発掘調査報告書等(センター刊行物)
埋蔵文化財調査センター刊行物一覧
市原市埋蔵文化財調査センターと財団法人市原市文化財センターが刊行した図書のご案内です。
刊行物は、各都道府県の埋蔵文化財センター・県立図書館・主要大学に配布しています。
内容に興味のある方はお近くの施設で検索してみてください。
一部は当サイトでPDFファイルのダウンロードが可能です。
(ただし、PDFは解像度が低いので、画面上でのご利用以外には適さない場合があります。)
価格欄に数字の入っている刊行物は埋蔵文化財調査センターで販売しています。
窓口でも直接販売しており、最新の在庫状況が表に反映されていない場合もありますのでご注意下さい。
まずお問い合わせのうえ、お申し込み下さい。
刊行物PDFダウンロードは下記リンクをご覧ください。
書名 | No. | 刊行年 | 内容 | 本文 頁 |
図版 | 価格 | 送料 | 重量(グラム) | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
皿郷田茂遺跡 | 1 | 1984 | 古墳時代前半の墳墓群及び集落。 | 39 | 17 | 非売 | あり | ||
石川城郭跡 | 2 | 1984 | 中世城郭、市内の城郭の紹介など(付図有) | 53 | 25 | 非売 | あり | ||
片又木遺跡 | 3 | 1984 | 古墳時代前期の集落跡(付図有)。奈良・平安時代の小鍛冶工房からは丸鞆が出土。 | 147 | 39 | 非売 | あり | ||
小田部新地遺跡 | 4 | 1985 | 弥生時代墓域、古墳時代中期古墳、後期集落、中近世土葬墓、火葬墓の調査。 | 196 | 64 | 1750 | 560 | 1000 | あり |
池ノ谷・福増遺跡 | 5 | 1985 | 〔池ノ谷遺跡〕奈良・平安時代を中心とした溝状遺構、井戸跡などの調査。 〔福増遺跡〕円墳(福増3号墳)の調査。 |
108 | 49 | 820 | 350 | 510 | あり |
草刈遺跡 | 6 | 1985 | 草刈貝塚、弥生時代末〜古墳時代前期の集落、墓域。 | 134 | 48 | 非売 | あり | ||
永田・不入窯跡 | 7 | 1985 | 永田窯跡群・不入窯跡群の灰原の範囲を確認した。 | 34 | 8 | 非売 | あり | ||
山田大宮遺跡 | 8 | 1986 | 事例の少ない養老川中流域で発見された弥生時代中期の方形周溝墓群。 | 40 | 16 | 360 | 300 | 280 | あり |
潤井戸西山遺跡 | 9 | 1986 | 縄文時代の陥し穴、弥生時代中期環濠集落、古墳時代前〜後期集落、奈良時代竪穴住居跡、掘立柱建物跡、四脚門を伴う柵列塀跡他。 | 128 | 57 | 1130 | 350 | 580 | あり |
大羽根城郭跡 | 10 | 1986 | 中世山城に伴う外郭の測量を中心とした調査。(付図有) | 10 | 8 | 200 | 215 | 195 | あり |
村上城跡 | 11 | 1986 | 戦国期の城館跡。堀の一部から銅製香炉、板碑など出土。 | 38 | 15 | 360 | 270 | あり | |
能満上細工多遺跡・能満上新関遺跡・能満番目台遺跡・能満旧三山塚 | 12 | 1999 | 室町初期の宝篋印塔〔能満旧三山塚〕ほか。 | 43 | 30 | 340 | 300 | 260 | あり |
川中遺跡 | 13 | 1987 | 弥生時代後期住居跡、古墳時代前期古墳などの調査。 | 32 | 10 | 200 | 215 | 160 | あり |
郡本遺跡 | 14 | 1987 | 市原郡衙推定地付近の調査。 | 12 | 6 | 150 | 180 | 115 | あり |
白船城跡(第1次) | 15 | 1987 | 弥生時代、平安時代の集落跡。緑釉陶器、灰釉陶器出土。中世は城郭の一部で、台地整形区画や地下式坑などを調査。 | 13 | 7 | 150 | 180 | 140 | あり |
下鈴野遺跡 | 16 | 1987 | 縄文時代の陥し穴、弥生時代終末期〜古墳時代前期集落、中期古墳、奈良・平安時代方形周溝など。 | 203 | 65 | 1640 | 560 | 1000 | あり |
上大堀遺跡 | 17 | 1987 | 縄文時代中期住居跡2、陥し穴5などの調査。 | 103 | 32 | 920 | 350 | 545 | あり |
