は、トレンチ手前の壁に隠れて写っていない。だいたい道路側溝にしては小さいような気がするし、これだけじゃあわからないよ。
(菅原孝標の女)発掘調査って、難しいんですね。

(上)島穴神社参道付近の調査風景。トレンチ内の確認面は戦国末から江戸時代初頭にかけて施された盛土で、この1メートル下から中世の水田が発見されています。古代から中世までは一面に水田利用しかできない湿地が広がっていましたが、近世初頭の大規模な土地改良で、多くの島畑が点在する現在の耕地景観が生まれたこともわかりました。

(菅原孝標の女)(なるみ)次は再びメインルート探訪に戻ります。
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更新日:2022年04月18日