ノート029出羽三山信仰の考古学【考古】

更新日:2022年04月18日

研究ノート

出羽三山信仰の考古学 市原市域1 牧野光隆

「埋蔵文化財」と現代の地域文化

 考古学の花形といえば、古墳、貝塚、邪馬台国と相場が決まっていますが、そんな方々にお会いできる機会は極めてまれです。われわれが行う発掘調査のほとんどは、開発によって消えゆく埋蔵文化財(=遺跡)の詳細な記録を残すための調査で、何かを見つけようとして、というより、何かが失われてしまうから、という消極的なものだからです。よく発掘現場で「趣味を仕事にできていいですね!」なんて声を掛けていただきますが、それはそうとして、担当者は開発で遺跡がなくなる最前線にいるわけですので、やや複雑な気持ちで現場に臨んでいることも、ときにはお伝えできればと思う今日この頃です。
 それはさておき、私が以前の発掘でたまたま出会ったのは三山塚(さんざんづか)という塚でした。今もなお地域に根付いている出羽三山信仰(でわさんざんしんこう)のひとつの形としてつくられた塚が、開発事業の区域内に築かれていたため、埋蔵文化財の保護(=記録として保存)を目的として発掘調査することになったのです。
 出羽三山信仰の始まりは、奈良・平安時代にさかのぼるといわれますが、ここ市原では、江戸時代に入って少したってから活発になり、そして今でも続けられています。そのような塚に発掘調査のメスが入るということは、信仰が形を変えようとしている、消えようとしているからでもあるのかもしれません。古代遺跡の調査とはまた違う、いま現在の地域文化との関わりも感じながらの調査になりました。

晴天の下、あぜ道の両脇に草木が生えている写真

写真1 市原市平野 奥の山林に三山塚があった

出羽三山とは

 山形県にある、月山(がっさん標高1984メートル)・湯殿山(ゆどのさん1504メートル)・羽黒山(はぐろさん419メートル)の3つの山々を、出羽三山と呼びます。山そのものがご神体であり、わが国の数ある山岳信仰のなかでも、富士山・大峰山(おおみねさん 奈良県)・英彦山(ひこさん 大分県)などと並ぶメジャーな場所のひとつです。月山と湯殿山の山頂に神社がありますが、そこまで登れない人々のために、簡易に行ける羽黒山にそれぞれの山の神を祀る三神合祭殿があります。羽黒山の出羽神社(いではじんじゃ)に詣でることで、三山に詣でたことになるのです。市原市からはほぼ真北に350キロメートル前後の距離です。

山岳信仰とは

 天気は山から変わるもの。その昔、縄文時代の人々も山の天気を気にしながら、獲物を追いかけたことでしょう。そんな身近な暮らしのなかでの畏れ敬うこころが、山岳信仰の源流かもしれません。
 そして徐々に密教(みっきょう)の体系的な教義と相まって、山伏(やまぶし)でおなじみの修験道(しゅげんどう)へと昇華したようです。
 山岳信仰に関して「擬死再生(ぎしさいせい)」という言葉がよくきかれます。簡単に言えば、山のなかで模擬的に死んで生まれ変わることをイメージし、山に詣でることで今までの自分をリセットしたいという考え方です。あわせて五穀豊穣や家内安全を願い、社会関係のリフレッシュもはかれれば、というのが目指すところの大筋となります。

 出羽三山信仰の場合、具体的に何をするかというと、大まかには、いまの町内会程度の規模で成人のグループ、講(こう)を組み、行屋(ぎょうや)に集まり修行をし、精進します。「共同飲食」も信仰および親交を深めるために重要です。時には出羽三山までおもむき、山を歩き、各山の神様に参拝をします。
 もちろん信仰心が前提になりますが、江戸時代に大流行したお伊勢参りや、現代のお遍路ツアーには、日常生活の繰り返しからの「脱出装置」とでも言える、遠方への旅行としての側面も認められます。同じように、この三山信仰も、娯楽の限られた時代には、信仰のきびしい面だけではなく、仲間同士による非日常への旅として、ある種の楽しみをもたらしたのではないかと想像します。実際に、江戸時代の旅程の記録をみますと、出羽三山への往復の途中途中において、例えば日光東照宮や名勝の松島、さらにはかなりはずれて秩父の三峰山や長野の善光寺までも足を延ばしたりしています。もちろん徒歩ですから長い場合は2ヵ月間近く旅をしていたのです。
 現代では観光バスの往復が多いようで、だいたい2泊3日の旅程(サラリーマンへの配慮もあります)に組まれるようですが、蔵王温泉への寄り道もあったりします。

