KD-02上総国分尼寺跡

更新日:2022年04月25日

上総国分尼寺跡

天平13年(741)の聖武天皇の詔によって、全国60か所余りに建てられた国立寺院で、正しくは法華滅罪之寺と呼びます。寺域は全国最大規模を誇り、発掘調査によって付属施設を含めた古代寺院の全貌が初めて明らかになった国分尼寺跡として、主要部が国指定史跡としてほぞんされているほか、ガイダンス施設の史跡上総国分尼寺跡展示館と中門・回廊復元建物を公開しています。

南北372m、東西は北辺で285m、中央で350m前後、12.3万平方メートル、諸国最大の国分尼寺で、大和法華寺に匹敵します。

仏教全般を取り仕切り、鎮護国家の役割を担っていました。

国分尼寺の本尊を祀る金堂(本尊は釈迦如来像)を中心に回廊が巡り、中門がつきます。

この回廊、中門に囲まれたエリアを金堂院と呼びます。この周りには、鐘撞き堂の鐘楼、経典を保管する経楼、経典の講義や説教をする講堂、生活空間である尼坊、尼僧が事務を行う政所院、尼僧の日常生活にかかる大衆院、建物の修理をする大工や金工の工房である修理院、薬草や野菜、花などを栽培した薗院・花苑院、寺の雑役などに従事した人たちの居住する賎院等、上総国分尼寺を維持するうえで必要な様々な施設が置かれました。

幾度の発掘調査により、上総国分尼寺跡から様々な遺物が出土しました。出士した遺物多くの瓦や土器類、釘やヤリガンナ等の鉄器類をはじめ、焦げた木製の螺髪、数珠玉等の特殊な遺物の他に「川成」、「法證」、「佛勝」等、尼僧と思われる文字が書かれた墨書士器も出士しています。

上総国分尼寺跡螺髪

上総国分尼寺跡出土螺髪

上総国分尼寺跡寺名瓦

上総国分尼寺跡出土寺名瓦