菅原孝標の女の更級いちはら紀行 姉崎神社の路2

更新日:2022年04月18日

山新遺跡の発掘調査

 二子塚古墳のある砂丘列は、山新(さんしん)遺跡が広がっています。
 平成13年から平成16年に財団法人市原市文化財センター、平成18年には市原市埋蔵文化財調査センターが発掘調査し、二子塚古墳から北東に向け展開する11基の小形円墳を発見しました。

山新遺跡全体図

これらの円墳は、出土遺物から、5世紀から6世紀初頭ころまでに築かれたと考えられます。

右手人差し指を前に、左手人差し指を上に向けている なるみ、腕を組んでいる さとし学芸員、市女笠を被っている菅原孝標女のイラスト

さとし学芸員の顔のイラストさとし学芸員です。この遺跡も僕が調査を担当したんで、何でも聞いてよ。
菅原孝標の女の顔のイラスト(菅原孝標の女)この丸いのが古墳?ずいぶん小さいですね。
なるみの顔のイラスト(なるみ)小さな古墳は永い年月で盛土が失われてしまうから、多くは発掘しないとわからないのよ。

72号墳と66号墳の周溝を柵で囲い、柵周りに土嚢が積まれた写真

2-2(上)手前から72・66号墳

さとし学芸員の顔のイラスト(さとし学芸員)写真の向かって左側が最大規模の72号墳。周溝の外法径30メートル、内法径で23メートルあるよ。周溝内には古墳時代中期の土師器片が流れこんでたんだ。
なるみの顔のイラスト(なるみ)画面奥の森が二子塚古墳の後円部ね。

70号竪穴状遺構出土の土師器坩3点の写真
手を口に当てている菅原孝標の女のイラスト

菅原孝標の女の顔のイラスト(菅原孝標の女)うわあ、かわいいツボ。完品じゃないですか。
なるみの顔のイラスト(なるみ)お祭りなんかに使った小型丸底壺で、「坩」(かん)と呼んでます。
さとし学芸員の顔のイラスト(さとし学芸員)写真2-2に見える66号墳は、竪穴のような遺構の上に造られたことがわかっている。その竪穴状遺構から、上の坩3点が発見されてるんだ。このほかに高杯も見つかってるから、古墳を造る前にお祭りをした跡なのかもしれない。
これらは「土師器」と呼ばれる古墳時代中期の土器で、5世紀前半に使われたものだ。考古学では「和泉(いずみ)式」に分類されてるよ。

古墳と竪穴住居跡の周溝で数名の作業員が発掘調査をしている写真

2-3(上)48号墳と52号住居

古墳の周溝などを調査している作業員の写真

2-4(上) 69号・72号墳。二子塚古墳側から撮影。

14年度調査の48号墳と15年度調査の69号墳からは、黒斑のある円筒埴輪が出土しています。

48号墳で発見された円筒埴輪出土の写真

48号墳 円筒埴輪出土状況

69号墳で発見された円筒埴輪出土の写真

69号墳 円筒埴輪出土状況

波のような櫛描きのある48号墳出土円筒埴輪の写真
黒斑のついた円筒埴輪の写真
顔をしかめている、なるみのイラスト

菅原孝標の女の顔のイラスト(菅原孝標の女)ハニワの表面に付いた黒いシミが「こくはん」ですか。
なるみの顔のイラスト(なるみ)あれえ?黒斑って、野焼きで作る土器の特徴でしょう?関東地方の埴輪って、だいたい窯で焼くのよねえ。どうして黒斑が出るのかしら?
さとし学芸員の顔のイラスト(さとし学芸員)この埴輪は土器と同じような技術で焼いたんだよ。櫛描き文様と言い、珍しいよね。48号墳出土埴輪の上部をめぐる波みたいな櫛描きは、須恵器の文様みたいだから、房総の須恵器職人が形を作ったのかもしれないね。そう言えばちはら台の調査で草刈型土器・赤焼き須恵器っていうのも見つかってるし何か関係があるのかな。

墳丘下の皿状遺構で作業をしている作業員を写した写真

61号墳墳丘下の皿状遺構

墳丘下の皿状遺構の写真

66号墳墳丘下の皿状遺構

菅原孝標の女の顔のイラスト(菅原孝標の女)61・66・80・41号墳の真ん中にある堀込みは何なのかしら。
なるみの顔のイラスト(なるみ)お皿みたいに浅く掘り窪めてあるわね。
さとし学芸員の顔のイラスト(さとし学芸員)そう。墳丘下の遺構だね。古墳の土を盛る直前に、下で何かやってたんだろうねえ。ここからは高杯とか坩とか、古墳中期の土師器が見つかったんだ。さっきも話したけど、古墳を造るときのお祭りの跡かもしれないよ。

周溝を持たない墳墓の写真

85号土壙墓

木棺直葬墓を調査している写真

88号木棺直葬墓

菅原孝標の女の顔のイラスト(菅原孝標の女)あれ?堀で囲まないお墓もあるんですね。
なるみの顔のイラスト(なるみ)土壙墓(どこうぼ)と呼んでます。周溝もマウンドも無いんだから、古墳とは言えないわね。どんな階層の人が葬られたのかしら。
さとし学芸員の顔のイラスト(さとし学芸員)詳しくは解らないね。85号土壙墓には勾玉が1点供えられていたよ。
菅原孝標の女の顔のイラスト(菅原孝標の女)88号土壙墓は変わった形ですね。中心軸の深い凹みは何なのですか?
さとし学芸員の顔のイラスト(さとし学芸員)ああ、それは木製の棺(ひつぎ)を納めた跡だと思う。このような墓を「木棺直葬墓」(もっかんじきそうぼ)と呼んでます。ここからは鉄鏃(てつぞく。鉄製のヤジリ)が1点見つかってるね。

地面を円形や方形に堀りくぼめた竪穴住居跡の写真

65号竪穴住居跡

なるみの顔のイラスト(なるみ)この遺跡からは竪穴住居跡も発見されてますね。
さとし学芸員の顔のイラスト(さとし学芸員)うん。これらの住居は和泉式期の土師器を使っていたようだね。
菅原孝標の女の顔のイラスト(菅原孝標の女)それじゃあ、古墳群の築造期とあまり時間差がありませんね。
さとし学芸員の顔のイラスト(さとし学芸員)古墳の造られる直前までムラが営まれていたんだろうね。

剣形石製模造品の写真

(左)35号竪穴住居跡から発見された剣形の石製模造品

なるみの顔のイラスト(なるみ)ひとつ、まとめをお願いします
さとし学芸員の顔のイラスト(さとし学芸員)5世紀の上総地域は台地上にムラが少なく、むしろ低地の開発が活発に行われた時代だと思う。この遺跡を調べるとね、現在の水田が広がる場所に、最初に大規模な灌漑や開田を行い、地域国家を創っていった過程が見えてくると思うよ。そのうち群馬みたいに豪族居館が見つかるかもね。
菅原孝標の女の顔のイラスト(菅原孝標の女)勉強になりました。

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