ノート028鉄製紡錘車についての覚書【考古】

更新日:2022年04月18日

研究ノート

北見一弘

 紡錘車については、以前「遺跡の深層」において「荒久遺跡の紡錘車」として触れたことがあります。
 特に鉄製紡錘車については、神奈川県下の事例を扱った堀田孝博氏の研究(堀田1999)により、『延喜式』にみられる麻布の貢納国との関係が指摘されていることを取り上げました。
 また、千葉県下では上総国の麻布貢納量が、下総・安房両国に対し優位であり、全国的に見ても突出して多い数量で記されていることから、国分寺台の調査成果が続々と報告されてきた中で、考古資料からこの史実に対し何か言えないだろうかという点に着目しました。

 ここでは資料を集める中で、気付いた点、問題点等を幾つか書き留めておきたいと思います。

鉄製紡錘車の出現

 これまでの紡錘車研究では、出土数の大半を占める紡輪部が中心であり、弥生時代以降、石製・土製を中心とした膨大な資料数が出土しているとみられます。
 この中で鉄製紡錘車(鉄製の紡輪は鉄製の棒軸と組み合わされる事例がほとんどであることから鉄製品については紡輪部・棒軸部を合わせて呼称したい)の出現時期については、松田真一氏の研究が先駆けとなっています(松田1975)。
 これによると鉄製紡錘車は、畿内で6・7世紀に出現し、関東においてはやや遅れて、8世紀に出現し9世紀に急増するとしています。
 管見では、県下では、明確に7世紀に遡る事例は認められないため(日秀西遺跡出土資料を7世紀末~8世紀初頭とする見方がある)、千葉県内での出現時期の指摘は妥当性のあるものといえるでしょう。

市原市の事例

市原市内の奈良・平安時代の集落遺跡を中心として、いくつかの出土事例を見てみます。

坊作遺跡

 上総国分尼寺の北方に隣接する遺跡で、尼寺造営に関連する集落と考えられています。
 鉄製紡錘車は8世紀中葉に出現し9世紀中葉のものまで出土しており、8世紀後葉に石製紡輪との並存が認められます。

加茂遺跡 A・B地点

 上総国分僧寺の位置する樹枝上に解析された台地の北方に位置し、古墳時代から奈良時代まで継続的に営まれた集落です。
 8世紀後葉の鉄製紡錘車が確認できます。

荒久遺跡 B・C地点

 国分僧寺の東方に隣接し、8世紀の中頃に突如出現する集落です。
 国分僧寺の運営に関連した遺跡とみられます。
 紡錘車は棒軸のみのものを除き、40点弱出土していますが、確実に遺構に帰属するものは9世紀中葉から後葉のものに限られます。
 石製紡輪が9世紀中葉に並存します。

文作遺跡

 これまで見た国分僧尼寺跡周辺の遺跡からは内陸に離れた台地上に位置する古墳時代後期から平安時代前葉まで続く集落後です。
 8世紀後葉に鉄製紡錘車が出現し、他に9世紀中葉のものが確認できます。
 同時期の石製紡輪は認められません。

上に二つ、下に一つ出土品が並べられている写真、左上には大きく欠けた紡輪、16号住-21と書かれている、右上には4分の1ほど欠けた紡輪と短い紡軸、36号住-19と書かれている、下には途中で折れている紡軸、36号住-20と書かれている

坊作遺跡出土の鉄製紡錘車

欠けのないと思われる紡輪、直接円にそって白く10桁の数字が書かれており、写真右下に41号住-13と書かれている写真

坊作遺跡出土の鉄製紡錘車

円の形の残っている紡輪、直接白で10桁の数字が書かれている、その下に二箇所折れのある紡軸、こちらも右端に直接白く数字のようなものが書いてある写真、写真右下には220号住-54と書かれている

坊作遺跡出土の鉄製紡錘車

下に139住-9と書かれており、中程に紡輪がついて所々折れのある紡軸と、その右側に下に243住-28と書かれている、中程に紡輪がついている左に比べると短い紡軸の並んで置いてある写真

加茂遺跡A・B地点出土の鉄製紡錘車

状態の良い紡軸と紡軸の下部についている紡輪が斜めに置かれている写真

荒久遺跡B・C地点出土の鉄製紡錘車

左右に二つ出土品が並べられている写真、左側には中程に紡輪がついてる所々折れている紡軸、下に竪穴55-15と書かれている、その右に右上が少しかけているような正円ではない紡輪、竪穴18-40と書かれている

文作遺跡出土の鉄製紡錘車

 当然遺跡毎の存続期間や特性を注視しなければなりませんが、かなり雑駁な見方をすると、鉄製紡錘車は市原市内の主要集落遺跡では、8世紀中葉に出現し、9世紀中葉までは石製紡錘車との並存が認められることになります。
 この現象を緩やかな素材の変化と普及とするか、素材毎の使い分けが存在したか評価が分かれるところです。

