ノート034瓦の話 -第3回 国分僧寺に葺かれた重圏紋-【考古】

更新日:2022年04月18日

研究ノート

高橋康男

【おさらい】

 前回は、武士廃寺跡や上総国分尼寺跡出土の重圏紋軒先瓦の紋様を、平城宮や平城京出土の三圏紋などと比較することを通じて、三重圏紋→二重圏紋の基本的な変化は認めつつも、宮都系瓦の影響下に成立していることと、時間的には、大きな隔たりが想定しにくいことを指摘しました。
 さて、建物に瓦を葺く場合、必ず平瓦が必要となってきます。ところが、武士廃寺や上総国分尼寺跡では、それぞれの重圏紋とセットになる軒平瓦の紋様がわかっていません。軒先の平瓦が発見されていないからです。
 平城宮などでは、「瓦の話」の第一回目にご紹介した後期難波宮の軒平瓦とよく似た圏線の細い重圏紋軒平瓦が発見されています(6572型式:139点。内、平城宮跡79点、東三坊大路30点)。出土傾向は、6012Aや6012Bとよく似ていますので、6012型式期とセットになるのかもしれません。ただし、市原の地域では、今のところ6572型式と同紋の瓦は知られていません。今後、資料の追加を待って、検討を深めていきたいと思います。

上総国分二寺跡の創建瓦

 上総国分二寺(僧寺と尼寺)の金堂などの軒先を飾った瓦は、左下の拓本のような紋様の軒先瓦です。蓮華紋(ハスの花の紋様)と均整唐草紋(唐草の紋様)のセットです。平城宮第二次大極殿の軒先を飾った瓦の影響下に生まれた紋様です。しかし、今回は、重圏紋を対象としていますので、これらの瓦については、また、後日に詳しいご紹介をしたいと思います。

上総国分寺創建瓦の中の、二重の丸の中に花のような細かい模様がある軒丸瓦と外側は小さな点々で囲われ、その中に直線や曲線で作られた模様のある軒平瓦イラスト

上総国分寺創建瓦

 さて、上総国分二寺の創建段階で新たに導入された蓮華紋と均整唐草紋のセットは、全ての建物に採用されてのではなかったようです。
 今の段階では、はっきりとしたことを述べることができませんが、きっと、国分寺の中心施設である金堂院に優先的に使われたことでしょう。
 金堂院以外で大量に瓦が使用されたとすると、それは南大門などの大きな建物でしょう。南大門跡近くの瓦の廃棄場所からは、二重圏紋や一重圏紋の軒先が、比較的に多く発見されています。
 そこで、今回は、これらの重圏紋についてご紹介することにしたいと思います。

市原で発見される重圏紋軒先丸瓦の紋様の種類

 上総国分尼寺跡からは、圏線が細い二重圏紋軒先瓦が出土していましたが、国分僧寺からはこのタイプの重圏紋が、今のところ確認されていません。
それでは、どのようなタイプの重圏紋軒先瓦が発見されているのかというと、二重圏紋でも第二圏線が太いタイプのものと、圏線が太いタイプの一重圏紋が確認されています。
 重圏紋の種類が、だいぶ増えてきましたので、ここでまとめておきたいと思います。

  1. 三重圏紋(武士廃寺出土)→三重圏-1類(平城6012A型式)
  2. 二重圏紋(上総国分尼寺跡出土)→二重圏-1類(平城6010A型式)
  3. 二重圏紋(上総国分僧寺跡出土)→二重圏-2類
  4. 一重圏紋(上総国分僧寺跡出土)→一重圏-1類
左下の一部が欠けた灰色の三重の細い丸の模様がある軒丸瓦の写真。

二重圏紋-1類(圏縁が細いタイプ)

 二重圏‐2類や一重圏‐1類が、上総国分尼寺跡からも出土しているのかどうかは、今のところはっきりとはしていません。先にも触れましたように、これらの重圏紋は、上総国分僧寺跡の南大門に近い地域から、比較的に集中して発見されていることがわかってきています。具体的に、どのような紋様の瓦なのかを、ご紹介しておきましょう。