下ケ谷台遺跡 | 18 | 1987 | 古墳時代前期〜奈良・平安時代にかけての集落跡、住居跡7、6世紀末〜7世紀前半の土師器坏を多数出土。 | 41 | 19 | 360 | 215 | 220 | あり |
沢遺跡 | 19 | 1987 | 古墳時代後期〜歴史時代にかけての集落跡、住居跡2、工房跡1、掘立柱建物跡4、土器集積跡などの調査。 | 44 | 24 | 510 | 300 | 315 | あり |
外迎山遺跡・唐沢遺跡・山見塚遺跡 | 20 | 1987 | 〔外迎山遺跡〕終末期古墳、改葬系区画墓群及び火葬墓の調査。 〔唐沢遺跡〕縄文時代早〜晩期の遺跡の確認調査。 〔山見塚遺跡〕縄文時代後期の貝塚を伴う環状集落跡及び改葬系区画墓群の確認調査。 |
222 | 40 | 1640 | 350 | 880 | あり |
御蓙目浅間神社古墳 | 21 | 1987 | 古墳時代後期(6世紀初頭)の埴輪を有する帆立貝式古墳の調査報告、人物・猪・鹿・馬等の形象埴輪多数出土。。 | 42 | 15 | 360 | 300 | 255 | あり |
南富士台遺跡 | 22 | 1987 | 縄文時代早期野島式土器出土、弥生時代後期住居跡5軒、東遠江地方の菊川式壷千葉県初検出、五領式期住居跡4軒、ヘラ描文壷、結合器台出土。 | 28 | 12 | 300 | 215 | 165 | あり |
菊間手永遺跡 | 23 | 1987 | 縄文時代貝塚遺跡 を主に菊間古墳群天神山古墳出土の埴輪等を収録している。縄文後期土器・土製品・石器・埋葬人骨など多様な遺物が出土。中世戦国期には台地整形区画内に地下式坑、外側には土壙墓群を構築。このほか菊間廃寺の瓦が出土。 | 462 | 80 | 1750 | 560 | 1750 | あり |
皿郷田茂遺跡−第2次− | 24 | 1988 | 1次調査(センター報告書第1集)の隣接地。古墳時代前期の墓域の調査。 | 14 | 9 | 570 | 300 | 255 | あり |
大和田遺跡 | 25 | 1988 | 県内最古の須恵器窯。古墳、横穴墓群の調査。 | 59 | 24 | 510 | 300 | 370 | あり |
今富大道遺跡 | 26 | 1988 | 縄文時代早期条痕文系土器多数出土、調査区全域から炉穴が検出されている。炉穴合計46群121ヵ所。 | 106 | 44 | 1540 | 300 | 370 | あり |
中潤ケ広遺跡・天王台遺跡 | 27 | 1988 | 〔中潤ケ広遺跡〕古墳時代後期の円墳の調査。 〔天王台遺跡〕弥生時代終末期〜古墳時代前期の小規模集落跡の調査。 |
26 | 10 | 740 | 215 | 185 | あり |
山田橋表通遺跡 | 28 | 1999 | 弥生時代後期の集落跡。古代官道の存在を推測させる溝を検出。 | 59 | 98 | 1500 | 350 | 500 | あり |
千草山遺跡・東千草山遺跡 | 29 | 1989 | 弥生時代後期及び古墳時代から奈良平安時代の集落跡など。101号溝跡は千草山廃寺関連か。 | 349 | 45 | 2100 | 2100 | あり | |
文作遺跡 | 30 | 1989 | 古墳時代終末期〜平安時代にかけての集落跡、住居跡149、掘立柱建物跡35 | 276 | 57 | 3000 | 560 | 1230 | あり |
永田・不入窯跡 | 31 | 1989 | 8〜9世紀、須恵器窯跡群の灰原部分確認調査。。 | 32 | 11 | 2300 | 300 | 340 | あり |
棒ヶ谷遺跡・永田遺跡・海士有木遺跡・北旭台遺跡・姉崎山谷遺跡・喜多高沢遺跡・辰巳ヶ原遺跡・原遺跡 | 32 | 1989 | 〔棒ヶ谷遺跡〕縄文土坑20・弥生後期〜古墳前期竪穴住居跡11・弥生木棺墓1・古墳後期円墳1・中世城郭跡など。 〔永田遺跡〕奈良・平安時代の窯跡・集落跡。 〔海士有木遺跡〕中世城郭跡。 〔北旭台遺跡〕古墳3。 〔姉崎山谷遺跡〕縄文〜古墳時代竪穴住居跡5軒。 〔喜多高沢遺跡〕古墳時代後期集落跡。 〔辰巳ヶ原遺跡〕中世以前集落跡。 〔原遺跡〕古墳・集落跡。 |
67 | 21 | 非売 | あり | ||
福増山ノ神遺跡 | 33 | 1989 | 弥生・古墳の住居跡と奈良〜平安期の墓域等を検出。 | 34 | 9 | 430 | 300 | 300 | あり |
大厩弁天台遺跡 | 34 | 1989 | 弥生時代終末期の集落。古墳時代中期の円墳。 | 21 | 2 | 非売 | あり | ||