樹木伐採後、作業を行っている方々の写真

写真2 方形3段の塚(樹木伐採後) 平野馬頭塚 最上段は小さく、崩れてなくなりかけていることが多い

平野馬頭塚について詳しくは下記リンクの「市原市平野馬頭塚」の箇所をご覧ください

三山供養塚の概念イメージ図

図 供養塚のイメージ

供養塚・三山塚・行人塚

 三山信仰で築かれる塚は、なかに人が埋葬されていないという点においてはお墓ではありません。出羽三山に初めて登拝した時には、自分に見立てた木の札(剣梵天けんぼんてん)を授かります。そして地元に戻ってこれを納めて供養する場所として、塚が築かれているのです。したがって塚は「供養塚くようづか」と呼称しますが、一般的には「三山塚」もしくは「行人塚 ぎょうにんづか」などと呼ばれます。供養する対象はいわば自分自身であり、これも「リセット」儀式の最終段階なのです。

 市原市内には古墳や塚がたくさんありますが、三山信仰に関わる塚については、初現・分布・形状、いずれについてもはっきりとしないところがあります。形については、ピラミッドのような特異な形状(薄い四角錐台を3段にしたもの)が多く、三山を表しているとも言われます。しかし、ほんとうにそのようなイメージで造り続けられたかどうかはわかりません。考古学的に見る三山塚については、今後に多くの課題が残されているといってよいでしょう。

 また、『市原市埋蔵文化財分布地図』に記載された三山の供養塚は、下の一覧表のとおり多数にのぼります。その一部は発掘調査がおこなわれていますが、まだわからないことだらけです。今後も聞き取りや文献記録の確認で補いながら、そのこころに迫れればと思うものの、埋蔵文化財の調査対象として塚に出会うときにはその背景となる信仰や組織が衰退していることが多いのは、はじめに述べたとおりです。今回、埋蔵文化財としての三山塚に関わったことで、古墳の調査であればあまり意識しない、「築造された時代以後に古墳や塚がどのような信仰・心情などを背景に維持されてきたのか」という問題意識の重要性を再確認できたのは良い機会でした。「擬死再生」ではありませんが、三山塚の調査・整理に携わることで、新たな世界を垣間見ることができた気がします。(つづく)

 出羽三山信仰の詳細については、對馬郁夫氏の著作がおすすめです(對馬1988・1995・2011)。ご本人が行人であるとともに、里大先達(さとおおせんだち 千葉県のような遠隔地における出羽三山信仰の指導者の中でも一番ランクの高い方)でもあり、千葉県内の出羽三山信仰について精力的に研究を進められています。

参考文献

  • 立野 晃 2008「第6章出羽三山講と行人」『千葉県の歴史 通史編 近世2』財団法人千葉県史料研究財団
  • 對馬郁夫 1988「市原市の出羽三山信仰に関する研究」『市原地方史研究』第15号 市原市教育委員会
  • 對馬郁夫 1995『市原市上高根の出羽三山信仰』市原市文化財研究会
  • 對馬郁夫 2011『房総に息づく出羽三山信仰の諸相』
  • 戸川安章 1973『出羽三山修験道の研究』佼成出版社
  • 時枝 務 1998「出羽三山」『季刊考古学63 山の考古学』雄山閣
  • 原田昌幸 2005『日本の美術466 山岳信仰の美術 出羽三山』至文堂
  • 宮家 準編 2011『山岳修験への招待 霊山と修行体験』新人物往来社

