037天神台遺跡の貝ビーズ
忍澤成視
遺跡所在地
村上
時代
縄文時代早期
「貝ビーズ」に魅せられた人びと
天神台遺跡からは、1,400点あまりの貝製の装身具がみつかっています(写真1)。これらの材料にはツノガイ・巻貝・二枚貝の貝殻が使われ、ツノガイ類を加工したものが最も多くあります。直径およそ4ミリメートル、厚さは2〜3ミリメートルほどで、非常に小さな「玉状」です。これらは、ストローのような形をしたツノガイ類をこま切れに加工したもので、素材貝や加工途中のもの、加工残骸などもたくさんみつかっていることから、ムラの中でその加工がおこなわれていたことは明らかです。ここで注目されるのはその形態です。縄文後期の西広貝塚でも、ツノガイを加工した製品がおよそ1,000点みつかっていますが、これらはほとんどが長さ2センチメートルほどの「管玉状」で、その長さは10倍ほどあります(写真2)。天神台遺跡のものは明らかにこれとは違い、小さな玉をつくることが意識されているのです。

写真1 天神台遺跡出土の貝ビーズ

写真2 西広貝塚出土のツノガイ製管玉
県内では最近、船橋市の取掛西貝塚から2,000点ほどの製品がみつかりました。東京湾対岸の横須賀市吉井城山貝塚、埼玉県妙音寺洞窟、長野県栃原岩陰遺跡、滋賀県石山貝塚や佐賀県東名遺跡など、その分布は日本列島各地に広がっています。たくさんの「貝ビーズ」をもつ習慣は、どうやら縄文時代早期の「流行」だったようなのです。この当時の人びとにとって、一見面倒そうにみえる貝細工はどんな意味をもち、彼らは貝ビーズにどんな魅力を感じていたのでしょう。また、この貝ビーズの素材は一体どこで手に入れたのか、どうやってこんなに細かい貝ビーズに加工したのか、謎は深まります。

写真3 海岸に打ち上げられたツノガイ(千葉県館山市の海岸)
貝ビーズの素材は「化石」?
ツノガイ類は、数十メートルの深い海に生息しているので、生きた貝を手に入れることは困難です。西広貝塚では、1,000点におよぶツノガイ類のほか、タカラガイやイモガイ類などが700点ほどもみつかり、これらが南房総館山付近の海岸に打ち上げられた貝殻を利用していると推定されています(写真3)。天神台遺跡のツノガイ類も同様に打ち上げ貝を利用しているのでしょうか。この場合、貝ビーズは鋭利な黒曜石のナイフのようなもので輪切り状に切断したのではと考えられますが、遺跡に残された加工途中や残骸資料には、石器でつけた切断痕などはみられません。一方、資料には外から敲いたような痕跡や、折り取ったような面がみられるものがあります。しかし、打ち上げ貝のように生の貝には「ねばり」があり、これに外圧を加え折り取ることは困難です。したがって、西広貝塚ではツノガイの端部を研磨し長い管状のまま使っています。

写真4 化石貝層中のツノガイ(神奈川県横須賀市の露頭)
ところで、貝は海岸部だけでなく、かつて海底だった所が陸地化し化石層となった場所にもあり、そこでは比較的容易にツノガイなどを見つけることができます(写真4)。房総では下総や上総に、対岸の三浦半島にも古い貝化石を伴う地層があります。化石貝の特徴は硬いが折れやすいこと。この性質を利用して貝ビーズに加工した可能性はあると考えています。
参考文献
横須賀市教育委員会1999「吉井城山」『横須賀市文化財調査報告書』第34集
平安学園考古学クラブ1956『石山貝塚』
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更新日:2022年04月18日