菅原孝標の女の更級いちはら紀行 菅原孝標の女の家族

更新日:2022年04月18日

菅原孝標の女の家族 (寛仁4年(1020年) 上総国市原郡にて)

左から、「乳母」「兄」「わたし」「姉」「父(孝標)」「継母」が描かれた菅原家のイラスト

菅原氏について

菅原氏家系図

 菅原氏は中央の貴族です。もともとは「土師」姓でしたが、古墳殉葬者のかわりに埴輪を作った功績で、天平年間に「菅原」姓を賜った、と伝えられています(『続日本紀』)。
 それ以降は需学者を輩出した家柄で、文章博士や大学頭などの学職を代々歴任しました。とくに菅原道真は政治家としても優れ、遣唐使の廃止などは良く知られています。道真は右大臣・右大将まで昇進し、政界のトップとして活躍しましたが、ライバル藤原時平の動きにより大宰府に左遷され、59歳で没しました。その後の菅原氏は、受領階層の中流貴族に落ち着きます。中世以降も儒学を家業として伝え、名実ともに学問の家を相伝していきました。
 (系図で赤丸が付いた人は、孝標とともに上総国司館で生活した人です)

花が咲いた梅の木にとまるウグイスのイラスト
菅原孝標の女の顔のイラスト

(菅原孝標の女)それぞれの人物については下記リンクをクリックしてくださいね。どんな人か紹介します。

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