瀬戸・美濃系天目茶碗(台)1
瀬戸・美濃系天目茶碗(せと・みのけいてんもくちゃわん)

出土地
台遺跡(だい)
遺跡所在地
根田(ねだ)
時代
南北朝期(14世紀後葉)
解説
天目茶碗とは、天目釉と呼ばれる鉄釉を施した茶碗で、中国で発生しました。
わが国には、鎌倉時代に禅僧が喫茶の風習とともに伝えたと言われています。
室町時代には茶器としてもてはやされ、中国産のブランド天目を所持することが、貴族や上級武士のステイタスシンボルとなりました。
一方、喫茶はより広い階層まで浸透しており、天目茶碗に対する需要も次第に向上してきました。
瀬戸・美濃地方の陶器生産地では、鎌倉末期頃から中国に倣った天目茶碗を作りはじめ、戦国時代に本格化します。
左に掲げた資料も、そのような一つで、なかなか美しいものです。瀬戸・美濃地域で南北朝時代の末期に生産され、学術的には古瀬戸後期様式I期の天目茶碗I類に分類されます。体部は丸みを帯び、厚く天目釉がかかります。下の方は胎土が鉄化粧されず露出し、高台をヘラで削り出しています。
はたしてどのような人が、この茶碗を用いたのでしょうか。
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更新日:2022年04月18日