白船城跡−第2次− | 35 | 1997 | 15世紀後半から16世紀前葉にかけての城郭跡で、台地整形区画内に地下式坑が点在する。遺物は古瀬戸後IV(新)並行期が中心。 | 6 | 13 | 250 | 180 | 112 | あり |
青柳塚群 | 36 | 1990 | 海岸平野上の近世の供養塚11基の調査。 | 40 | 3 | 非売 | あり | ||
姉崎東原遺跡 | 37 | 1990 | 弥生時代中期から後期にかけての集落跡と円墳周溝を検出。 | 20 | 2 | 非売 | あり | ||
徒士橋遺跡 | 38 | 1989 | 古墳時代終末、奈良・平安時代の集落跡。古墳時代の住居跡からアサリなどの貝類が検出された。 | 18 | 5 | 非売 | あり | ||
北旭台遺跡 | 39 | 1990 | 古墳時代前期前半に比定される住居跡より有鉤銅釧の検出。 | 113 | 29 | 1400 | 350 | 635 | あり |
姉崎宮山遺跡・小田部向原遺跡・雲ノ境遺跡 | 40 | 1991 | 「小田部古墳」の再調査と隣接集落の調査他。 | 147 | 46 | 1830 | 560 | 1150 | あり |
郡本大宮遺跡 | 41 | 1991 | 古墳時代後期〜終末期と奈良・平安時代集落跡の調査 | 98 | 46 | 1520 | 350 | 840 | あり |
大厩浅間様古墳 | 42 | 1999 | 墳丘径50メートル強を測る前期古墳の調査。主体部から銅鏡・石釧の他、多種の玉類を出土する。また、墳丘下から弥生中期の環濠・方形周溝墓等を検出する | 78 | 54 | 非売 | あり | ||
奉免上原台遺跡 | 43 | 1992 | 縄文時代早期〜前期の炉穴群と住居跡、古墳と方形周溝状遺構群など。 | 346 | 78 | 4900 | 560 | 1900 | あり |
叶台遺跡 | 44 | 1992 | 養老川沖積微高地における弥生時代中期から古墳時代後期にいたる長期継続的な集落跡の調査。の調査。 | 89 | 116 | 2600 | 560 | 1050 | あり |
小谷1号墳 | 45 | 1992 | 6世紀末の前方後円墳。50個体以上の円筒埴輪と、と、車輪文当て貝痕を残す須恵器甕が出土。 | 37 | 11 | 非売 | あり | ||
草刈尾梨遺跡 | 46 | 1992 | 古墳時代の集落跡と居館址。弥生時代中期の住居跡。 | 32 | 6 | 1000 | 215 | 250 | あり |
奈良大仏台遺跡 | 47 | 1992 | 加曽利E式期の集落跡。他に陥し穴群、縄文時代早期土器等出土。 | 48 | 18 | 1900 | 300 | 450 | あり |
山田橋亥の海道貝塚 | 48 | 1992 | 縄文後期の貝塚を伴う集落、縄文中〜後期の遺物包含層(付図有) | 188 | 24 | 非売 | あり | ||
椎津茶ノ木遺跡 | 49 | 1992 | 古墳時代中期〜奈良時代に至る多数の竪穴住居跡間の重複関係から土師器の変遷過程が明らかになった。弥生時代中期末の大型竪穴住居跡からは琥珀製玉が出土している。 | 303 | 83 | 4200 | 560 | 1550 | あり |
安須古墳群 | 50 | 1993 | 中期方墳1基ほかを検出。中期古墳2号墳からは土師器・須恵器・鉄鏃・曲刃鎌・刀子形石製模造品が出土した。 | 43 | 16 | 非売 | あり | ||
姉崎東原遺跡B地点 | 51 | 1993 | 古墳時代前期前方後方墳1基・弥生から古墳時代の集落跡。 | 63 | 23 | 非売 | あり | ||
待戸遺跡・待戸供養塚 | 52 | 1994 | 〔待戸遺跡〕奈良・平安時代の集落跡。鋸などが出土した。 〔待戸供養塚〕近世の供養塚1基の調査。 |
15 | 4 | 非売 | あり | ||
上総国府推定地確認調査報告書(1) | 53 | 1994 | 〔村上地区〕奈良・平安時代の掘立柱建物跡などを検出。 〔古甲地区〕奈良・平安時代の大溝を検出。 |
21 | 5 | 非売 | あり | ||
姉崎東原遺跡C地点 | 54 | 1994 | 台地上は弥生時代後期に集落が営まれ、古墳時代になると墓域になる。斜面部は9世紀に竪穴住居が構築されたほか、現代に至るまで度重なる整地を受けている。 | 18 | 7 | 非売 | あり | ||
能満上小貝塚遺跡 | 55 | 1995 | 縄文中期末〜晩期中葉に及ぶ集落跡。小規模な貝塚を伴う。遺構、遺物包含層中から多量の遺物が出土。 | 539 | 79 | 残部なし | 710 | 2400 | あり |