江戸時代以降に供養塚として築かれたもの

江戸時代以降に供養塚として築かれたもの一覧
No 名称 名称読み仮名 所在地 立地
現状
形状 規模
底辺/高さメートル
備考
1 戸面向行人塚 とづらむかえ 市原市戸面字向 台地斜面・山林 未確認 底辺3.3/高さ1 なし
2 田淵行人塚 たぶち 市原市田淵字原道 河岸段丘面・畑地 方形3段 底辺14 ・15 /高さ 4.7 なし
3 江孫下行人塚 えまごした 市原市古敷谷字江孫下 河岸段丘面・宅地 方形 底辺4.8 ・4 2基
4 平野馬頭塚 ひらの 市原市平野字高野上 台地斜面・山林 方形3段 底辺19.6・19.2 /高さ4.0 平成22年度調査、銅鏡1・数珠玉54・寛永通宝等952 消滅
5 中ノ台行人塚 なかんだえ 市原市小谷田字中ノ台 台地上・墓地内 未確認 底辺3.8・3.3 /高さ1.1 なし
6 長塚台三山塚 ながつかだい 市原市久保字山田谷 台地上・山林 方形 底辺20・20 /高さ5 なし
7 萩ノ台三山塚 はぎのだい 市原市皆吉字萩ノ台 台地・山林 方形 底辺23・23 /高さ4 なし
8 大塚三山塚 おおつか 市原市牛久字大塚 独立丘陵上・公園 方形 底辺11・11 /高さ4.7 丸山公園遺跡
9 新林台三山塚 にいばしだい 市原市奉免字新林台 台地上・山林 方形 底辺14.6 /高さ3 なし
10 七曲三山塚 ななまがり 市原市栢橋字七曲 台地上・宅地 未確認 底辺14 /高さ3.8 なし
11 上高根三山塚 かみたかね 市原市上高根字萩ノ原 台地上・山林 方形 底辺24・24 /高さ4 なし
12 小草畑三山塚 こくさばた 市原市小草畑字棒平 丘陵・山林 方形3段 底辺21・21 /高さ4.9 昭和61年調査(棒平遺跡)、消滅。寛永通宝等約700・かわらけ
13 花和田三山塚 はなわだ 市原市新井字花和田 丘陵・山林 方形3段 底辺21・21 /高さ5.2 昭和59年調査(新井花和田遺跡)、消滅。寛永通宝等117・かわらけ
14 深城三山塚 ふかしろ 市原市深城字東端山 台地・山林 方形 底辺16・16 /高さ4 なし
15 豊成供養塚 とよなり 市原市豊成字蔵沢台 台地・畑地 方形 底辺12 /高さ4 なし
16 立野三山塚 たての 市原市立野字笹標 台地・公園 方形 底辺12 /高さ3 なし
17 椎津旧三山塚 しいづきゅう 市原市椎津字中林 台地・畑地 未確認 底辺15 /高さ4 清水川第第1号塚(袖ヶ浦市341)
18 椎津三山塚 しいづ 市原市椎津字中林 台地・山林 未確認 底辺20 /高さ4.5 清水川第第1号塚(袖ヶ浦市342)
19 上野別当三山塚 かみべっとう 市原市椎津字上野別当 台地・畑地 方形 底辺12・12 /高さ3.5 なし
20 上持長塚群 かみもっちょう 市原市不入斗字上持長 台地・墓地 方形 底辺6 /高さ1 なし
21 上持長塚群 かみもっちょう 市原市不入斗字久保上 台地・墓地 方形 底辺5 /高さ1 なし
22 迎田旧三山塚 むかえだきゅう 市原市迎田字コブシ谷 台地・畑地 方形 底辺14・14 /高さ4 なし
23 迎田三山塚 むかえだ 市原市迎田字ゴーナイ谷 台地・畑 方形 底辺14・14 /高さ4 なし
24 不入斗三山塚 いりやまず 市原市不入斗字大高上 台地・山林 方形 底辺18・18 /高さ5 なし
25 不入斗旧三山塚 いりやまず 市原市不入斗字大高上 台地・山林 方形 底辺10・10 /高さ4 なし
