惣社行人塚(近世)

更新日:2022年04月18日

江戸時代 延宝7年(1679年)

惣社行人塚 そうじゃぎょうにんづか

 塚は、国分寺台の土地区画整理事業に伴い、記録保存の調査を実施した後に消滅しています。惣社集落内の平地に築かれており、頂部標高は25メートル前後とみられます(標高記録なし)。
 市域南部のように人里離れた山岳信仰的な土地に築くタイプとは立地的に異なっていますが、構造は方形3段築成をなしており、共通性がみられます。その底面規模は19.7メートル×19.3メートル、高さは3.8メートルでした。

方形3段塚のイラスト画像

図 惣社行人塚の墳丘測量図と出土状況

 享保17年(1732年)の文書「惣社村役人野論願書」に「延宝年中未ノ十月湯殿山之塚ヲ築」とあり、延宝7年(1679年)という築造年代が特定できる唯一の事例です。「湯殿山之塚」とはこの供養塚を指す当時の呼称とみられ、大変興味深いものです。出羽三山への巡礼が「湯殿参り」などと呼ばれ、三山のなかでも秘所である湯殿山への信仰が優勢であった状況がみてとれます。

土に半分埋まってふたが開いている柄鏡のモノクロ写真

写真 十文字に配置されたカワラケと刺し立てられた柄鏡

 調査記録が散逸しているため、詳細は不明な部分が多くあります。ただ、塚の内部において柄鏡が刺し立てられて出土している状況が知られています。その周囲に、口を合わせたかわらけ小皿が2枚で1対をなし、その5セットが十字に配置されるという、これまた興味深い出土状況です。平野馬頭塚と同様、地鎮祭に鏡を使うことが普及していたとみられます。
 しかしながら、明確な出土位置、高さなどの情報、出土遺物そのものも確認できないのが現状であり、大変残念です。今後の資料の捜索が課題です。

『市原市荒久遺跡B・C地点』市原市教育委員会 2011

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