郡本遺跡(第2次) | 56 | 1995 | 当遺跡は、市原郡家推定地であるが、今回の調査では、確定できる資料は得られない。 | 28 | 7 | 非売 | あり | ||
中高根南名山遺跡 | 57 | 1995 | 蔵骨器を伴う主体部を持つ方形周溝状遺構を持つ方形周溝状遺構を検出。遺跡のほぼ全域で道路上遺構を検出。 | 18 | 12 | 非売 | あり | ||
姉崎六孫王原遺跡 | 58 | 1997 | 墳丘のある方形周溝墓を始めとして、弥生時代の墓域と集落の関係および弥生時代から古墳時代にかけての集落の変遷が良好に検出された。 | 140 | 60 | 非売 | あり | ||
新生荻原野遺跡 | 59 | 1998 | 縄文時代早期・前期・中期の集落跡、古墳時代後期の区画溝を伴った集落跡。古墳時代後期から平安時代の墓域。 | 242 | 57 | 非売 | あり | ||
祇園原貝塚 | 60 | 1999 | 縄文時代後期から晩期の遺構と遺物、、自然科学分析、弥生・古墳、奈良・平安時代の遺構と遺物、貝塚・遺物包含層(CD-ROM付) | 1124 | 177 | 残部なし | 郵便小包料金 | 4600 | あり |
郡本遺跡(第4次) | 61 | 1999 | 当遺跡は、市原郡衙推定地である。柱筋のそろう掘立柱建物跡や特殊文字の墨書土器が多数出土した。 | 28 | 5 | 非売 | あり | ||
中高根南名山遺跡(第2次) | 62 | 1998 | 縄文時代早期(鵜ヶ島台期)に比定される竪穴住居跡を検出した。 | 20 | 5 | 非売 | あり | ||
市原城郭跡 | 63 | 1998 | 市原城の一部、あるいは隣接地点を調査。戦国期と思われる土壙を2基検出。うち1基は多数のヒト頭蓋骨が投げ込まれたような状態で出土した。刀傷の付いた遺体もある(人骨の分析結果は研究紀要VIで公表 併せて参照されたい)。 | 18 | 9 | 非売 | あり | ||
五霊台遺跡 | 64 | 1998 | 椎津城に伴う堀跡。椎津城に伴う畝堀のほか、鎌倉期の土壙墓(和鏡副葬)や方形竪穴遺構を検出。 | 95 | 24 | 非売 | あり | ||
西国吉遺跡 | 65 | 1999 | 包含層中から須和田式土器が出土。方形周溝墓の周溝内から手捏式土器が多数出土。 | 22 | 7 | 非売 | あり | ||
大厩辰巳ヶ原遺跡・八幡御所跡推定地 | 66 | 1999 | 縄文時代早期末葉の炉穴群と古墳時代後期の集落など。小弓公方、足利義明の館跡と伝えられているが、今回の調査では、確証を得られていない。 | 42 | 30 | 非売 | あり | ||
村上川堀遺跡 | 67 | 2000 | 8世紀中葉の掘立柱建物跡を検出。貝が投棄された地下式壙を検出。 | 78 | 39 | 非売 | あり | ||
北野原遺跡 | 68 | 2000 | 柄鏡形住居跡の検出、腕輪状土製品の出土、地下式壙を伴う方形周溝状遺構の検出とそれに伴う多量の鉄釘の出土。 | 67 | 11 | 500 | 300 | 400 | あり |
小鳥向遺跡 | 69 | 2000 | 河岸段丘上における、古墳時代前期の墓域の存在、平安時代の集落の存在、近隣での中世の鋳造を想定しうる遺物の存在が確認できた。 | 22 | 13 | 非売 | あり | ||
片又木遺跡II | 70 | 2000 | 縄文早期田戸上層式から子母口式を中心とする土器が出土した。弥生後期〜古墳前期にかけての竪穴建物群が高い密度で検出された。平安時代の竪穴建物跡は小鍛冶工房関連か。 | 37 | 11 | 非売 | あり | ||
草刈遺跡II | 71 | 2000 | 条痕文系土器が出土。大宮神社古墳群4号墳の周溝を検出。 | 7 | 2 | 非売 | あり | ||
姉崎東原遺跡C地点(第2次) | 72 | 2000 | 南向き斜面地において平安時代の住居跡や地山整形痕が検出された。 | 6 | 2 | 非売 | あり | ||
畑木小谷遺跡・椎津茶ノ木遺跡(第2次) | 73 | 2000 | [畑木小谷遺跡]弥生時代後期から古墳時代中期までの集落及び、古墳時代後期の墓域の広がりが確認された。 [椎津茶ノ木遺跡]古墳時代後期を中心とした、漁撈に深く関連する拠点的な集落遺跡である。 |
48 | 9 | 非売 | あり | ||
