風鐸(上総国分僧寺)

更新日:2022年04月18日

風鐸(ふうたく)

えんじ色の背景に、青緑色をしたアルファベットTの形のような風鐸の側面の破片の写真

出土地

上総国分僧寺(かずさこくぶんそうじ)

遺跡所在地

総社(そうじゃ)

遺構

633土採り跡

時代

8世紀中葉から9世紀中葉

解説

 梵鐘を小さくしたようなスタイルをしており、上位には乳(にゅう)と呼ぶ小突起が付けられています。銅を溶かし、鋳型に流し込んで造られました。寺院の軒先につり下げる飾りで、風招(ふうしょう)を付けた打棒(だぼう)を内側に吊し、風で音が鳴る仕組みでした。
 さて、風鐸はどのような建物に付けられたのでしょうか。
 身舎(おもや)の四面に廂(ひさし)を付けた、格式高い仏堂に使われた荘厳具で、上総国分寺では、七重塔・金堂・講堂が該当します。
 上総国分僧寺の例では、多くの破片が捨てられた状態で発見されています。これらには、熱を受けた痕跡がありました。整理作業の結果、破片は最低2種類の個体に分けられること、捨てられたのは9世紀中葉ころだったこと、などもわかってきました。
 これらのことから、9世紀中葉を中心としたある段階、上総国分僧寺は、七重塔・金堂・講堂のうち複数を失う火災に遭った可能性が高いと言えます。
 ちょうどそのころ、嘉祥元年(848)と貞観12年(870)には、上総国で俘囚の乱があり、貞観9年(867)には群盗鎮圧のため上総国府に検非違使(けびいし)が置かれるなど、治安が乱れた時代でもありました。上総国分僧寺の主要伽藍焼失も、ひょっとしたらこれらの事件に関係するのかもしれません。

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