26 片又木三山塚 かたまたぎ 市原市片又木杢ノ木 台地・墓地 方形 底辺17・17 /高さ4 なし
27 片又木旧三山塚 かたまたぎ 市原市片又木杢ノ木 台地・荒地 方形 底辺14・14 /高さ3 なし
28 一本松塚(三山塚) いっぽんまつ 市原市新生字西荻原野 台地・荒地 方形3段 底辺25・25 /高さ3 平成元年調査(荻原野遺跡A区)、消滅。常滑壺内に寛永通宝等763、土坑内にかわらけ50
29 不入斗堀ノ内三山塚 いりやまずほりのうち 市原市不入斗字堀ノ内 丘陵斜面・墓地 方形 底辺6.5 /高さ2.5 なし
30 海保供養塚群(海保大塚) かいほ(かいほおーつか) 市原市海保字大塚 台地・山林 六角5段 底辺60 /高さ10 平成元年測量調査、供養塚 元は大型の円墳かも?
31 海保供養塚群 かいほ 市原市海保字大塚 台地・山林 方形 底辺17・17 /高さ3 なし
32 海保供養塚群 かいほ 市原市海保字大塚 台地・山林 方形 底辺7・7 /高さ1.5 なし
33 畑木三山塚 はたぎ 市原市畑木瓜ヶ作 台地・山林 方形 底辺7・7 /高さ2 なし
34 新生三山塚 あらおい 市原市新生字堰ノ上 丘陵・山林 方形 底辺15・15 /高さ3 昭和63年発見
35 愛后山三山塚 あたごやま 市原市西国吉字愛后山 台地・山林 方形 底辺15・15 /高さ2.5 なし
36 桂沢供養塚 かつらざわ 市原市田尾字桂沢 台地・山林 方形 底辺10・10 /高さ2.6 なし
37 小明供養塚 こみょう 市原市畑木字小明 台地・山林 方形 底辺6・6 /高さ2 なし
38 青柳三山塚 あおやぎ 市原市青柳字宮田 墓地 方形 底辺24・24 /高さ3 寛永7年(1630年)銘の大日如来台座 出羽三山に関する現状県内最古の石造物とみられる
39 堀越三山塚 ほりこし 市原市堀越261 丘陵斜面・公民館 方形 底辺6 /高さ1 なし
40 江子田送り神塚 えこだおくりがみ 市原市鶴舞1158-2~3 台地上・宅地 調査後削平 方形 底辺13.3・13.3 /高さ1 平成4年調査、当初江子田古墳群(114-13.)として取り扱っていたが新番号として分離、消滅。焼土層から寛永通宝・洪武通宝・墨書かわらけ出土
41 宮原三山塚 みやばら 市原市引田字膳棚 丘陵・山林 方形 底辺17 /高さ4 なし
42 東野塚群 ひがしの 市原市今富字東野 丘陵・山林 方形 底辺10 /高さ2 なし
43 東野塚群(閑居塚) ひがしの(かんきょづか) 市原市今富字東野 丘陵・山林 方形 底辺26 /高さ4 なし
44 東野塚群 ひがしの 市原市今富字東野 丘陵・山林 未確認 底辺18・18 /高さ.3 なし
45 東野行人塚群 ひがしのぎょうにん 市原市今富字東野 丘陵・山林 未確認 底辺3~7 /高さ1 なし
46 分目堂谷塚群(堂谷塚) わんめどーやつ 市原市分目字堂谷 丘陵・山林 方形 底辺10・10 /高さ2.6 なし
47 分目堂谷塚群(分目三山塚) わんめどーやつ 市原市分目字堂谷 丘陵・山林 方形 底辺12・12 /高さ3 なし
48 白塚三山塚 しらつか 市原市白塚字白塚台 微高地・畑地 方形 底辺15・15 /高さ3 なし
49 白塚旧供養塚(三山塚) しらつか 市原市白塚字白塚台 微高地・畑地 方形 底辺13・13 /高さ2.5 なし
50 廿五里新開三山塚 つうへいじしんけえ 市原市廿五里字新開 微高地・畑地 方形 底辺9・9 /高さ1.5 なし
