034縄文時代の海浜の貝塚

更新日:2022年04月18日

34 縄文時代の海浜の貝塚 −館山自動車道建設により調査された実信貝塚ー

近藤 敏

遺跡所在地

菊間

時代

縄文時代

 市原市の北部、菊間地区に所在する実信貝塚は、下の航空写真の赤い丸印部分にありました。現在の村田川から南へ400メートル付近に位置します。館山自動車道の建設に先立ち、財団法人千葉県文化財センターによって発掘調査が行われました。
 調査は、菊間並木地区までの約500メートルの区間が行われ、実信貝塚はその北端にあたります。地形的には、村田川左岸の市原台地北辺部海蝕台から、海岸平野側に20メートルほど離れた地点にあたり、現標高は5メートルほどを測ります。調査前は水田となっており、湧き水が多く、排水をしながらの発掘調査となりました。その後、海岸側に隣接した旧県立スタジアム建設予定地(現市原スポレクパーク)の調査が始まり、その全容が理解され始めました。
 縄文時代中期後半から晩期後半までの土器が出土していますが、土器の出土量から、貝塚の形成は中期後半の加曽利EII式期新段階〜加曽利EIII式期古段階までが中心と考えられており、縄文時代中期前半から中頃を中心とする草刈貝塚(下写真の右下付近)からは時期が遅れることになります。しかし、当該時期の土器片を加工した、刺し網に使用したであろう錘が大量の出土しており、台地上の集落と漁場とを結ぶ、重要な遺跡であることは間違いありません。

平成21年に撮影された実信貝塚周辺の航空写真

実信貝塚周辺の航空写真 (平成21年撮影)

 縄文時代後期〜晩期になると、実信貝塚の北西500メートルの地点には、菊間手永貝塚(下図右上)が形成されます。実信貝塚は後期にも晩期にも地点を変えて点々と貝塚が形成され、並木地区の海蝕台上へとつながっています。縄文時代後期には実信貝塚の海浜も東京湾に直接面した海水域から、砂帯に閉じられた内湾の潟湖浜となり、村田川などの淡水の混じった汽水域へと変化します。しかし漁場は、砂帯から外側の干潟であり、貝塚から検出される貝は、ハマグリ、イボキサゴ等の海水産がほとんどです。それは台地上の菊間手永貝塚でも同様で、集落内の貝塚と海浜にある貝塚はほぼ同じ貝の組成をしています。違うのは貝層に混じる遺物の種類や量が、圧倒的に集落に近い貝塚で多いことです。これは、集落内の貝塚と採集に特化した貝塚の違いとも考えられますが、貝殻をただ捨てる海浜作業場的貝塚と台地上まで持ち上げて運び上げた貝の捨て場とは貝塚としての意味合いが異なることも暗示している可能性があります。
 市原台地の北西辺に位置する海岸平野は、縄文海進によってできた海蝕台が海浜となったもので、蛇崎八石貝塚遺跡(西野2004年)などの生業主体の貝塚遺跡が海浜部に連なるようにして見つかっており、東京湾東岸地域の縄文時代研究に欠かせない地域となっています。

実信貝塚周辺のモノクロ地形図

実信貝塚周辺地形図 (近藤1987年・千葉県センター1998年を改図)

 下の一連の図は、実信貝塚(村田川)周辺の海域の環境変遷をあらわしたものです。図の赤丸印が市原条里制遺跡で、実信貝塚もこれと同じ場所にあたります。
 なお、これらは小杉ほか(1991年)の報告をもとに平面図から鳥瞰図に変換したもので、詳細は近藤(1995年)で報告しています。

縄文時代早期

 早期の末頃には、河川の谷の奥まで海水が浸入して、草刈の台地上には小規模な貝塚が形成されました。海岸線には集落とは別に、漁場に近い貝塚が形成されました。

中心部に赤丸で市原条里制遺跡が記してあり、実信貝塚(村田川)周辺の海域の縄文時代早期の環境変遷図

縄文時代早期末頃

縄文時代中期

 温暖化が終わり、海退と谷部の河川埋積がはじまり、海岸から広い干潟が形成されはじめます。草刈地区には大規模な草刈貝塚が形成され、村田川河口は良い漁場になったと推測されます。

図の赤丸印が市原条里制遺跡で実信貝塚(村田川)周辺の海域の縄文時代中期の環境変遷図

縄文時代中期中頃

縄文時代後〜晩期

 冷涼化とともに海退が進み、浅い干潟は埋められます。沿岸流によってJR内房線のライン付近は砂堆となって、その内側は潟湖を形成して、海水から汽水域に変化します。

図の赤丸印が市原条里制遺跡で実信貝塚(村田川)周辺の海域の縄文時代後期から晩期の環境変遷図

縄文時代後期中頃

縄文時代晩期〜弥生時代

 潟湖は湿地になり、その後低湿地林となります。そこには、台地からシカ等の大型獣が進出し、漁場から猟場に変わります。海岸部には広い干潟があり、東京湾東岸海域はよい漁場でした。

図の赤丸印が市原条里制遺跡で実信貝塚(村田川)周辺の海域の現代(臨海部埋立て前)の環境変遷図

現代(臨海部埋立て前)

引用参考文献

  • 小久貫隆史ほか 1999年 「実信貝塚」『市原市市原条里制遺跡』財団法人千葉県文化財センター
  • 加納実 2000年 「実信貝塚」『千葉県の歴史資料編考古1(旧石器・縄文時代)』千葉県
  • 小杉正人・松島義章 1991年 「村田川低地における縄文時代の食料資源の供給源としての海域環境の復元」
  • 『千葉市神門遺跡』千葉市教育委員会
  • 近藤敏ほか 1987年 『菊間手永遺跡』財団法人市原市文化財センター
  • 近藤敏 1995年 「テフラの観察について」『市原市文化財センター研究紀要III』財団法人市原市文化財センター
  • 財団法人千葉県文化財センター 1998年 「市原市市原条里制遺跡(県立スタジアム)」『千葉県文化財センター年報』No.22
  • 西野雅人 2004年 「蛇崎八石地区」『市原条里制遺跡(蛇崎八石地区)・仲山遺跡』 財団法人市原市文化財センター

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