新井花和田遺跡 | 74 | 2001 | 縄文時代早期後葉の子母口式期から野島式期にかけての土器多数出土。。 | 122 | 42 | 1000 | 350 | 610 | あり |
喜多仲台遺跡 | 75 | 2001 | 調査例の少ない村田川中流域における縄文時代中期の集落と、平安時代中頃の比較的豊富な遺物量を持った竪穴住居跡を検出した。 | 20 | 8 | 非売 | あり | ||
釜神遺跡 | 76 | 2002 | 弥生時代中期から平安時代の集落跡。古墳時代前期の方形周溝墓及び中期の円墳など。 | 472 | 138 | 1700 | 710 | 2000 | あり |
小鳥向遺跡II | 77 | 2002 | 河岸段丘面における中世後期の墓域と思われる。ただし方形竪遺構群は生活跡や作業場跡などの可能性がある。鋳造関連遺物の出土から、鋳物師の活動が裏付けられる。鋳物師は建武5年の文献あり。 | 80 | 26 | 非売 | あり | ||
坊作遺跡 | 78 | 2002 | 上総国分尼寺の造営を契機に集落を形成。。国分尼寺の造営および何らかの経営に関わってきたことが推定でき、尼寺の付属施設の可能性が高い。また、これに関して郡や郷などの地名に関する墨書土器が出土。弥生時代後期前半の集落跡も検出されている。 | 852 | 186 | 4000 | 郵便小包料金 | 3800 | あり |
向原台遺跡・東向原遺跡 | 79 | 2002 | [向原台遺跡]海岸平野を見下す台地の縁辺に展開した集落、古墳群。弥生時代中期後半宮ノ台式土器が比較的まとまって出土した。 [東向原遺跡]弥生時代後期の集落跡だが、遺構の遺存は悪い。 |
190 | 50 | 900 | 350 | 800 | あり |
南祇園原遺跡・上神台遺跡・持塚5号墳 | 80 | 2002 | [南祇園原遺跡]弥生時代後期〜古墳時代前期の集落と方形周溝墓群。方形周溝墓からは東海系土器が出土。上総国分寺の南方に同時期の集落があることが明らかとなった。 [持塚5号墳]7世紀後半の方墳。 [上神台塚群]持塚5号墳に続く、終末期古墳群の可能性がある。 |
38 | 16 | 非売 | あり | ||
畑木小谷遺跡II | 81 | 2002 | 畑木小谷向古墳の墳形、時期の確定には至らなかったが、隣接調査区で検出された弥生時代後期の集落が台地先端部まで広がることがわかった。 | 17 | 5 | 非売 | あり | ||
加茂遺跡D地点 | 82 | 2002 | 弥生時代中期(2000年前)と古墳時代後半(1500年位前)のムラの跡。。古代(1300年位前)には上総国分寺へ向かうと考えられる道路が見つかった。 | 202 | 105 | 2400 | 560 | 1100 | あり |
稲荷台遺跡 | 83 | 2003 | 平安時代の四面廂付建物跡を中心に犠牲獣を伴う祭祀遺構と多量の施釉陶器を検出した。坂野和信氏「平安施釉陶器の編年」他掲載。 | 585 | 141 | 3500 | 710 | 2600 | あり |
台遺跡B地点 | 84 | 2003 | 弥生時代中期から古墳時代後期にかけて三角形の台地上全域に広がる700軒を超える大集落の南西部の調査で、東に続く弥生時代中期の環濠、北に広がる中世の遺構群の一部を検出した。古墳時代の集落は後の上総国分寺を支える基盤となったであろう。環濠集落と方形周溝墓の関係を知る良好な資料でもある。 | 422 | 105 | 非売 | あり | ||
山倉古墳群 | 85 | 2004 | 古墳時代前期から後期末の古墳群。後期末の1号墳からは埼玉県鴻巣市生出塚遺跡で焼成された埴輪群が良好な状態で検出された。これらの埴輪を検討した結果、製作者の人数が推定できた。 車崎正彦氏・山崎武氏の論考を掲載。 |
248 | 120 | 非売 | あり | ||
菊間遺跡群袖ヶ台地区 | 86 | 2003 | 縄文時代は遺構無し。弥生時代後期の住居は、2時期以上の継続がある。奈良時代掘立柱建物跡は、2棟に東西方向の規則性が認められる。 | 30 | 11 | 非売 | あり | ||
片又木遺跡III | 87 | 2004 | 山奥斜面に8世紀末から9世紀中葉の小鍛冶工房が展開。 平安末期にはこの斜面を大規模造成し、掘立柱建物を建造。治承・寿永の内乱以降、整地・建物規模の巨大化を見るが、 13世紀後葉に消滅する。カワラケが主体で、寺院の可能性がある。開発地に臨む谷奥の聖地か。 | 209 | 40 | 1500 | 350 | 850 | あり |