51 廿五里八幡台塚(三山塚) つうへいじはちまんだい 市原市廿五里字八幡台 微高地・畑地 方形 底辺10・10 /高さ1.5 なし
52 花やしき塚供養塚 はなやしきづか 市原市十五沢字高沢 微高地・畑地 方形 底辺29・29 /高さ2.6 なし
53 小折三山塚 こおり 市原市西野字小折 微高地・水田 方形 底辺8・8 /高さ1.5 なし
54 二日市場塚群(手古宮塚B) ふつかいちば(てこみやづか) 市原市二日市場字手古宮欠ノ下 河岸段丘・宅地 方形 底辺12・7.5 /高さ2 平成3年調査(手古宮塚)、消滅。
天保12年~昭和51年までの石碑7基。
55 松崎三山塚 まつざき 市原市松崎字永作 丘陵斜面・山林 方形 底辺10 /高さ2.5 なし
56 川在三山塚 かわざい 市原市川在字富坂 丘陵・山林 方形 底辺14・14 /高さ3.8 なし
57 浅井小向三山塚 あさいこむかい 市原市浅井小向字釜神 台地・山林 方形 底辺13・13 /高さ2.5 なし
58 安須三山塚 あず 市原市安須字上ノ山 台地・山林 方形 底辺13・13 /高さ3 なし
59 上ノ山群集塚 うえのやま 市原市安須字上ノ山 台地・山林 円形 底辺5.3~5 /高さ1 なし
60 高坂三山塚 こうざか 市原市高坂字奈木ノ台 台地・畑地 方形 底辺14・14 /高さ3 なし
61 山田三山塚 やまだ 市原市山田字下川端 河岸段丘・水田 方形 底辺12・12 /高さ2.5 なし
62 磯ヶ谷三山塚 いそがや 市原市磯ヶ谷字滝山台 台地・畑地 未確認 底辺18 /高さ4.6 なし
63 大桶三山塚 おおおけ 市原市大桶字念仏塚 台地・畑地 方形 底辺15.7・15.7 /高さ3.7 なし
64 勝間上人塚 かつまじょうにんづか 市原市勝間字上人台 台地・畑地 方形 底辺18・18 /高さ5 なし
65 権現堂三山塚 ごんげんどう 市原市権現堂字塚越 微高地・墓地 方形 底辺18・18 /高さ4 なし
66 大坪三山塚 おーつぼ 市原市大坪字下川向 微高地・畑地 方形 底辺18・18 /高さ4 権現堂川向塚
67 山倉三山塚 やまくら 市原市山倉字南六原 河岸段丘・墓地 方形 底辺19・19 /高さ4.1 なし
68 小田部三山塚 おだっぺ 市原市小田部字上人塚 台地・山林 方形 底辺15・15 /高さ5 なし
69 犬成中野三山塚 いぬなりなかの 市原市犬成字中野 台地・山林 方形 底辺15~17 /高さ2 なし
70 葉木供養塚群(葉木三山塚) はぎ 市原市葉木字西久保台 台地・山林 方形 底辺23・23 /高さ5 なし
71 西久保台供養塚群
(葉木西久保台三山塚)
にしくぼだい(はぎ) 市原市葉木字西久保台 台地・山林 方形 底辺20・20 /高さ4 なし
72 今津朝山三山塚 いまづあさやま 市原市今津朝山字壱町目 微高地・基地 方形 底辺10・10 /高さ2 なし
73 島穴神社三山塚 しまあな 市原市島野字島穴 微高地・神社境内 方形 底辺6・6 /高さ1 島穴神社塚群
74 島野三山塚 しまの 市原市島野字飯沼境 微高地・畑地 方形 底辺13・13 /高さ1.5 なし
75 飯沼三山塚 いいぬま 市原市飯沼字上腐 微高地・宅地 方形 底辺19 /高さ1.5 寛文3年(1663)銘大日如来座像
76 五井中瀬三山塚 ごいなかせ 市原市五井字中瀬 微高地・基地 方形 底辺18・18 /高さ3.5 なし
77 平田三山塚 ひらた 市原市平田字京塚 微高地・基地 方形 底辺10・10 /高さ2.5 なし
