ノート010道教的信仰と人形木製品【考古】

更新日:2022年04月18日

研究ノート

浅利幸一

 道教(どうきょう)とは、古代中国の民間信仰(不老長寿や神仙思想を中心とした道教的信仰)に、いろいろな思想(道家思想、易、陰陽、五行など)、呪術(道術)などが複合して成立した宗教です。道術には、呪い、御符、予言、祓え、祈祷などの呪術が含まれます。
 古代中国、後漢代の墳墓に納められた瓶には、朱や墨で死者の罪を祓う意味の文章の最後に「急々如律令」(きゅうきゅうにょりつりょう)、「如律令」の呪句が書かれているものがあります。また死者のために、墓地を冥界の主から買ったことを記す地券(墓券・買地券)にも「如律令」やその同意語がみられます。
 漢代の公文書では、その終わりを「如詔書」「如律令」で結ぶのが一般的で、前漢の紀年を持つ居延漢簡では、「如詔書律令」、「如詔書法律」などの表現もみえています。これらの語句は、道教的な呪句として、後漢代に使用されるようになりました。意味するところは、おそらく公文書が早く伝達されるように、速やかに呪文の効果が現れることを願ったからでしょう。
 道教的思想と道術は、後漢代以降の南朝の諸国家から朝鮮半島の百済へと伝えられました。『宋書』百済伝によると、元嘉27年(450年)に宋の太祖は百済に対し、易の書である『易林』や『式占』を与えています。式占は、式盤を用いて行う卜占で、天文、暦法、陰陽・五行思想と密接に関わっています。また、『梁書』・『周書』の百済伝にも同様の記事がみられます。このことを示すものに、韓国公州の武寧王陵の王妃誌石に、王を墓に改葬した際、銭一万文で墓地を冥官から買ったことや、「急々如律令」と同意語と考えられる「不従律令(りつりょうにしたがわず)」と記され、古代中国の道教的観念が百済に導入されていたことが知られます。

五所四反田遺跡出土の人形

 スギの薄板で作られています。

市原条里制遺跡出土の人形

 こちらも針葉樹の薄板で作られたもの。口の下にはどうやら顎髭をかたどっているようです。

五所四反田遺跡出土の人形の写真

五所四反田遺跡出土の人形

市原条里制遺跡出土の人形の写真

市原条里制遺跡出土の人形

 倭国は4世紀以来、百済と密接な外交関係にあり、道教的信仰と道術が伝えられていたことは容易に推測できます。『日本書紀』には、継体朝以降、百済から倭国に、儒教や仏教とともに、暦法、易、医術、卜占、呪禁など、道教的思想と道術に深く関わる学問や呪術が伝えられていました。推古10年(602年)には、百済僧観勒が来日し、暦や天文地理書、遁甲方術書を献じています。こうした背景のもと、天武・持統朝(672年〜696年)に至り、陰陽寮や典薬寮が設置され、陰陽寮には陰陽師、典薬寮には呪禁師を置き道術を行っていました。
 日本の古代における信仰や宗教については、仏教伝来とともに神祇信仰との対立が起こり、次第に神祇信仰が仏教に融合し、平安時代中期には修験道の成立をみたと考えられています。仏教は、奈良時代に聖武天皇の詔による大仏造立や国分寺建立に代表されるように鎮護国家の象徴として華開きますが、支配的な色彩が濃厚であったとされています。
 欽明朝に仏教が伝えられた以後の古代社会は仏教的な社会であったかのように思われますが、藤原京、平城京、平安京の都城に住む役人や庶民は意外にも道教的信仰に対する関心が深まっていたと思われています。そうした事例に「人形」(ひとがた)木製品、「物忌」木簡などが挙げられます。人形には、稀に金属で作られたものもあります。人形については『延喜式』によると、6月12月の晦日の大祓に御贖の鉄人像、毎月晦日の祓に御贖の金人像・銀人像、臨時に行われる八十嶋神祭や東宮八十嶋祭にも金人像・鉄人像が用いられ、これらの人形にケガレを移して、溝・川・海に流したことが知れます。また、病の治療のため捧げられたと思われる人形や呪いの人形も発見されています。

 人形に罪やケガレを移し、水に流すことで祓われるとの観念は、中国南北朝時代の年中行事を記した『荊楚歳時記』などにもみえるように、中国江南の道教的信仰に基づく習俗に由来していることがわかります。

 さて、古代の市原でも、人形を用いた祓いが行われていたことをご存じでしょうか。

 五所小学校建設時に財団法人市原市文化財センターが発掘調査した五所四反田遺跡からは、人形木製品が発見されています。この遺品は頭部を欠損していますが、両足や腰のくびれなどリアルに表現され、全長14.5センチメートル、板厚さ0.25から0.32センチメートルを計ります。
 さらに同センターが若宮交差点付近の配水路建設で発掘調査した市原条里制遺跡からも、人形木製品が発見されました。こちらは左足を欠損していますが、墨書がよく残っています。三角形の頭部の顔面には、眉毛、目、鼻、口、顎髭らしきもの、また胸には「人」と読める字が書かれています。

文献

  • 和田 萃「文字のもつ呪力」『日本の歴史・文献史料を読む 古代』 1990
  • 『古代日本 文字のある風景 −金印から正倉院まで−』朝日新聞社 2002

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