ノート040能満分区貝塚からみつかったイモガイ製品【考古】

更新日:2022年04月18日

-資料から読み解く素材調達のようす-

研究ノート

忍澤成視

はじめに

 ここに紹介する貝製品は、平成24年度に民間の住宅建設などにともなっておこなわれた市原市内遺跡発掘調査の際の出土資料です。整理・報告は翌25年に実施され、先頃報告書が刊行されました。資料は、能満遺跡群(貝殻塚地区)のものです。詳細は下記リンクの「集30 平成25年度市原市内遺跡」の箇所をご覧ください。

 この遺跡は、市内能満に所在し、縄文時代後期の大規模貝塚として知られる西広貝塚の東約2キロメートルほどに位置します。かつて能満分区貝塚として貝層範囲の測量調査がおこなわれています。貝層の分布範囲は最大径約150メートルにもおよび、市内に数多く存在する大規模貝塚の一つとしてとらえられています。今回の調査は、貝層分布範囲の東端にあたる箇所のもので、住居跡など遺構内やその外部に堆積した貝層がみつかり、サンプリングと内容物の分析をおこないました。貝製品はこれらの貝層中から出土したものです。

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写真1 能満分区貝塚からみつかったイモガイ製品

貝製品

 資料は2点あります。写真1の1は径30×20ミリメートル・厚さ11ミリメートル、2は径20×20ミリメートル・厚さ7ミリメートル、いずれも素材はイモガイですが、殻頂部のみが残りその中央に穴があいています。その形態からペンダントなどに使ったものとみられます。

イモガイ

 イモガイ類は、円錐形の特徴的な形態をし、殻頂部は渦巻き状、殻質は概ね堅牢で体層部には様々な紋様があります。温かい海を好む貝なので、主として房総半島以南、沖縄や奄美諸島など珊瑚礁に囲まれた海域に多く生息し、日本列島には160種以上が知られています。南房総は、付近を黒潮が流れるため、南方系の魚類や貝類が比較的多くみられることが知られていますが、イモガイ類で確認できるのは、写真2に示した5種類が主なものです。
 能満分区貝塚の貝製品の素材は、大きさや形態からみてリシケイモ・ハルシャガイ・サヤガタイモのうちのいずれかでしょう。
ところで、この写真の下段に写るマガキガイは、形態がイモガイに似ていますが全くの別種です。しかし、イモガイと同じように温かい海域にいて、縄文時代の貝塚からも加工品がよく見つかるので参考に掲載しました。

上、左からリシケイモ、サヤガタイモ、ベッコウイモ、ハルシャガイ、ベニイモ、下、マガキガイの写真

写真2 房総半島でみられるイモガイ類

素材の調達方法

 さて、これらイモガイはどのようにして採集されたのでしょうか。貝というと、日常的に食べていたハマグリやアサリのように、生きたものを採集していたのではと思いがちです。イモガイは海の浅いところに生活するものが多く、潮が引いたとき水たまりのようになるタイドプールと呼ばれる場所でよく見かけます。しかしこういった場所でたくさんの個体を集めることは難しく面倒です。食べることではなく、装身具の素材にするのが目的ならなおさらです。

左:貝類が打ちあがった波打ち際の写真、右:たくさんの種類の貝殻の写真

写真3 タカラガイ・イモガイ類がたくさん打ち上がる館山市波左間の海岸

 写真3左は、東京湾に面した館山湾にある波佐間という海岸です。ここは、砂浜と岩場が交互に連なる場所で、貝類がたくさん打ち上がることで有名です。台風や冬場の時化の後に波打ち際を歩くと、写真3右のようにイモガイやタカラガイ、そのほか多種多様な貝を一度に沢山拾い集めることができます。

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写真4 海岸に打ち上がるイモガイ貝殻の状態

 写真4は、こうして拾い集めたイモガイの状態を、完全な形のものが壊れて変形していく様子がわかるよう、順番に並べたものです。左から右へ眺めてみると、イモガイの堅い貝殻のうち、比較的弱い中央部が最初に破損し、やがて上下で分離して最も丈夫な内面が渦巻き状の殻頂部が残り、やがてその中央に穴があくことがわかります。

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写真5 西広貝塚からみつかったイモガイ

 写真5は、西広貝塚からみつかったイモガイです。これまで縄文時代のイモガイ製品は、一つの遺跡からあまり多くみつかることはありませんでしたが、この遺跡では何と貝層中から150点も出土し、さらに写真のように未加工・加工途中・完成品と様々な状態のものがあることがわかりました。先ほどみた、館山の海岸に打ち上がる色々な状態のもののほとんど全てが見られるのです。このことから、西広貝塚のムラでは、装身具の材料採集を目的とした南房総の海岸への遠征が時折おこなわれ、拾い集めた材料の加工をおこなった後、その一部が貝塚に残されたと推定しました。西広貝塚では、イモガイの他にも、500点を超えるタカラガイやアマオブネガイなど南房総特有の巻貝類が多数みつかっています。

左:手のひらに乗ったイモガイの貝殻(外面)の写真、右:手のひらに乗ったイモガイの貝殻(内面)の写真

写真6 能満分区貝塚にイモガイ素材が持ち込まれた際の状態(推定)

 さて今一度、能満分区貝塚出土の2点のイモガイを見てみましょう。1は、中央に穴があき表裏ともに摩耗していますが、人為的な研磨痕は見あたりません。おそらく、写真4のうち5や6の段階にあるものが海岸で拾われ、そのまま使われたのでしょう。2には、表裏面そして側面に明らかに人為的に研磨した面取り痕が見られます。写真4のうち4の段階程度の個体が拾われ、余分な箇所が研磨除去されて仕上げとして中央部が研磨穿孔されたのでしょう。写真6は、素材貝が拾い上げられた時の状態を推定したものです。写真のAの個体が資料の1に、写真のBの個体が資料の2にあたると思われます。Aの個体はよく水磨され余計な部分がなく、中央に穴まであいているのでこのままの状態で使えます。一方、Bの個体は内面にいびつな出っ張りが残り、中央に穴があいていないので、余計な部分を除去し中央に穴をあけるために部分的な研磨処理が必要です。

おわりに

 今回、能満分区貝塚からみつかった貝製品はわずかな数でしたが、この資料からはこれまであまり知られていなかった、南房総特有の貝の調達と加工という縄文時代の人びとの行為の痕跡を知ることができます。この遺跡は、西広貝塚とほぼ同時期のものであることから、もしかしたら西広ムラで作られた製品が隣ムラにもたらされたものとみることができるかもしれません。イモガイの加工品は、同じように西広貝塚に至近の祇園原貝塚からもみつかっています。

参考文献

市原市教育委員会2014「平成25年度 市原市内遺跡発掘調査報告」『市原市埋蔵文化財調査センター調査報告書』第30集
市原市教育委員会2007「西広貝塚3」『市原市埋蔵文化財調査センター調査報告書』第2集
財団法人市原市文化財センター1994「能満分区貝塚」『市原市文化財センター年報 平成元年度』
忍澤成視2004「縄文時代のイモガイ製装身具-現生貝調査からみた素材供給地と入手方法-」『動物考古学』21
忍澤成視2007「縄文時代における房総半島の貝材利用の実態-千葉県市原市西広貝塚の貝製装身具の分析結果を中心として-」『動物考古学』24

この記事に関するお問い合わせ先

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