042西広貝塚の小型石鏃

更新日:2022年04月18日

近藤 敏

遺跡所在地

西広6丁目

時代

縄文時代後期

今は無き、西広貝塚調査地点

写真は1974年頃に撮影されたものです。西広貝塚の確認調査(本格調査前の準備段階)が終わって、南側の山倉古墳群を調査している時期の空中写真です。上が北方向で、右側南北の道路が国道297号線、Y字形に分岐する道路が市役所通りにあたります。黄色の丸線は、西広貝塚の環状貝塚の大まかな範囲を示しています。

南北に道路が走り、それにY字型に分岐して道路が走っている。道路の周辺位は田んぼや畑が広がり、山岳部には住宅地がある様子を上空から見た写真

 10年に及ぶ大規模調査の終了後、膨大な出土遺物を対象に整理作業を進め、最初の調査から実に35年後の2007年に西広貝塚の最終的な報告書を刊行することができました。しかし、区切りのついたはずの整理資料を改めて確認すると、報告対象からやむをえずはずれた遺物もいくつか出てきました。今回は報告の補遺として、新たに見つかった石鏃せきぞくについて触れたいと思います。

上部には高さ2センチメートル以上の石鏃が2つ並び、下部には高さ2センチメートル未満の石鏃が6つ並んだイラスト

普通の石鏃1と小さな石鏃2・3
1:メノウ製 1.3グラム 2:黒曜石製 0.4グラム 3:黒曜石製 0.4グラム

上記写真の石鏃の詳細
番号 調査次 遺構・グリッド 列・地点 層位 取り上げ番号 層位大区分 遺物回収方法 器種 石材 遺存状況 最大長(センチメートル) 最大幅(センチメートル) 最大厚(センチメートル) 重量(グラム) 備考
1 5 SY12-1-5 なし なし なし なし 簡易フルイ 石鏃 メノウ 完形 2.82 1.49 0.43 1.3 腹面に1次剥離面
2 7 東側平坦貝層 5-1区 4×4メートル貝層 なし なし 簡易フルイ 石鏃 黒曜石 完形 1.53 1.06 0.245 0.4 先端側面のみ調整
3 7 現地フルイ 4-5区 II層 なし なし 簡易フルイ 石鏃 黒曜石 方脚欠け 1.09 1.04 0.285 0.4 抉り微細調整

市原市教育委員会2007『市原市西広貝塚III』の第171表に追加

こんなに小さくて使えるのか?

 石鏃は、狩猟を目的とした弓矢の矢柄やがら(棒の部分)の先端につけるヤジリです。
 本来、矢鏃はある程度の大きさが必要です。あまり軽く、小さくなると矢柄の先端への装着が難しくなり、発射時に直進性も悪くなってしまうからです。
 上図下段の小さな石鏃は、機能的な面を考えると難点があるように思えます。初めからこの大きさに作ったのでしょうか。
 もしかすると、普通の石鏃が猟に使用されて欠けたりしたものが、再生加工により次第に小さくなったため(石器は減る一方です)、最終的に1グラムにも満たないサイズになったのかもしれません。黒曜石などのガラス質の石材は地元ではほとんど得られない貴重な物資だったことも無関係ではないでしょう。

先の凹部分はハサミのような形状をし、根元に向かい細くなる、長さ4センチメートル程度の根挟みのイラスト

千葉県流山市三輪山貝塚出土骨角製根挟み(MMS8-3-11号-108)(縄文時代後期中葉土坑出土)
上の網掛け部は同じ遺構から出土した石鏃の大きさ 写真からの概要図(流山市教育委員会2008より)

根挟みの登場

 西広貝塚が形成された縄文時代後期、今までになかった骨角器が新たに登場します。それは、「根挟みねばさみ」と呼ばれる「鏃と矢柄をつなげる中間柄」です。先の凹部分に鏃を挟みこみ、根元の細い部分を矢柄に差し込んでつなぎます。
 矢柄と鏃とのバランス調整や、鏃のすばやい着脱、交換ができる優れた道具である根挟みは、縄文時代晩期に全国で多用されるようになります。西広貝塚では縄文時代晩期までの生活痕跡が残されていますが、根挟みは1点だけが見つかっています。

 鋭利な刃部は必要最小限の石材から得て、石鏃だけでは崩れる重さのバランスは繰り返し使える根挟みを利用する。西広貝塚の小さな石鏃はこの一工夫があってこそ活用できた道具だったのでしょう。

参考文献

市原市教育委員会2007年『市原市西広貝塚III』
流山市教育委員会2008年『三輪野山貝塚発掘調査概要報告書』流山市埋蔵文化財調査報告Vol.40

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