山田橋大山台遺跡 | 88 | 2004 | 弥生時代後期の集落跡を広範囲に調査。墓域を含む集落の変遷過程が明らかとなる。。奈良平安時代に開削時期が遡る可能性のある道路跡。緯度経度は新測地系。本文PDFと表組データを収録したCD-ROMあり。 | 332 | 89 | 非売 | あり | ||
辺田古墳群・御林跡遺跡 | 89 | 2004 | 古墳前期の円墳辺田1号墳から、葬送儀礼に伴う焼成前底部穿孔壷形土器多数と、副葬品として、長大な素環頭大刀・小型倣製鏡・槍・剣・ヤリガンナが出土した。また、古墳群下層の、弥生後期方形周溝墓2基の埋葬施設から、それぞれ腕に装着された状態で5連の環状帯型銅釧が検出された。下層には弥生時代の竪穴住居跡が101軒検出されており、良好な集落遺跡でもある。 | 488 | 122 | 非売 | あり | ||
潤井戸西山遺跡C地点 | 90 | 2004 | 弥生環濠の規模が推定可能となった。和泉期の集落が本遺跡に及んでいることが明らかになった。 | 16 | 7 | 非売 | あり | ||
市原条里制遺跡(蛇崎八石地区)・仲山遺跡 | 91 | 2004 | [市原条里制遺跡(蛇崎八石地区)]海蝕崖下に縄文時代中期中葉の低地性貝層と泥炭層を検出した。 [仲山遺跡]縄文・弥生・平安時代の土器が出土した。 |
18 | 4 | 非売 | あり | ||
根田代遺跡 | 92 | 2005 | 弥生時代中期末の環濠集落。 旧石器時代遺物集中地点1、弥生時代中・後期竪穴住居跡85軒・環濠1条・溝1条・土坑1基等、弥生時代終末期・古墳時代前期竪穴住居跡7軒・方墳(方形周溝墓)3基等、古墳時代後期・終末期・奈良時代円墳1基・方墳4基・地下式土坑3基・木棺土坑墓等を検出。 遺物観察表・本文PDFを収録したCD-ROM付。 |
332 | 116 | 2000 | 560 | 1550 | あり |
西広貝塚II | 93 | 2005 | 市原台地に位置する縄文時代中期末〜晩期の馬蹄形貝塚の調査。集落は堀之内式から加曽利B式を中心とし、該期の良好な一括資料が出土した。 遺跡南部からは後期後葉の大形住居跡と土坑群が検出され、曽谷式から安行1式の良好な資料を得た。遺跡北西部からは晩期中葉の土器が豊富に出土したほか、市内では例の少ない前期後葉の土器もまとまって出土した。 表類データを収録したCD-ROM付。 |
453 | 153 | 残部なし | 710 | 2040 | あり |
加茂遺跡A・B地点 | 94 | 2005 | 古墳時代中期後半から終末期に継続して営まれた集落跡。出土土器も豊富で土器編年が可能である。奈良時代末期の祭祀関連の井戸状遺構内から廃棄された多量の須恵器と共に原始灰釉陶器長頸壺が出土する。2分冊。 | 593 | 180 | 1500 | 710 | 2670 | あり |
潤井戸西山遺跡D地点 | 95 | 2005 | 古墳時代中期の遺構が本地点にも及んでいることがわかった。 | 17 | 9 | 非売 | あり | ||
市東地区遺跡群 | 96 | 2005 | 〔東国吉寺谷遺跡〕加曽利E式後半の集落の可能性が高い。 〔高倉ママダ上遺跡〕古墳〜平安時代の集落か。 〔東国吉下台遺跡〕縄文時代前期、古墳時代後期の集落か。 〔中野寺沢台遺跡〕製鉄伴う平安期集落、中世遺構群。 〔永吉花ノ台遺跡〕弥生時代から平安時代の集落の可能性あり。 〔永吉松ノ木台遺跡〕奈良・平安時代の集落か。 |
52 | 24 | 非売 | あり | ||
海上地区遺跡群 | 97 | 2005 | 海上郡衙推定地周辺の調査。 掘立柱建物跡・竪穴建物(住居)跡・土坑跡・井戸状遺構・溝状遺構・縄文土器・弥生土器・土師器・須恵器・灰釉陶器・緑釉陶器・中世陶磁器・カワラケ・瓦塔・瓦・鉄鏃・木柱・礎板・田下駄・烏帽子(布状漆製品)などが出土。 |
244 | 39 | 非売 | あり | ||
長平台遺跡 | 98 | 2006 | 弥生時代中期末から終末期にかけての集落跡と古墳前期に続く墓域を検出。 弥生後期中葉の周溝内埋葬を伴う方形周溝墓からは、副葬品として銅釧・ガラス玉が出土した。 弥生時代終末期の竪穴住居跡と方形周溝墓からは東海地方を主体とする非在地系土器が出土し、終末期前半の方形周溝墓には、鉄剣とガラス玉が副葬されていた。 遺物観察表・本文PDFを収録したCD-ROM付。 |
233 | 100 | 1000 | 560 | 1200 | あり |
書名 | No. | 刊行年 | 内容 | 本文 頁 |
図版 | 価格 | 送料 | 重量(グラム) | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
