031潤井戸鎌之助遺跡の立ったままの石棒
鶴岡英一
遺跡所在地
潤井戸
時代
縄文時代
潤井戸鎌之助(うるいどかまのすけ)遺跡では、33号遺構と名付けた竪穴住居跡から、3点の石棒(せきぼう)が出土しています。この住居跡は縄文時代中期の終わりごろにつくられたもので、出入り口施設を持つ柄鏡形(えかがみがた)住居と呼ばれる形態です。床面には焼土が広がっていますので、最終的に住居を燃やして、廃棄する行為が行われたようです。

石棒が出土した住居跡
(住居が廃絶したあと、土器や貝が捨てられている)
石棒は、その名のとおり石を棒状に加工したもので、男性性器に似ることから、偶然掘り起こされたものが神社の御神体にされていることがあります。縄文時代中期以降に多く出土し、東日本を中心に分布します。
被熱して破損するものや、焼失した住居跡から出土することが多いため、燃えさかる炎とともに何らかの「まつり」が行われたと考えられ、鎌之助遺跡の事例もこれに当てはまります。石棒の形状から、男性に関わりが深い道具と考えられますが、生殖行為や成年男子の仲間入り、あるいは狩猟などの男性社会にまつわる活動に対し、祈りを捧げていたのでしょうか。

立ったまま出土した石棒と埋甕の出土状況
出土した石棒のうち1点は、出入り口付近の床面に突き刺した状態で出土しました。使われているのは緑泥片岩(りょくでいへんがん)という緑青色をした石で、別名長瀞石(ながとろいし)とも呼ばれます。荒川上流域の秩父周辺が原産地として知られていますので、これらの地域からもたらされたと考えられます。緑泥片岩は、薄くはがれて平らに加工しやすい特性から、中世の板碑(いたび)の石材としても盛んに利用され、鎌之助遺跡からほど近い草刈六之台遺跡からも出土しています。

凹みが付けられた石棒
石棒の表裏両面には、ほぼ一直線に並ぶ凹みが付けられ、クルミなどナッツ類の殻割り用具である凹石(くぼみいし)としての機能をあわせ持っていたことが考えられます。ある一時期石棒としての機能を失っていたのか、あるいは「まつり」の時以外は実用具として利用されていたのかもしれません。
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更新日:2022年04月18日