YW-03 飯香岡八幡宮

更新日:2022年04月25日

飯香岡八幡宮拝殿正面の写真

白鳳年間の創建、一国総社八幡宮と称したと伝えられます。中世の史料に見える市原八幡宮は前身社で、鎌倉・室町両幕府に篤く保護されました。近世以降は、安産子育てを願う民衆にも広く信仰されました。室町時代の建造とされ国の重要文化財に指定されている本殿や、足利義満が奉納したとされる至徳元年(1384)銘の神輿、境内の夫婦銀杏等、多くの文化財を有しています。

境内文化財

飯香岡八幡宮本殿の写真

飯香岡八幡宮本殿(重要文化財)

正面3間、側面2間の総丹塗(そうにぬり)や銅板葺(どうばんぶき)の屋根が印象的な入母屋造(いりもやづくり)となっています。太い木組や組物・彫刻・面取角柱(めんとりかくちゅう)などの部材は力強く簡素で、室町時代末期の特色を示しています。県内の神社建築においても重要文化財に指定されているのは、佐原市にある香取神宮(かとりじんぐう)本殿と本社のみです。

飯香岡八幡宮拝殿の写真

飯香岡八幡宮拝殿(県指定文化財)

正面5間・側面3間の身舎(もや)に梁間3間の向拝庇(ごはいひさし)が付き、本殿と同様に総丹塗(そうにぬり)の建物です。幣殿(へいでん)によって本殿と接続される、いわゆる権現造の形式を取っています。屋根は銅板葺(どうばんぶき)の入母屋造(いりもやづくり)で、正面に唐破風(からはふ)および千鳥破風(ちどりはふ)が付いています。細い木組、彩色された海老紅梁(えびこうりょう)・木鼻(きばな)・蟇股(かえるまた)内彫刻など、本殿にくらべて華麗であり、建築年代の差がみてとれます。現在の建物は、墨書銘によって元禄4年(1691)に再建されたことが分かりました。

夫婦銀杏の写真

飯香岡八幡宮の夫婦銀杏(県指定文化財)

社伝によると、天武4年(675)3月、八幡宮勧請の際に、勅使桜町中納言季満卿によって植えられた記念樹であると伝えられています。地上2.8mのところから二股に分かれて相対しているので、この夫婦銀杏の名がつけられました。葛飾北斎の漫画にも登場するなど、その存在は江戸時代から広く知られていました。太さは目通り約11m、高さは各々16mと17mを測ります。

さかさ銀杏の写真

飯香岡八幡宮のさかさ銀杏

治承4年(1180)、石橋山の合戦に敗れ房総半島に逃れてきた源頼朝が、源氏再興を祈願して本宮に銀杏をさかさにして植えたと伝えられます。

飯香岡八幡宮所蔵の文化財

漆塗金銅装神輿の写真

漆塗金銅装神輿(うるしぬりこんどうそうみこし)(県指定文化財)

飯香岡八幡宮には、中世・近世・現代の3代にわたり、一の宮、二の宮、三の宮、若宮の12基の神輿があります。このうち、中世の神輿は、照り起りのある宝形造の屋根や基台周辺の瑞垣を板玉垣にするなど、室町時代の建築・工芸様式を示しています。また、一の宮の天井板から発見された至徳元年(1384)銘の墨書は、神社の縁起と一致します。写真は一の宮で高さ1.65m、幅1.14m。屋根の4面に菊と桐の紋を交互に浮彫しています。飯香岡八幡宮所蔵。

飯香岡八幡宮の大太刀

大太刀(市指定文化財)

全長163cm、刃長130cm、反り3.5cmの奉納用の大太刀です。銘文に、天正20年(1592)8月15日、本多弥八郎正綱が、大納言徳川家康の武運長久を祈って飯香岡八幡宮に寄進したものと記されています。正綱は本多弥八郎正信のこととみられ、八幡に五千石を領していました。元禄12年の「飯香岡八幡宮由緒本記」によると、平井和泉守の作とあります。飯香岡八幡宮所蔵。

当世具足

当世具足11領及び残欠一括(写真はそのうち1領)(市指定文化財)

室町時代末期から江戸時代中期(16世紀後半~18世紀)の製作と思われます。当世具足とは、室町時代後期から安土桃山時代にかけての戦乱期に生まれた甲冑のことで、平安時代までの大鎧に比べて機能性を重視したものです。11領については、ほぼ完全な形で残っており、工芸的にも、研究上でも貴重な資料です。飯香岡八幡宮所蔵。