なるみのイチオシ番外編

更新日:2022年04月18日

東海の血を引く市原の弥生土器

 弥生時代前期、関東地方はまだ縄文文化が根づいていました。しかし弥生文化の影響も徐々に強まっていったようで、市原市武士遺跡からは東海地方から運ばれた前期弥生土器が発見されています。

「そしてコレが問題の土器です」と右側の土器を手で示すなるみ(女性)のイラスト
黄土色で上の部分がポコポコと窪んだ模様で下の方が横縞模様になっている樫王式(かしおうしき)土器の破片のイラスト

樫王式(かしおうしき)土器と言います。荒海式期ごろの縄文晩期集落に持ち込まれたものです。弥生土器が入ってくるのだから、穀物とか、けっこう手広く栽培してたんでしょうね…

全体をイメージするとこんな壺になります

茶色の土器の縁に貝殻の表面のギザギザの部分で撫でて模様をつけるイラスト
樫王式(かしおうしき)土器の破片から想像する花瓶の底を尖らせたような土器全体のイラスト

東海地方弥生土器の特徴

 表面にスジが入る土器が多いみたい。このスジ、貝殻で付けているので、「貝殻条痕文」(かいがらじょうこんもん)と言うそうです。縄文時代から使われている文様なので、東海の弥生人は縄文文化の伝統を受け継いでいたと言えそうかしら?

市原市唐沢遺跡の東海系土器

花瓶の底を尖らせた様な土器に線の模様が入っているイメージのイラスト
「やっぱりこれも条痕文の土器なんですね…」とコメントするなるみ(女性)のイラスト

 ようやく関東に集約的農耕が普及しつつあった弥生時代中期初頭でも、やはり東海の影響を色濃く受けた壺が唐沢遺跡から発見されています。

市原市域に息づいた弥生土器(須和田式土器)

さまざまな形、模様の5つの土器のイメージイラストが描かれており、左から2、3番目の下の方までびっしりと線の模様が彫られた土器に赤い矢印が付いているイラスト

 弥生時代中期、ようやく市原市域で弥生土器が作られるようになりますが、条痕文を使ったものが多いと思います。東海の血を引いてるのでしょうね、やっぱり。くらしを代表するアイテムがそうなのですから、弥生文化自体も、主に東海から伝播したのでしょうか。
 ちなみにこのイラストは県内各地の須和田式土器を適当にチョイスしたもので、一括出土したものではありません。須和田ファミリーについては、次回のレポートを見てください。

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