ノート032瓦の話 -第1回 重圏紋のルーツ-【考古】

更新日:2022年04月18日

研究ノート

高橋康男

重圏紋軒先瓦

 古代の宮都や寺院の軒先を飾った軒先瓦の紋様の中に、弓矢の的のような紋様の瓦があります。圏線(丸い線)が重なっているので、重圏紋と呼ばれています。
 重圏紋の紋様の変化は、三重圏紋→二重圏紋→一重圏紋と、段々と数が減っていったようです。また、圏線には、細い線と太い線が見られますが、概ね、細い線から太い線へと変化していったようです。
 今回の研究ノートでは、市原市内から出土している重圏紋軒丸瓦に着目して、その紋様がどのように変化していったのかを、ルーツとともに紹介したいと思います。
今回はその第1回目として、重圏紋のルーツをご紹介します。

重圏紋のルーツはどこか

 重圏紋のルーツは、神亀三年(726年)に聖武天皇が藤原宇合に命じて造らせた難波宮(大阪府大阪市中央区法円坂)の大極殿院や朝堂院の軒先瓦に求めることができます。
まずは、難波宮からご紹介しましょう。
 難波宮は、今の大阪歴史博物館やNHK大阪放送局の南側に史跡として保存されています。この遺跡の発見者は、山根徳太郎さんで、1954年の発掘調査で、ここに2時期の宮殿が置かれていたことがわかりました。そこで、古い方の宮殿跡を前期難波宮、新しい方の宮殿跡を後期難波宮と呼んでいます。

前期難波宮内裏の模型を上から写した写真。

前期難波宮内裏模型(大阪歴史博物館蔵)

 前期難波宮とは、飛鳥時代(7世紀)の中頃(孝徳天皇の時代)に造営された難波長柄豊碕宮のことと考えられています。孝徳天皇の崩御などによって京の造成は中断されましたが、天武天皇の時代に副都とされています。
 宮の主要な施設は、南北に並ぶ内裏・朝堂院・朝集殿・朱雀門です。また、内裏の西側に西方官衙が置かれていました。

 内裏を代表する内裏前殿は、七間×三間の建物本体の周囲全てに廂を設ける壮大な四面廂建物です。基壇の上に建てられた姿は、それまでの宮の建物とは異なっていました。しかし、屋根は板葺で瓦は使われていませんでした。

 わが国で、宮殿に瓦が葺かれるようになるのは、藤原宮の時代からです。

後期難波宮内裏の模型を上から写した写真。

後期難波宮内裏模型(大阪歴史博物館蔵)

 後期難波宮とは、神亀三年(726年)に聖武天皇が藤原宇合に命じて造らせた宮都です。天平十六年(744年)に皇都とされ、聖武天皇・孝謙天皇・淳仁天皇・称徳天皇と歴代の副都として機能しましたが、光仁天皇の時代に長岡京に遷都すると、まもなく廃都となって歴史の舞台から姿を消してしまったのです。その後、難波宮の場所は幻となっていたのですが、この節のはじめに紹介しましたように、20世紀の中頃に発見され今日にいたっています。
 宮の主要な施設は、北から南北に並ぶ内裏・大極殿・朝堂院・朝集殿院・朱雀門です。これを前期難波宮と比較してみますと、内裏と朝堂院との間に大極殿という建物が置かれていることがわかります。大極殿は、元日朝賀や外国使節の謁見など国家を挙げた儀式を行うときに天皇が着座する高御座(たかみくら)が置かれているところです。前期難波宮の頃には内裏で行っていた儀式が、藤原宮や平城宮第一次大極殿の時代を経て、より整った形で行われるようになっていたことがわかります。
 後期難波宮の建物は、長岡京への遷都に伴って、長岡京へ解体移築されています。

後期難波宮大極殿・朝堂院の重圏紋軒先瓦

細い三重の丸の模様の軒丸瓦と長辺が弧を描く長方形の細い模様がある軒先瓦をアップで写した写真。

後期難波宮重圏紋軒先瓦(大阪文化財研究所蔵)

 後期難波宮の大極殿と朝堂院建物の軒先を飾った瓦が、重圏紋です。
 軒丸瓦では、瓦の表面に、細い三重の圏線が巡り、その中心に「右」の鏡文字が浮彫りにされています。軒先瓦の紋様は、木製の笵に彫られた紋様が転写されたものですから、笵には「右」と彫られていたのでしょう。
 軒平瓦では、長辺が弧を描く長方形の細い凸線(圏線)が巡っています。瓦の形状が平たいので円形ではありませんが、重圏紋の平瓦バージョンとみることができます。

【予告】市原の重圏紋軒先瓦

 重圏紋軒先瓦は、市原からも出土しています。次回は、国分寺創建以前に市原に入ってきた可能性の或る重圏紋軒先瓦についてご紹介したいと思います。
 なかでも、最も古い紋様構成を示すものが、市原市武士の武士廃寺出土と伝えられる重圏紋です。この瓦は、市内在住の鈴木仲秋先生が表採された資料で、発掘によって出土したものではありませんが、後期難波宮大極殿に葺かれた瓦と同じように、三重圏紋が巡っています。どこが同じで、どこが違うか?よく見比べてみてください。
では次回をお楽しみに。

右上の一部が欠けた細い三重の丸の模様黒い軒先瓦の写真。

市原市武士廃寺表採重圏紋軒先瓦

細い三重の丸の模様がある2つの軒先瓦が写った写真。

後期難波宮大極殿軒先瓦(大阪文化財研究所蔵)

参考文献

大阪歴史博物館『展示の見所4 復元 前期 難波宮』(2003年)
大阪歴史博物館『展示の見所7 原寸大復元 後期難波宮大極殿』(2004年)
大阪歴史博物館『展示の見所10 難波京』(2005年)

資料協力

公益財団法人大阪市博物館協会 大阪歴史博物館・大阪文化財研究所

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