ここまでわかった市原の遺跡 西広貝塚展2
西広貝塚の発掘調査

展示風景 このブロックはパネルによる展示で西広貝塚発掘調査の様子を解説しています。
西広貝塚は、東京湾東岸に位置する縄文時代後期の大規模貝塚として、既に戦前からその存在が知られ、何度かの学術調査や測量調査がおこなわれています。しかし、都心からは遠く、交通の便もあまりよくなかったため、市川や千葉市域にある堀之内貝塚・加曽利貝塚など有名な貝塚とは違って、遺物目当ての発掘調査が繰り返されるということもありませんでした。遺跡周辺は長く雑木林や畑となっていたため、遺跡の保存状態としては極めて良好であったといえます。
この遺跡が本格的に発掘調査されるようになったのは、昭和47(1972)年のことです。市役所周辺の国分寺台地区の街づくりが本格的におこなわれることになり、西広貝塚のある場所にも道路や住宅の建設が予定されました。このため、工事によって失われる遺跡の記録を残すことを目的とした発掘調査がおこなわれることになりました。
発掘調査はこの年におこわれた第1次調査以後7回にわたって続けられ、断続的ではありますが、約10年間をかけて大規模な貝塚の大部分を掘りつくしました。大規模貝塚の全域調査は全国的にも珍しく、各調査段階では貴重な発見も相次ぎました。しかし、現代の街づくりのために貴重な遺跡が永久に失われたてしまったこともまた事実で、この発掘調査の記録を明らかにし、後世に伝えながら残された資料を保存・活用していく必要があります。
市原市内の縄文貝塚の特徴
市原市には、およそ40箇所の縄文貝塚があります。それらは主に、村田川・養老川沿いの台地上に立地しますが、まれに低地上の貝塚も発見されています。
千葉市域などと異なり、縄文中期以前の貝塚が少なく(早・前期のものはほとんどない)、これに対し後期の貝塚が比較的多いのが特徴です。
とくに、国分寺台周辺には、規模の大きな貝塚が集まっています。西広貝塚はその代表です。
市原市内の貝塚分布図

No | 貝塚名 | 所在 | 種別 | 時期 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 手永 | 菊間手永 | 馬蹄形 | 後期から晩期 | 消滅 |
2 | 北野谷 | 菊間字姫宮北野前 | 地点 | 不明 | 一部削平 |
3 | 福寿院 | 菊間字柿込 | 地点 | 不明 | 福寿院境内 |
4 | 実信 | 菊間字実信860 | 地点 | 中期から晩期 | 県調査 |
10 | 門前 | 門前一丁目 | 馬蹄形 | 中期から晩期 | ほぼ消滅 |
11 | 向原 | 郡本680他 | 地点 | 不明 | なし |
12 | 根田 | 根田字根田 | 地点 | 不明 | 根田神社 |
13 | 亥の海道 | 山田橋字表通 | 地点 | 後期 | 2地点 |
14 | 大山台 | 山田橋字大山台 | 地点 | 中期から後期 | なし |
15 | 祇園原 | 根田字祇園原 | 馬蹄形 | 後期 | 一部保存 |
18 | 西広 | 西広字上ノ原 | 馬蹄形 | 後期から晩期 | 消滅 |
19 | 山倉 | 山倉字南貝塚 | 環状 | 中期から後期 | 一部保存 |
20 | 若宮 | 山倉字若宮 | 地点 | 不明 | 切り通し面 |
21 | 下中貝 | 能満字下貝塚 | 地点 | 不明 | 分廻貝塚 |
22 | 堂谷 | 山倉字堂谷 | 馬蹄形 | 中期から後期 | なし |
23 | 山倉天王 | 山倉字西猿子谷 | 馬蹄形 | 後期から晩期 | 一部削平 |
24 | 上小 | 能満字上小貝塚 | 地点 | 中期から晩期 | なし |
25 | 分区 | 能満字貝殻塚 | 馬蹄形 | 中期から晩期 | なし |
26 | 小田部 | 小田部字打越台 | 地点 | 中期から晩期 | 2地点 |
27 | 烏堀込 | 能満字烏堀込 | 地点 | 中期から後期 | 5地点 |
28 | 小谷吹上 | 小田部字小谷吹上 | 地点 | 中期から後期 | なし |
29 | 武士 | 勝間字土器石 | 地点 | 後期から晩期 | 土器石貝塚 |
30 | 草刈 | 草刈字下切付 | 馬蹄形 | 中期から後期 | 下切付貝塚 |
31 | 鎌之助 | 潤井戸字鎌之助 | 地点 | 後期から晩期 | なし |
32 | 西鹿ノ原 | 番場字鹿ノ原 | 馬蹄形 | 中期から後期 | 2地点 |
33 | 多竜台 | 喜多字多竜台 | 弧状 | 中期から晩期 | なし |
34 | 下鈴野 | 潤井戸字上清水谷 | 地点 | 中期から後期 | なし |
35 | 妙経寺 | 姉崎字養老町 | 弧状 | 中期から後期 | なし |
36 | 台 | 姉崎字台 | 馬蹄形 | 早期から前期 中期から晩期 | 鬼子母神貝塚 |
37 | 下中台 | 椎津字下中台 | 地点 | 早期から前期 | 2地点 |
38 | 諸久蔵 | 海保諸久蔵 | 馬蹄形 | 中期から晩期 | 一部削平 |
39 | 分目 | 宮原字布谷台・堂谷 | 地点 | 不明 | 2地点 |
40 | 瓜ヶ岱 | 高坂字北瓜岱 | 地点 | 後期から晩期 | 3地点 |
41 | 山見塚 | 立野字山見塚 | 地点 | 後期から晩期 | 太田法師貝塚 |
42 | 瀬戸崎 | 深城字瀬戸崎他 | 馬蹄形 | 後期から晩期 | 深城貝塚 |
43 | 上高根 | 上高根字塚越 | 地点 | 中期から晩期 | 最奥部3地点 |
国分寺台付近の貝塚