78 岩野見三山塚 いわのみ 市原市岩野見字仲町 微高地・基地 方形 底辺15・15 /高さ1.5 なし
79 波渕三山塚 はぶち 市原市五井字新田 微高地・荒地 方形 底辺12・12 /高さ2.3 平成23年度調査・出土遺物少ない 消滅
80 稲荷神社三山塚 いなりじんじゃ 市原市岩崎字宮ノ前 微高地・神社境内 方形 底辺5・5 /高さ2 なし
81 神門塚群 ごうど 市原市惣社5丁目5 台地・山林 方形 底辺10・10 /高さ3 昭和23年調査(神門B号墳)、(注意)現状保存、布目瓦、陶器片
82 惣社行人塚(三山塚) そうじゃ 市原市南国分寺台1丁目2他 台地・宅地 方形 底辺20・20 /高さ3.8 国分寺台遺跡群、昭和49年調査(北アラク遺跡)、消滅。柄鏡・かわらけ出土 古文書に延宝7年(1679)築造と記述ある
83 清兵衛塚 せいべぇづか 市原市南国分寺台1丁目1他 台地・宅地 円形 底辺8 /高さ0.5 消滅(削平)、国分寺開山塚
84 西広三山塚 さいひろ 市原市南国分寺台2丁目1 台地・宅地 方形 底辺20・20 /高さ4 国分寺台遺跡群、昭和47年調査、(旧)蛇谷供養塚
85 荻作供養塚 おぎさく 市原市荻作字大明神 台地・変電所用地 方形 底辺20・20 /高さ? 消滅
86 荻作三山塚 おぎさく 市原市荻作字子タ掛部田 台地・荒地 方形 底辺13 /高さ3 なし
87 荻作行人塚 おぎさく 市原市荻作字谷 台地・墓地 方形 底辺15・15 /高さ6 なし
88 郡本三山塚 こおりもと 市原市郡本一丁目 台地・神社境内地 方形 底辺15・15 /高さ.4.5 なし
89 能満三山塚 のうまん 市原市能満字上人塚 台地・山林 方形 底辺21・21 /高さ5 昭和58年調査(能満番面台遺跡)一部残存
90 能満上人塚 のうまんじょうにんづか 市原市能満字上人塚 台地・山林 方形 底辺15・15 /高さ4 なし
91 東四辻三山塚 ひがしよつじ 市原市能満字東四辻 台地・山林 方形3段 底辺25・25 /高さ5 能満供養塚
92 神崎三山塚 かんざき 市原市潤井戸字天王台 台地・荒地 未確認 底辺14 /高さ3 なし
93 大厩三山塚 おおまや 市原市辰巳台西五丁目 台地・公園 方形 底辺14・14 /高さ3 大厩供養塚
94 奈良供養塚 なら 市原市奈良字天神台 台地・山林 方形 底辺8・8 /高さ2.6 なし
95 菊間三山塚 きくま 市原市菊間字袖ヶ台 台地・神社境内地 方形 底辺5・5 /高さ1 なし
96 古市場念仏塚 ふるいちばねんぶつづか 市原市古市場字念仏塚 微高地・畑地 方形 底辺4・4 /高さ1 なし
97 菊間三山塚 きくま 市原市菊間字向原 台地・宅地 方形 底辺20・20 /高さ3 消滅
98 菊間三山塚 きくま 市原市菊間字向原 台地・宅地 方形 底辺15・15 /高さ1 消滅
99 草刈44号墳 くさかり 市原市草刈字水掘江 台地・宅地 方形 底辺10 /高さ2 昭和56年調査、調査後消滅
100 草刈狐塚 くさかりきつねづか 市原市草刈字狐塚 微高地・畑地 方形 底辺10・10 /高さ1.5 なし
101 西広供養塚 さいひろ 市原市西広字東 台地・宅地 方形 底辺8.5 /高さ2.5 寛永通宝出土か
102 そま引場塚 そまびきば 市原市今富字文蔵 台地・高速道路 方形 底辺7.6・7.6 /高さ3 旧そま引場古墳、平成2年調査(今富遺跡)、消滅
103 日ノ宮三山塚 ひのみや 市原市椎津字日ノ宮1210 丘陵・山林 方形 底辺10・10 /高さ2 なし