上総国分僧寺跡出土の重圏紋軒丸瓦

 それでは具体的に、上総国分僧寺跡から発見されている重圏紋軒丸瓦について、ご紹介していくことにしましょう。

 まずはじめに、二重圏紋-2類についてその特長をみていきたいと思います。

  1. 第2圏線が二重圏紋-1類に比べて、明らかに太いタイプ。
  2. 中心部分の珠紋が、二重圏紋-1類に比べてやや大振り。
  3. 瓦当面の最大径(外縁部)が150ミリメートル~160ミリメートルと、これまでのものに比べて小振り。
    以上に挙げた三つの特徴は、いずれも、二重圏紋-1類や三重圏紋-1類、平城6012A型式や平城6010A型式からみると、紋様構成上で後出的要素が認められるといえます。
  4. 更に、二重圏紋-2類は、圏線の深さや造りから、3つのタイプに細分することができます。
    木型を新調した頃に造られた瓦で、紋様にシャープさがあるもの。(2a類)
    元の木型に少し手を入れた型で造られた瓦で、彫がやや深いもの。(2b類)
    圏線を粘土紐のようなもので張り足したようなもの。瓦当面が小振り。(2c類)
左側の一部が欠けた茶色い三重の太くてシャープな丸の模様がある軒丸瓦の写真。

二重圏紋-2類a(第二圏線が太くてシャープ)

一部が黒ずんだ茶色い三重の太くてシャープさに欠ける丸の模様がある軒丸瓦の写真。

二重圏紋-2類b(シャープさに欠けるもの)

一部が黒ずんだ茶色い三重の紐状に表現されている丸の模様がある軒丸瓦の写真。

二重圏紋-2類c(圏線が紐状に表現されているもの)

 次に、一重圏紋-1類についてその特徴をみていきたいと思います。

  1. 圏線が二重圏紋-2類と同じように太いタイプ。
  2. 中心部分の珠紋が、やや大振り。
  3. 瓦当面の最大径(外縁部)が150ミリメートル~155ミリメートルと、小振り化が進んでいる。

 以上に挙げた三つの特徴は、いずれも、重圏紋-2類に比べて後出的要素といえます。類似した紋様の瓦が、木更津市の真里谷廃寺跡や山武市の小川廃寺からも発見されています。

黒ずんだ二重の太い丸の模様があり中心の丸も太い軒丸瓦の写真。

重圏紋-1類(圏縁が太くて珠紋も太いもの)

 このようにみてきますと、上総国分僧寺跡から発見されている重圏紋には、2類4タイプの重圏紋があることがわかります。但し、この4タイプの重圏紋がどこからどの程度の数量で発見されているのかは、まだ、整理作業中ですのではっきりとはわかっていません。
 今後、整理作業を進めていく中で、これ以外にも、たとえば、二重圏紋-1類が僧寺からも発見されていないのかとか、逆に、二重圏紋-2類や一重圏紋-1類が尼寺跡からは発見されていないのかなど、いままでの調査では明らかになっていない部分についても、研究を進め、わかり次第、皆様へお知らせしていきたいと思います。

総括 (市原の重圏紋について)

 これまで3回にわたって、市原市内から発見された重圏紋軒丸瓦の紋様構成とその変遷について、皆さんと考えてきました。ここで、総括しておきたいと思います。

  1. 重圏紋は、後期難波宮にそのルーツを求めることができる。
  2. 市原で発見されている重圏紋の直接的な原型は、平城宮や平城京から発見されている重圏紋に求めることができる。
  3. 重圏紋は、基本的には、三重→二重→一重と、圏線が少なくなっていく。
  4. 重圏紋の中心珠紋は、すこしずつ、大きくなってく傾向が窺われる。
  5. 瓦の外縁径には、時代と共に、小振り化の傾向も認められる。
  6. 二重圏紋-2類や一重圏紋-1類は、上総国分僧寺跡の南大門に葺かれていた可能性が考えられる。(尼寺跡南大門については、不明な点が多いので、よくわからない)
  7. 今後、市原の重圏紋については、僧寺、尼寺、武士廃寺などを総合的に比較検討する必要がある。(宮都系瓦の導入という視点が大切になる)
  8. それぞれの重圏紋軒丸瓦とセットになる重圏紋軒平瓦を明らかにする必要がある。

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