菅原孝標の女の更級いちはら紀行 姉崎神社の路6
山王山古墳の発掘調査
姉崎神社に連なる台地の突端に、かつて山王山古墳と呼ばれる前方後円墳がありました。


(菅原孝標の女)ここは釈迦山古墳の西どなりですね。
(なるみ)姉崎の海岸平野が一望できる重要な場所なのよ。
(菅原孝標の女)山王山古墳は、どれくらい大きかったの?
(なるみ)墳丘の長さが69メートルあったそうよ。
(右)山王山古墳跡地 現在、古墳は消滅し、社宅となっていますが、見晴らしの良い立地が古墳時代当時をしのばせます。
1963年、割烹旅館の建設に先行する緊急発掘として、國學院大学大場磐雄教授を団長とする山王山古墳調査団により調査が行われました。
調査の結果、古墳時代後期前半、6世紀中葉ころに造られた大型前方後円墳であることがわかりました。

(上)後円部の主体部(埋葬施設)発見状況 白く長方形に見える部分が埋葬施設で、粘土を充填しています。その中央の葉巻形の部分が木棺の痕跡です。

(菅原孝標の女)まあ、すごい大刀。
(なるみ)出土品は優品が多くて、大きなニュースになったんですって。
銀装の環頭大刀(かんとうたち)、(ころく)、金銅製冠(こんどうせいかんむり)、変形四獣鏡(へんけいしじゅうきょう)などが見つかっています。
(菅原孝標の女)埴輪とかは?
(なるみ)埴輪も1,500点余り発見されてるみたい。
円筒埴輪のほか、朝顔形埴輪、形象埴輪があるようね。形象埴輪は人物、動物、器財などに分かれるみたい。
後円部の墳頂中央からは、「粘土槨」(ねんどかく)と呼ばれる壁に粘土を貼った埋葬施設が発見されました。そこからは、舟形の木棺を据えた跡も確認されています。


(上)主体部の調査 木棺のあった場所の土を取り除いたところ。出土した環頭大刀は布でガードされています。遺体は向かって左側を枕にしており、冠を装着していたようです。ちょうどその部分を発見した瞬間です。
(菅原孝標の女)木棺と葬られた遺体は、腐り易いから無くなっちゃったのですね。
(なるみ)そう。でもね、金銅製冠(こんどうせいかんむり)と銅芯に銀を被せた耳飾(じかん)一対が、遺体に装着された状態で発見されてるから、遺体の位置と向きは確認できているようね。
話題を呼んだ銀装環頭大刀は、遺体の向かって左側、(ころく)は足下、その他の大刀は右側に安置されていたみたい。

(右) 胡ろくが発見されました。
土をていねいに取り除きます。

(上) 姿を現した胡ろく。胡ろくは武具の一種で、矢を背負うための道具です。中央の下側にたくさんまとまっているUの字状の鉄製品が鏃(ぞく・やじり)で、たくさんの矢を入れた状態だったことがわかります。
(菅原孝標の女)あら、飾り馬具とか、甲冑とかは入っていないのね。
(なるみ)そうね。首長墓ならば、そういった品も入ってよいのかしらね。
でも、この単龍環頭大刀は当時の工芸の粋を尽くした優品でしょう?
(菅原孝標の女)やっぱり、当時の姉崎古墳群を代表する首長墓と言えそうですね。

(なるみ)出土品はこれまで、木更津市郷土博物館金のすずで保管されてたけど、最近市原に里帰りしました。
(菅原孝標の女)市原市埋蔵文化財調査センターで、折を見て展示する予定です。
その際にはホームページ速報でお知らせしますので、お立ち寄りの際にはぜひご覧下さい。
(なるみ)
(菅原孝標の女)次回は姉崎妙経寺を散策します。ご一緒にどうぞ。
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更新日:2022年04月18日