ノート003ハケメを読む【考古】
Reading the Bar code 山倉1号墳の円筒埴輪からわかること
研究ノート
小橋健司
ハケメ
土器や埴輪は粘土が主な材料なので、つくるときの痕跡がいくつも残っています。時にはそれらによって、作る道具がどのようなものだったかわかることがあります。わかりやすいのは、土器の底に敷いてあった葉っぱの痕です。これは、土器が作業面に貼りつかないようにしたものです。他には、粘土をこねたり延ばしたりする台板や、紋様をつける縄や櫛状工具、叩きしめる羽子板状工具などの道具が推定復元されています。
そのような痕跡の一つに、「ハケメ」(刷毛目)があります。ハケメは、土器や埴輪の表面を平らにして、筋目をつける技法です。何本かの筋がまとまって平行に並んで長くのびているのが特徴です(写真1左)。装飾としての意味合いはあまりないようで、紋様を描くことは少ないようです。このハケメは、カマボコの板を薄くしたような板材(針葉樹が多い)の木口を擦ることによって施されていることが、横山浩一さんの実験によって明らかにされています(横山1978)。

写真1 ハケメ(左)

写真1 円筒埴輪(右)
山倉1号墳の埴輪
さて、山倉1号墳は人物埴輪でひろく知られているのですが、円筒埴輪も80本以上出土しています。朝顔形をのぞいた円筒埴輪は、高さが40センチメートル強、口縁の幅が20センチメートル強で、凸帯が2本あり、その間に透孔が向かい合って2つあるという点で共通します(写真1右)。これらは遠くから見るとみんな同じに見えます。ですが、ぐっと近くに寄ってみると、また違った共通点を見つけることができるのです。もうおわかりかと思いますが、それがハケメというわけです。
山倉1号墳の円筒埴輪の内外面を観察すると、工具が器面にぶつかった痕があって、下から上に向かってハケメ工具が動いていたことがわかります。幅は3センチメートルほどで(写真2)、ほぼまっすぐに、底の方から口縁部まで途切れずにつながっているものがほとんどです。40センチメートル前後の大きさなので、上からのぞき込むような姿勢でハケメを施したようです。
ハケメには条線間隔(目)の粗いものや細かいものがあり、また、条線の間隔だけではなく、進行方向のどちら側が深いか、など微妙に異なっています。ただ、各埴輪ごとでみんな違うのではなく、同じパターンがいくつかにわたって見られるのです。
このことに注意して、できるだけ器面に幅広く当たったハケメを選んで、進行方向に直角に置いた紙(写真2)に写し取ることによって、13パターンのハケメを識別することができました(このうち1組が逆向きで一致するので12パターンなのかもしれませんが、ほかのハケメはなぜか一方向にしか向いていないので、これらも別々に数えることにしました)。各パターンの全体幅はだいたい6センチメートル程度ですので、埴輪を焼き上げる前に器面に当てられた工具の幅は、それぞれの1〜2割増しだったようです。

写真2 山倉1号墳出土埴輪のハケメ
また、このようにハケメを見分けてみると、だいたい他の特徴のまとまり方と一致することがわかりました。一例を挙げると、器体が凸帯間で太くなり口縁が若干広がる、ヨコナデがきつくて口縁端部がくぼむ、凸帯が立体的である、底部内面にヘラケズリをする、透孔のフチを稜がなくなるほどなでる、などの特徴を持つ一群の円筒埴輪と、あるパターンのハケメがちょうど対応するのです。これはどういうことかというと、大胆に推測すれば、作り手の個性が反映されているのだと思います。つまり、ハケメの識別結果は、作り手の違いをもあらわしているようなのです(詳しくは報告書をごらんください)。
生出塚遺跡のハケメ
さて、山倉1号墳の埴輪は、人物埴輪などの特徴と胎土分析から、今の市原市近辺で焼かれたのではなく、80キロメートル以上も離れた埼玉県鴻巣市にある埴輪窯跡、生出塚(おいねづか)遺跡からもたらされたと考えられてきました(山崎1987、車崎1988、三辻1994等)。最近では、本当によく似た埴輪片がP地点・46地点から出土しており、その関係はほぼ間違いないと言われています(山崎1999)。
その説を確かめるために山倉1号墳のハケメと生出塚遺跡P地点のハケメを見比べてみたのですが、なんと、というか、やはりというべきか、見事に一致するのです(写真3)。しかも、P地点とP地点に隣接する46地点の円筒埴輪の中から、半分以上の種類で合致するものを確認できました。

写真3 一致したハケメ

埴輪の作りが共通で、胎土の成分が似ていて、ハケメが一致する、ということは、まさにそこが生産地であることを示しています。じつは、生産地と供給先の関係がこのように確定するのは、きわめてまれなことです。山倉1号墳の場合は、発掘調査直後から注目されて検討が重ねられてきたことが幸いしたのでしょう。
もし埴輪に作り手の個性が反映されているという見方が正しければ、今後、生出塚遺跡の埴輪生産体制の復元に、山倉1号墳の検討結果が役に立つことは間違いありません。結果として、山倉1号墳のハケメの識別作業は、地道な作業から重要な事実が導かれるという理想的な展開をした事例になったのでした。
参考文献
- 車崎正彦1988年「埴輪の作者」『早大所沢文化財調査室月報』No.34 早大所沢校地文化財調査室
- 小橋健司2004年「山倉1号墳出土埴輪について」『市原市山倉古墳群』市原市教育委員会
- 三辻利一1994年「千葉県内の古墳出土埴輪の蛍光X線分析」『千葉県文化財センター研究紀要』15 財団法人千葉県文化財センター
- 山崎武他1987年『鴻巣市遺跡群II 生出塚遺跡(A地点)』埼玉県鴻巣市教育委員会
- 山崎武1999年『生出塚遺跡P地点』埼玉県鴻巣市教育委員会
- 横山浩一1978年「刷毛目調整工具に関する基礎的実験」『九州文化史研究所紀要』第23号 九州大学文化史研究施設
- 横山浩一1993年「刷毛目板の形状について」『論苑 考古学』坪井清足さんの古稀を祝う会
- 早稲田大学文学部考古学研究室2002年『埴輪を造る −実験考古学の挑戦−』早稲田大学會津八一記念博物館
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更新日:2022年04月18日