ノート035遺跡から出土する外海・岩礁性の貝類【考古】

更新日:2022年04月18日

-加茂遺跡A・B地点出土資料を中心に-

研究ノート

鶴岡英一

 東京湾に面して位置する市内の遺跡からは、縄文時代以降も人々が貝を利用した痕跡が見つかることがあります。
 国分寺台に位置する加茂遺跡(A・B地点)からも、竪穴建物跡のなかに投棄された貝層が4ヶ所見つかり、出土した貝層に含まれる土器の特徴から、6世紀の終わり頃(古墳時代後期)、7世紀の中頃(古墳時代終末期)、8世紀の終わり頃(奈良時代末)の3時期に形成されたことがわかりました。

土の中にたくさんの貝殻が混じった貝層の写真。

加茂遺跡A・B地点 64号遺構から見つかった貝層

 これらの貝層にどのような貝が含まれるのかを調べたところ、イボキサゴ・ハマグリ・シオフキ・アサリなど、遺跡の前面に広がる東京湾の砂泥干潟に生息する貝が中心になりますが、外海の岩礁域に生息し、明らかに搬入されたと考えられるアワビやサザエなどが含まれることがわかりました。

貝類出土量集計表の画像

加茂遺跡A・B地点 貝類出土量集計

 特に37号遺構から見つかった貝層は、規模は非常に小さいものでしたが、トコブシ・アワビ・サザエの3種が含まれる点で注目されます。これ以外の内湾域に生息する貝についても、いずれも少量ずつで、ある特定の貝に偏らないという傾向が認められました。このようなばらつきは、採集や利用する際の種選択の多様化ともとれますが、アワビやサザエなどの搬入貝を含むこの貝層に関しては、自家消費的なゴミとはやや趣が異なるようにも見受けられます。

 37号遺構から見つかったアワビは、殻の中央部分を欠き、大きく破損しています。各破片は接点が無く、接合することはできませんが、もともとはひとつの個体に由来する大型のアワビと考えられます。螺肋(らろく)と呼ぶ表面の隆起した線が強く、丸みが強いかたちをしていることから、メガイアワビという種類に同定されました。

 アワビの殻の縁辺部付近には、直径2.5ミリメートル程度を測る穴が最低2ヶ所確認できます(下写真の赤丸部分)。このアワビが食用とされたものか、あるいは殻のみが持ち込まれたものかは定かではありませんが、人為的に開けられたと考えられる穴が認められることから、貝殻そのものが何らかの用途を持ち、紐を通すなどして利用されていたことが考えられます。アワビの殻を出入り口に吊るして魔除けにするという民俗事例がありますので、このような使われ方があったのかもしれません。ちなみに、縄文時代後期の西広貝塚では、竪穴建物跡から細かく砕いたアワビの殻が敷かれたように出土しており、殻の内面に見られる真珠光沢に呪術的なイメージを重ねたものと考えられます(鶴岡・忍澤ほか2007年)。

殻の縁辺部に穴が開けられた3個のメガイアワビの貝殻の写真。

殻の縁辺部に穴が開けられたメガイアワビ

 いっぽうサザエは、殻と蓋が同時に出土していることから、食用として生きたまま持ち込まれたことが考えられます。サザエは、殻に棘が有るタイプ(有棘タイプ)と棘が無いタイプ(無棘タイプ)の両方が出土しています。有棘タイプは大型、無棘タイプは小型のものに限られ、同じ遺構の貝層から両方のタイプが同時に出土することはありませんでした。

殻に棘が有るタイプのサザエの貝殻の写真。

殻に棘が有るタイプのサザエ

 サザエの出土を時間軸で見ると、6世紀の終わり頃には有棘タイプとトコブシ・アワビ類が一緒に出土するのに対し、8世紀の終わり頃では無棘タイプのみが出土しています。棘の有無によってサザエの生息場所が異なるとすれば、各時期に異なる採集地からの搬入ルートが存在した可能性を考えてもよいのでしょうか。