南岩崎遺跡 | 1 | 2006 | 弥生時代中期後半( 宮ノ台式期) と古墳時代中期( 和泉式期) を盛期とする集落跡。 弥生時代中期には方形周溝墓を伴う環濠集落が形成される。 古墳時代中期後半の区画溝が検出されたほか、初期須恵器が出土した。 遺物観察表・本文PDFを収録したCD-ROM付。 |
267 | 108 | 1260 | 560 | 1350 | あり |
西広貝塚III | 2 | 2007 | 市原台地に位置する縄文時代中期末〜晩期の馬蹄形貝塚の調査。 貝塚は堀之内式から加曽利B式を中心に形成され、とくに西側斜面部では最大2メートルの厚さの貝層が堆積していた。また一部には関東地方には珍しい晩期前葉から中葉の貝層および遺物包含層が形成され、土器・獣骨や石器・土製品・骨角器など多量の遺物が出土した。調査では、貝層の全てが採集され、これらのフルイを用いた水洗・選別作業を通じ、多種・多様な人工遺物・動物遺存体が多量に検出された。 データ類・本文PDFを収録したDVD-ROM付。3分冊箱入。 |
1550 | 211 | 4200 | 郵便 小包 1部80サイズ |
5700 | あり |
豊成百目木遺跡 | 3 | 2007 | 旧石器時代後期の遺物集中地点の調査。上層遺構の遺物は検出されていない。 立川ローム中第4層下部から第5層(第1黒色帯)中に遺物集中地点を確認した。 黒曜石製のナイフ形石器・石核・剥片・削片・石屑が出土。 |
34 | 14 | 非売 | あり | ||
平成18年度市原市内遺跡 | 4 | 2007 | 棗塚遺跡 中世の土壙墓や貝層を検出。 海士遺跡群三入道地区 弥生から平安時代にかけての集落跡と古墳2基を確認。 稲荷台遺跡L地点 弥生から平安時代にかけての集落跡。古代上総国府関連遺跡として知られる稲荷台遺跡の北端部にあたる。 姉崎二子塚古墳 県指定史跡である二子塚古墳の前方部墳丘裾から周溝にかけてを捕捉し、古墳の規模を確認した。円筒埴輪片が多数出土。 |
30 | 9 | 非売 | あり | ||
御林跡遺跡II | 5 | 2008 | 弥生中期から古墳時代終末期にかけての集落跡と古墳時代初頭の方形周溝墓3基、終末期古墳1基などを調査。 弥生時代は太型蛤刃「石斧・有角石斧・板状鉄斧などが検出された。 古墳時代では前期住居から内行花文鏡が検出された。 中期和泉式期には、県内でも早い段階で住居にカマドを敷設。初期須恵器も豊富な標識的遺跡である。 |
785 | 230 | 1500 | 郵便 小包 1部60サイズ |
3540 | あり |
海士遺跡群 (三入道地区) |
6 | 2008 | 弥生時代後期から古墳時代前期までの集落跡や、古墳時代前期の古墳、中世の墓域を検出。 古墳は径約20メートルの方墳・円墳各1基づつ検出。周構内には畿内・東海地方の影響を受けた個体群を含む多量の土器が出土。 中世の土壙墓からは和鏡が出土。 |
24 | 12 | 非売 | あり | ||
平成19年度市原市内遺跡 | 7 | 2008 | 稲荷台遺跡メートル地点 中世地下式坑状の遺構を検出。 郡本遺跡群(第8次) 弥生時代後期から平安時代の集落跡。 南岩崎仲山遺跡(第3次) 報恩寺古墳群の中核をなす報恩寺3号墳の周溝の一部を確認。 小鳥向遺跡(第4地点) 山木遺跡群(出戸地区) 平安時代の集落跡。 |
20 | 7 | 非売 | あり | ||
上総国分僧寺跡I | 8 | 2009 | 瓦を除く上総国分僧寺創建直前以降の資料を対象とした待望の報告書。 主要伽藍部は早稲田大学考古学研究室の調査資料を網羅したほか、寺院地北辺に展開する国府政庁風の政所院跡や講師院跡の推移を明確にした。 中世は旧寺院地内に方形館が営まれていたことを確認し、推移状況を想定した。 10世紀末から14世紀後葉にいたる土器編年も掲載している。 |
1314 | 395 | 3880 | 郵便 小包 1部80サイズ |
5700 | あり |
山田遺跡群 | 9 | 2009 | 養老川中流域の沖積平野を調査し、古墳時代後期の円墳などを確認、春日神社古墳群との関連が想定される。 遺物は風字硯や二日市場廃寺のものと思われる格子タタキの平瓦などが出土した。 |
42 | 15 | 非売 | あり | ||
南中台・ 荒久遺跡A地点 | 10 | 2009 | 縄文時代後期から晩期までの貝塚をともなう集落跡。 弥生時代終末期を中心とする集落跡から多量出土した北陸系土器群は必見。 奈良・平安時代の集落は国分寺運営との関係を考える上で良好資料。 中世は墓域となり、常滑6b型式の甕を棺とした土壙墓を検出。 |
