菅原孝標の女の更級いちはら紀行 君塚~五井2

更新日:2022年04月18日

五井 2006年7月29日

 平安時代の五井は、閑散とした海岸地帯だったと思われます。古くは「武松」と呼ばれたものが、刀工宗近が五基の井戸水で名刀を鍛えたため、「五井」と呼ばれるようになった、という伝承があります。近世になると、養老川の河口が付近に移動し、陸上・水上交通の結節点として栄えました。八幡・姉崎とならび、「海岸三町」と称される継立場です。

緩やかなカーブになっている道路を自動車が走行し、赤色のビニール暖簾がある建物が道路脇に建っている写真

5-1(上) 出入り口の街道を鉤状に曲げるのは近世町場の特徴。ここは入口にあたります。クランク部分に小祠が置かれています。

小祠の前に黄色や白色の花が供えられ、小祠の中には六地蔵石幢が祀られている写真

5-2(上) 小祠の中には六地蔵石幢が祀られています。江戸前期くらいのものでしょうか。小祠は昭和23年(1498)の道路拡張後に建てられたものです。住民に守り継がれる素朴な信仰がうかがえます。

道路脇に建物などが立ち並び、数台の車が道路を走っている写真

6(上) 小街道筋に町屋が並ぶ昔ながらの景観。ちょっとレトロな建物もちらほら残ります。

駅周辺にタクシーや自家用車が停まっている写真

7-1(上) JR五井駅。内房線のほか、小湊鉄道の始発駅でもあります。市原市はベットタウンなので、朝夕は通勤客で混雑します。

ホームに停車している小湊鉄道の車両を上から写した写真

小湊鉄道 パンタグラフの付かないディーゼル車です

屋根付き車庫に蒸気機関車が停まっている写真

菅原孝標の女の顔のイラスト(菅原孝標の女)小湊鉄道の車両を見つけました。かわいいですね。これに乗った養老渓谷の旅も情緒があっていいなあ。
なるみの顔のイラスト(なるみ)構内には大正14年開通時に輸入された蒸気機関車が眠ってるのよ。カッコいいでしょ! 県の文化財に指定されてます。

プラットホームや4両の鉄道車両を上から写した写真
中央分離帯に生け垣がある片側2車線の道路を写した写真
菅原孝標の女の等身像が建っている写真

なるみの顔のイラスト(なるみ)ちょっと寄道して東口に出ましょう。国分寺台方面に延びるまっすぐな道があるの。その名も「更級通り」。
菅原孝標の女の顔のイラスト(菅原孝標の女)え?ひょっとして私の『更級日記』から命名されてるわけ?
なるみの顔のイラスト(なるみ)中央分離帯の像はだれでしょう?
菅原孝標の女の顔のイラスト(菅原孝標の女)うわ、私じゃないですか。しかも美人。私の等身像なんて、日本全国探しても、これだけなんじゃないかしら。
この道は現代に造られたものだから、私とは何の関わりもないのだけど、ちょっぴりうれしいなあ。
なるみの顔のイラスト(なるみ)あと数百年もすれば、この地にあなたの伝承が生まれるかもね。

赤面している菅原孝標の女をからかっているなるみのイラスト

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