ノート005「泥めんこ」のはなし【考古】

更新日:2022年04月18日

研究ノート

−江戸時代にあったメンコのルーツ−

忍澤成視

 最近子供達の間では、昔ながらの遊びが密かなブームとか。複雑な機械やルールの遊びに慣れた子供にとって、単純で明快な遊びは逆に新鮮に映るのでしょうか。
 ところで、ベーゴマ・ビー玉と並ぶ対戦型遊び、メンコのルーツが江戸時代にありました。現在私たちの知る、紙メンコが現れたのは明治20年代、これ以後急速に普及します。それより少し前には鉛メンコが現れ、さらに前の18世紀の前半に、粘土を焼いて作った「泥めんこ」が登場、19世紀の前半にはこれを使った遊びが大流行します。地面に引いた区画線の中にメンコを投げ入れ、その位置によって勝敗を決め、メンコを取り合うものです。天保年間には、子供達のあまりの熱中ぶりを見かねた幕府が禁令をたびたび出す程でした。
 さてこの泥めんこ、大きさは1から3センチ程の円形を呈するものを基本とし、その形態から面打(めんちょう)・芥子面(けしめん)・面摸(めんかた)に分類されています。土製の玩具としてはこの他にも、土人形・ままごと道具・箱庭道具などが知られています(1)。近年の東京都内における江戸遺跡の発掘調査によって、膨大な資料が出土しており(2)、形態分類や編年研究、用途、生産・流通の研究もすすめられています(3)。表面の図柄は人や動物の顔・姿、文字や家紋など多彩で、数千種類あるとも言われます。またこれらの図柄をよく調べると、モチーフとなったものに歌舞伎役者や力士の名、将棋の駒、火消しの纏、十二支、さらに当時の世相を表す謎かけ言葉などが多く使われていることがわかります。したがって、単なる子供の玩具とは軽視できない、江戸時代の庶民のくらしぶりを知ることのできる貴重な資料であると言えます。
 ところで、泥めんこが実際に生産・使用された江戸以外にも、二次的な分布が市川・船橋・習志野・千葉などいわゆる東葛地区の畑地にみられることはよく知られています(4)。畑地耕作用の肥料として、東京湾東岸地区に流通したいわゆる「江戸ゴミ」の中にこれら泥めんこが混入していたものと理解されており、江戸ゴミの流通を考えるうえでの資料としても利用されています(5)。市原の場合には、「江戸ゴミ」の流通範囲のやや外にあたり、このことを反映してか、市内の畑地で泥めんこを採集できる機会はあまり多くありません。しかし、発掘調査ではたびたび発見されています。写真1は、祇園原貝塚からみつかったものです。

人物の顔、鯛、亀などの形をしており、赤土の様な色をした6つの泥めんこの写真

写真1 市内祇園原貝塚出土の泥めんこ

 全て人物の顔や動物をモチーフとした 「芥子面」タイプで、円盤状をした「面打」タイプは含まれていません。この他にも、土人形の破片・碁石・ビー玉状のものなど数点があります。図柄には、人物の顔・亀・鯛(おそらく恵比寿の一部)があり、とくに亀の背中に人物がしがみつくように乗っているモチーフ2点は注目されます(写真2)。

左側に右手のない亀の形、右側に浦島太郎の形をした泥めんこが写っている写真

写真2 浦島太郎のアップ

 このうち1点は、顔の部分が欠損しており表情までは見ることができませんが、下半身は下帯だけの姿であることがみてとれます。もう1点は、全体的に表面が摩耗していますが、柔和な顔の表現が残されています。いずれの資料も、小型の製品ながら細部にわたるまで実に細かく細工され、子供の玩具といえども手を抜かない当時の職人の気質を知ることができます。亀と人との組み合わせから、題材は昔ばなしの「浦島太郎」ともみられ注目されます。

小さいクッキーのような丸い形で色々な人物の表情で作られた16個の泥めんこの写真

写真3 市内妙経寺遺跡出土の泥めんこ 子供のお墓から発見された。

 また、姉崎の妙経寺遺跡からは、子供のお墓の副葬品として多数の「泥めんこ」がみつかっています(写真3)。このうちのいくつかには、紫や赤などの顔料が残されており(写真4)、その状態は明らかに江戸から塵に混じって運ばれ畑に蒔かれたものとは違います。江戸で流行の遊びがいち早く市原にも伝わり、その最前線が姉崎・五井・八幡など湊町にあった可能性があります。近世の市原では、これら湊近くの町場には五大力船によって江戸からの物資が頻繁に行き交っていました。その中に、江戸で当時流行していた「泥めんこ」がまぎれていたとしてもおかしくはないのです。墓にたむけられた泥めんこは、生前その子が愛用していた玩具だったのでしょう。遺跡からは、この他にも鳩笛やガラガラなど幾つかの「土人形」も発見されています(写真5)。

うっすらと赤や紫の顔料が残っている3つの人物の表情の泥めんこの写真

写真4 妙経寺遺跡出土品のアップ 塗料が少し残っていることがわかる。

赤い座布団の上に座っている白い狐、うっすらと赤い顔料が残っている鯛の様な魚、鳩、人物がモチーフと思われる立体的な泥めんこが5体写っている写真

写真5 妙経寺遺跡出土の土人形

参考文献
  1. 江戸遺跡研究会2001年「VI 江戸の生活文化・5遊び」『図説 江戸考古学研究辞典』
  2. 東京都埋蔵文化財センター2004年「外神田四丁目遺跡」第3分冊(遺物編2)『東京都埋蔵文化財調査報告』147
  3. 石神裕之2000年「近世遺跡出土の泥面子について−江戸後期の「キズ」賭博流行の周辺−」『史学』69-3・4三田史学会
  4. 金刺伸吾1973年「どろめんこのはなし」『季刊どるめん』3
  5. 川名 禎 1996年「泥面子分布にみる江戸周辺の肥料流通−東京湾東岸地域を中心に−」『利根川文化研究』10
    岩淵令治2004「江戸ゴミ処理再考 リサイクル都市・清潔都市像を超えて」『国立歴史民俗博物館研究報告』118

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