- 能満上小貝塚
- 山田橋亥の海道貝塚
- 根田祇園原貝塚
- 西広貝塚
- 山倉貝塚
- 山倉堂谷貝塚
- 山倉天王貝塚
- 能満分区貝塚
- 小田部貝塚
- 能満烏堀込貝塚
- 小田部小谷吹上貝塚
- 武士遺跡
発掘調査の経過
調査次 | 調査区呼称 | 調査地点 | 調査年度 | 特記事項 |
---|---|---|---|---|
1次 | なし | 中央平坦面(中央広場) | 1972・73年度 |
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2次 | SS1 | 南側平坦面(遺構ほか) | 1980年度 | 曽谷から安行式の大型住居検出 |
3次 | S1~S5 | 北端部平坦面・包含層 | 1981年度 | なし |
4次 | S6・S8 | 西側斜面貝層 | 1982年度 |
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5次 | SY | 南側斜面貝層 | 1983年度 | 南側斜面に形成された住居と貝層 |
6次 | SO | 南側斜面貝層 | 1984年度 | 同上 |
7次 | セ53 | 東側平坦面貝層 | 1986・87年度 |
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遺跡の概要
西広貝塚は、南側に開口部をもつ直径約150メートルを測るいわゆる馬蹄形貝塚です。とくに、西側の斜面部に堆積していた貝層は厚く、最大2メートルにもおよびます。貝層の主体は縄文後期のものですが、関東地方では珍しい晩期の小規模な貝層もみつかっています。
縄文時代中期末~晩期中葉までの住居跡や土坑、貝層中や貝層下からは多数の埋葬人骨やイヌの埋葬も発見されました。
集落の中央広場付近からは、土偶・土板・石棒など祭祀関係の道具類、多量の獣骨などが多量に出土しています。
貝層の分布

この記事に関するお問い合わせ先
市原市埋蔵文化財調査センター
〒290-0011 千葉県市原市能満1489番地
電話:0436-41-9000
ファックス:0436-42-0133
メール:bunkazai-center@city.ichihara.lg.jp
休所日:土曜日・日曜日・祝日
更新日:2022年04月18日