043古代道路の三叉路 山田橋表通遺跡と大山台遺跡

更新日:2022年04月18日

近藤 敏

遺跡所在地

山田橋

時代

奈良・平安時代

 

地形に残された古代の道

 写真は、山田橋地区東部の1979年当時の様子です。現在の市原市防災センター付近にあたります。右下隅に見えている水面は山倉ダム、左側縦の道路は国道297号線です。写真をよく観察すると、AからBを抜けてCに至る帯状の区画が見てとれないでしょうか?

左上あたりにA、中央をB、右下あたりにCと記された山田橋地区東部の1979年当時の航空写真

 じつは、この帯状に見える部分は、奈良時代にはすでに建設され、平安時代まで利用された古代の道の跡です。
 この古代道は、1985年(山田橋表通おもてみち遺跡)と1997年(山田橋大山台おおやまで遺跡)の発掘調査によって存在が明らかになりました。(詳細は各報告書をどうぞ)。
 ここでは、その成果の一部を紹介します。

左上あたりに赤い丸、右下あたりに青い三角が記された山田橋地区東部の1979年当時の航空写真のB地点に当たる付近を調査した平面図

発掘された古代の道路

 上の図は航空写真のB地点に当たる付近の調査された平面図になります。上半分の赤い丸が、市道稲荷台通りの部分の山田橋表通遺跡、ちょうどB地点が分岐点となっており、幅6メートルと幅4メートルの道路が三叉路になっています。
 分岐した道路は、南方向と南東方向に別れて続くことが、のちの大山台遺跡の調査時にわかりました。ア・イ・ウが表通遺跡の調査当時の写真です。
 青色三角が幅4メートル道路から幅2メートル道路へ、大山台遺跡から分岐して、表通遺跡へ向かう部分です。2つの調査では古代道路付近に、奈良平安時代の建物は検出されず、この地区では道路は市街地を抜けています。
 エ・オ・カが大山台遺跡調査時の写真です。

調査区外上側の畑に道路幅の帯状跡が観察される航空写真

写真ア 調査区外上側の畑に道路幅の帯状跡が観察される

Y字状になっている分岐路に筋状に残されている道路面上の轍(わだち)の跡の写真

写真イ 分岐路はY字状になっており、道路面上に轍(わだち)の跡が筋状に残される

道路に伴う排水施設だった可能性のある、古代に属するとみられる溝の写真
須恵器の図面と旧字体で岡館と書かれた文字

写真ウ 深い溝は中世に再掘削された

 深い溝は中世にあらためて掘削されたものですが、写真の上部分では古代に属するとみられる溝が確認されており、道路に伴う排水施設だった可能性があります。
 この溝からは奈良時代後半の須恵器(上図面)の岡館(おか/こう、たち/やかた)と書かれた墨書土器が出土しています。しかし、発掘調査の平面図に示すように、奈良平安時代の建物群などの施設は検出されていません。近隣の同時代の遺跡としては、千草山廃寺跡を挙げられますが、墨書土器との関係は不明です。

平成9年当時の大山台遺跡の空撮写真

写真エ 大山台遺跡空撮(平成9年当時)右下がりの道路は稲荷台通り、右上がりの道路は国道297号線。
写真上が南方向で、調査区中央に幅6メートル、左に幅4メートルの古代の道路が見える。

 古代道路の研究では、幅6メートルの道路は、幹線である駅路(えきろ=地方と中央を連絡=国衙と都の通信)から分岐した、伝路(でんろ=国衙と郡衙の連絡=地方道)と推定されています。表通遺跡と大山台遺跡から検出された古代道路は、伝路にあたるのでしょう。

左には表通遺跡調査区、中央には深い部分が幅6mの南下する古代道、 左側に幅4mの東へ分岐する古代道路を写した写真。

写真オ 左の現道は表通遺跡調査区にあたる。中央、深い部分が幅6メートルの南下する古代道。
調査区左側に幅4メートルの古代道が東へ分岐する。

調査区平面図青色三角にあたる場所の、ゴボウの耕作により斜線状の撹乱が見られる、4m道路がさらに2m道路に分岐する部分の写真。

写真カ 調査区平面図青色三角にあたる。4メートル道路がさらに2メートル道路に分岐する部分。
斜線状の撹乱はゴボウの耕作によるもの。

 各調査区でとらえられた道路跡は、幅6メートル(20尺)の伝路から分岐した幅4メートル(12尺)の道路が、さらに幅2メートル(6尺)の道路に枝分かれしています。それらは現代の国道から県道、さらに市道や町道へ、というように、生活道路に近くなるに従い細くなるのと同様だったことを示しているようです。
 遺跡で明らかになった道路の幅の変化は、古代の交通経路や政治的な意識を反映したものと見られ、その道路が、当時どのような道として認識されていたかを示す可能性が高いと考えられます。
 山田橋で見つかった古代道路は、市原市の奈良・平安時代の研究に欠かせない重要な資料と言えるでしょう。

参考文献

田中清美1989「第1号溝状遺構」『千草山遺跡・東千草山遺跡』財団法人市原市文化財センター
田所真1997「山田亥の海道遺跡」『市原市文化財センター遺跡発表要旨』第12回財団法人市原市文化財センター
蜂屋孝之・小橋健司1999「060・061号跡」『山田橋表道遺跡』財団法人市原市文化財センター
大村直2004「1・2・3号溝」『市原市山田橋大山台遺跡』市原市財団法人市原市文化財センター
辻史郎・山路直充「上総国」『日本古代道路事典』古代交通研究会編 八木書店

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