問題点

 一般に、石器から青銅器、やがて鉄器、といわれるように、利器における素材の変化には、その道具を使用した際に得られる効果がより大きくなるなど、機能的なことが先ず浮かびます。
 素材の耐性もそこに含まれるでしょう。
 また、その他に素材調達や、再加工の問題があります。
 いずれにせよ、ある道具の素材の変化が、新しい素材が既存素材に対して高い優位性が認められた場合に起こる現象とすれば、紡錘車にも当てはまるのでしょうか。
 現在の研究では鉄製紡錘車は、麻糸を紡ぐ道具との見方が指摘されています。
 これは麻布貢納国と、出土分布地との一致や、付着繊維の同定などから導き出されています。
 ただし、麻糸以外にも、上総国からは絹の一種と思われる「あしきぬ」が貢納されていますから、絹に撚りをかけたと仮定すると、どのような道具を使用したか判然としません。
 また、紡錘車の紡輪部は、石製・鉄製のほか土製も認められ、中には土器の底部を転用したと見られるものも存在します。
 精査が必要ですが、荒久遺跡B・C地点では、転用紡錘車が平安時代を通じて存在する可能性があり、そうなると素材毎の使い分けだけでは説明しきれない背景の存在が考えられそうです。

 鉄製紡錘車の出現を、その用途が麻糸用と考えた場合、他素材製紡輪との関係も含め、麻布貢納量の多い上総国内の鉄製紡錘車の量的な優位性が看取できるはずです。
 今後は集落毎の特性を念頭に資料を蓄積し、他地域との比較が必要となります。
鉄製紡錘車出現の背景には何があるか。この疑問に少しずつ迫りたいと考えています。

奈良・平安時代の主要集落出土紡錘車(市原市) 2011年9月作成
No. 遺物No. 材質 径(センチメートル) 厚さ(センチメートル) 孔径(センチメートル) 重量(グラム) 遺存部位 遺存状況 出土部位 時期   遺跡名 備考
1 竪穴18-40 4.65 0.2 0.35 15.4 紡輪 紡輪部欠 床直上 9世紀 中葉 文作遺跡 V期 鍛冶工房
2 竪穴18-41 4.6 0.2 0.4 17.2 紡輪 紡輪部欠 床直上 9世紀 中葉 文作遺跡 孔径は紡軸径値 V期 鍛冶工房
3 竪穴55-16 5.2 0.3 0.35 28.1 紡輪・紡軸 床直上 8世紀 後葉 文作遺跡 孔径は紡軸径値 IIIb期 紡軸木質遺存
4 竪穴16-21 3.8 0.3 0.3 11.3 紡輪・紡軸 覆土中 9世紀 前葉 坊作遺跡 床面から16センチメートル 孔径は紡軸径値
5 竪穴36-19 5.1 0.4 0.5 21.1 紡輪・紡軸 床直上 8世紀 後葉 坊作遺跡  
6 竪穴41-13 4.2 0.3 0.4 13 紡輪 紡輪部完存 床直上 8世紀 中葉 坊作遺跡  
7 竪穴220-54 4.9 0.2 0.4 31.6 紡輪・紡軸 完存 その他 9世紀 中葉 坊作遺跡 西壁周溝内
8 竪穴30-26 石(滑石)   1.8   23.7 紡輪 紡輪部欠 覆土中 8世紀 後葉 坊作遺跡  
9 竪穴45-12 石(凝灰岩)   2   43.5 紡輪 紡輪部欠 床直上 8世紀 後葉 坊作遺跡 カマド脇床面+4センチメートル 2孔
10 竪穴005-13 鉄・石(石材不明) 4.95 1.45 0.73 74.4 紡輪・紡軸 床直上 9世紀 中葉 荒久遺跡B地点 棒軸が鉄製、紡輪が石製 IV4期
11 竪穴012-8 4.3 0.2 0.6 20.9 紡輪・紡軸 床直上 9世紀 中葉 荒久遺跡B地点 IV4期 孔径は紡軸径値
12 竪穴57-21 4.8 3.1 0.5 78.3 紡輪 紡輪部完存 床直上 9世紀 中葉 荒久遺跡C地点
13 竪穴20-9 石(石材不明) 3.82 1.57 0.63 34.5 紡輪 完存 床直上 9世紀 前葉 荒久遺跡C地点 石材ホルンフェルスか
14 竪穴139-9 4.8 0.4 0.65 50.3 紡輪・紡軸 覆土中 8世紀 後葉 加茂遺跡A・B地点 孔径は紡軸径値
15 竪穴243-28 5.4 0.4 0.55 53.1 紡輪・紡軸 その他 8世紀 後葉 加茂遺跡A・B地点 カマド周辺遺構外 遺物が6世紀末葉〜7世紀初頭と8世紀後葉のグループに分かれるため、後者に帰属するものと判断。孔径は紡軸径値

出土状況が精査出来ていないものは除いてある。 

参考文献

  • 東村純子 2011年 『考古学からみた古代日本の紡織』
  • 宮原武夫 2011年 「第五章 古代房総の生産と流通」 『千葉県の歴史 通史編 古代2』
  • 堀田孝博 1999年「古代における鉄製紡錘車普及の意義について」 『神奈川考古』第35号
  • 滝澤 亮 1985年「古代東国における鉄製紡錘車の研究」 『物質文化』44
  • 松田真一 1975年 「鉄製紡錘車とその出土遺跡」 『宇陀・丹切古墳群』

関連リンク

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