 図鑑等による一般的な知識では、サザエの棘の有無は波浪の強弱に影響を受けるとされますが、房総半島南端に位置する南房総市(旧白浜町)沢辺遺跡(6世紀後葉~7世紀前葉)から大量に見つかったサザエは全て無棘タイプ(西野2003年)と報告されていますので、一概に周辺地形のイメージから両タイプの採集場所を想定することは難しいようです。サザエの形態の点から、さらに踏み込んだ採集地の推定を行うには、海岸部の微地形と波浪の影響、そして両タイプの生息状況との関係、さらに棘の発生・成長の段階など、生態面からの検討も必要になるでしょう。

殻に棘が無いタイプのサザエの貝殻の写真。

殻に棘が無いタイプのサザエ

 外海や岩礁域と内湾域を結ぶ搬入ルートとしては、非在地系土器(搬入土器)と海産物の分布状況の検討から、6世紀後半から8世紀代の東京湾の水運を利用した交通ルートの存在が想定されています(笹生2004年)。

 これまでに市内では、5世紀頃(古墳時代中期)の加茂遺跡D地点(小橋2002年)、6世紀の中頃(古墳時代後期)の椎津茶ノ木遺跡(樋泉1992年)から無棘タイプのサザエが出土していますので、少なくとも古墳時代中期段階には、海産物としてのサザエを搬入するルートが存在していたことは明らかです。そして、加茂遺跡A・B地点から出土したことによって、6世紀の終わり頃にも南房総地域から入手が可能な社会状況にあり、この交通・交易ルートに組み込まれていたことが確認されました。

加茂遺跡と椎津茶ノ木遺跡の位置を示した千葉県の地図のイラスト。

各遺跡と上総・安房国各郡の位置

昔の地名が記された千葉県の地図のイラスト。

各遺跡と上総・安房国各郡の位置(『千葉県の歴史』を改変)

 継続性ははっきりしませんが、8世紀の終わり頃にも海産物の搬入が行われていたことがわかりました。加茂遺跡から出土する搬入貝類は無棘タイプのサザエとダンベイキサゴに限られますが、この時期には上総国(現いすみ市大原周辺)からアワビが貢納品として都へ納められたことが平城宮跡出土木簡に記されています(天野2001年)。

 加茂遺跡の位置する国分寺台周辺には上総国府の存在が想定され、政治・経済の中心地であった可能性が高く、周辺遺跡からは太平洋岸の九十九里浜が産地と考えられるダンベイキサゴが出土している(忍澤2002年)ことからすると、東京湾岸ルートからの搬入ばかりでなく、同じ上総国内に位置する太平洋岸の砂浜や岩礁域とを結び、房総半島を横断するような方向の交通・交易ルートも、いくつか存在していたと考えられます。

参考・引用文献

天野 努 2001年 「古代房総の漁撈民とその生産活動」『千葉県立安房博物館 研究紀要』VOL.8
忍澤成視 2002年 「住居内および土坑内出土の貝の概要」『坊作遺跡(第1分冊 本文編)』市原市教育委員会
小橋健司 2002年 「407号遺構検出貝類」『市原市加茂遺跡D地点』財団法人市原市文化財センター
笹生 衛 2004年 「房総半島における擬餌針の系譜」『千葉県立安房博物館 研究紀要』VOL.11
財団法人千葉県史料研究財団編 1998年 『千葉県の歴史』資料編考古3(奈良・平安時代)千葉県
千葉県立安房博物館 2004年 『平成16年度企画展 房総漁村の原風景 古代房総の漁撈民とその生活』
鶴岡英一・忍澤成視ほか 2007年 『市原市西広貝塚3』市原市教育委員会
樋泉岳二 1992年 「椎津茶ノ木遺跡出土の動物遺体について」『市原市椎津茶ノ木遺跡』財団法人市原市文化財センター
西野雅人 2003年 「第3章 第2節 貝類遺体」『青木松山遺跡・沢辺遺跡発掘調査報告書』財団法人総南文化財センター

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