古墳を改作したとみられる供養塚

古墳を改作したとみられる供養塚の一覧
No 名称 名称読み仮名 所在地 立地
現状
形状 規模
底辺/高さメートル
備考
1 吉野古墳群 37号墳 よしの 市原市西国吉字永井下 河岸段丘面・公園 方形 底辺24・24 /高さ4 なし
2 吉野古墳群 59号墳 よしの 市原市西国吉字台 河岸段丘面・山林 方形 底辺12・12 /高さ3 なし
3 中岱古墳群 1号墳 なかんだえ 市原市米沢字中岱 台地斜面・山林 未確認 底辺18 /高さ4.3 なし
4 境部田岱古墳群 1号墳 さかいべただい 市原市安久谷字境部田岱 台地上・山林 方形 底辺7.5 /高さ2.5 なし
5 塚ノ台古墳群 11号墳 つかのだい 市原市馬立字塚ノ台 台地上・山林 未確認 底辺20 /高さ3.5 なし
6 上椎木古墳群 1号墳 かみしいのき 市原市不入斗字上椎木 台地・山林 方形 底辺12 /高さ2.5 なし
7 引田寺山古墳群 2号墳 ひきだてらやま 市原市引田字寺山 丘陵・山林 方形 底辺11・11 /高さ4 なし
8 大城台古墳群(土宇三山塚)
15号墳
おーじろだい 市原市土宇字大城台 台地・畑地 未確認 底辺20.5/高さ4.5 なし
9 有木三山塚 ありき 市原市海士有木字十二天 台地・山林 方形 底辺10.5・10.5/高さ1.5 なし
10 武士古墳群(武士三山塚) 13号墳 たけし 市原市武士字内神門 台地・山林 方形 底辺16・16 /高さ1 武士三山塚、消滅
11 荻作三山塚 おぎさく 市原市荻作字関山 台地・畑地 方形 底辺25・25 /高さ3 なし
12 勝間三山塚 かつま 市原市勝間字下大明神 台地・山林 方形 底辺20・20 /高さ2 なし
13 君塚古墳群 2号墳(君塚三山塚・君塚クワノキ古墳 きみづか 市原市君塚字西崎 微高地・宅地 方形3段 底辺15・15 /高さ3 昭和54年調査(君塚クワノキ古墳)、(注意)墳丘部分保存、土師器・須恵器出土
14 持塚3号墳 もちづか 市原市南国分寺台5丁目9他 台地・公園(現状保存) 方形 底辺24・24 /高さ4 昭和56年調査(国分寺台350号墳)、埴輪(円筒・朝顔形・馬形・盾形)(注意)公園内に保存
15 諏訪台古墳群(諏訪台34号墳) (諏訪台行人塚) すわだい 市原市諏訪1丁目3 台地・宅地 方形 底辺17・17 /高さ4 昭和55年調査(諏訪台34号墳・250号墳)、須恵器出土
16 東鹿ノ原古墳群 4号墳 ひがしかんはら 市原市中野字鹿ノ原 台地・山林 方形 底辺14・14 /高さ3 供養塚

この記事に関するお問い合わせ先

市原歴史博物館

〒290-0011 千葉県市原市能満1489番地

電話:0436-41-9344
ファックス:0436-42-0133

メール:imuseum@city.ichihara.lg.jp

開館時間:9時00分~17時00分
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始