344 | 166 | 残部なし | 560 | 1730 | あり |
平成20年度市原市内遺跡 | 11 | 2009 | 郡本遺跡群(第8・10・11次) 上総国府推定地に近い地区で、平安時代の集落跡と、中世の整地遺構を検出した。 椎津向原遺跡 近隣で調査された五霊台遺跡や茶ノ木遺跡で顕著に見られた古墳時代後期の集落が、その南側にまで展開することを確認した。 山新遺跡(第5地点) 姉崎二子塚古墳後円部の周溝範囲を考える上で有効な調査となった。 山木遺跡群市道地区 弥生時代後期から古墳時代前期の集落のほか、平安時代の掘立柱建物跡や竪穴建物跡も検出され、付近の白船城跡の古代集落とともに、この地域の重要性を示す資料となった。 |
30 | 10 | 非売 | あり | ||
台遺跡C地点 | 12 | 2010 | 弥生時代から奈良時代まで続く古墳と集落跡。 かつて報告書を刊行した台遺跡B地点の隣接地域として重要。 |
334 | 98 | 1000 | 560 | 1350 | あり |
新殿古墳群 | 13 | 2010 | 古墳時代終末期の前方後円墳1基、円墳1基、方墳2基の一部と、弥生時代中期末葉の方形周溝墓と住居跡の一部の調査。 | 21 | 6 | 非売 | あり | ||
郡本遺跡群(第12次) | 14 | 2010 | これまで例の少なかった中世遺構の本調査。中世後期における大規模な台地整形区画と、そこに展開する墓地。 | 28 | 13 | 非売 | あり | ||
小ノ台遺跡 | 15 | 2010 | 養老川中流域の古墳時代後期の集落跡。古墳時代の竪穴住居跡は5世紀から7世紀初頭ころまでだが、8・9世紀の竪穴も分布している。 | 43 | 22 | 非売 | あり | ||
平成21年度市原市内遺跡 | 16 | 2010 | 山木遺跡群市道地区第2地点 昨年度調査区の隣接地で、同一と思われる奈良・平安時代の掘立柱建物跡や竪穴建物跡を確認した。 郡本遺跡群(第13次) 昨年度調査き続き、13世紀後半のカワラケを多量に含む大型遺構を確認し、中世の大規模造成が行われたエリアであることの事例を追認した。 村上遺跡郡門前地区 国府推定地内かつ村上城跡内であったが、中近世とみられるピット群の検出にとどまった。 白船城跡(第6次) 城跡の東裾部分で、腰曲輪状の平坦面の造成跡とみられる盛土層が確認された。 菊間遺跡群鍛治屋前地区第2地点 弥生時代後期・古墳時代前期の竪穴建物跡を調査。隣接地区第1地点や雲ノ境遺跡の成果とあわせ、集落の展開を検討できる事例となった。 |
28 | 10 | 非売 | あり | ||
荒久遺跡B・C 地点 | 17 | 2011 | 上総国分僧寺跡に隣接する奈良・平安時代を中心とした竪穴建物跡を中心とした集落跡。北アラク遺跡・荒久遺跡として調査された範囲を収録した。遺跡の位置や灰釉花文浄瓶に代表される仏器・瓦などの出土遺物などから、僧寺造営に深く関連する遺跡と考えられている。 300点近い墨書・線刻土器、文字瓦などの文字資料には、僧寺の施設・新発見を含む地名など良好な資料が含まれる。また、「周」銘瓦の観察から押型が同型であることが判明し、僧寺修繕における造瓦体制を考える上で重要な資料になるとみられる。調査では350棟を超える竪穴建物跡を検出しており、土器の既存編年に基づく集落変遷の再現を試みている。 |
775 | 332 | 2470 | 郵便 小包 1部80サイズ |
3800 | あり |
能満遺跡群天王辺田地区 | 18 | 2011 | 中世真言寺院釈蔵院背後の標高24.5メートルの洪積台地縁辺に位置し、東側は山木付近で海岸平野に達する開析谷に面している。調査では、弥生時代後期の竪穴住居跡と、古墳時代の方墳と考えられる周溝の一部や、中世のV字溝や大型土坑などが発見されている。遺跡の性格を特定するには至らなかったが、能満城跡との関連が想定される遺構である。また、出土品の中には、12・13世紀の白磁合子や緑釉鉢などの中国製高級陶磁器の破片が含まれており、当該期の当地域の重要性をうかがわせている。 | 14 | 4 | 非売 | あり | ||
平成22年度市原市内遺跡 | 19 | 2011 | 郡本遺跡群第14次 去年に続き大規模な中世のV字状溝跡を確認し、その方向や性格などを考察した。 海士遺跡群久保畑地区 貝層を伴う竪穴建物跡を検出し分析した結果、淡水貝が多く含まれるなど、縄文時代の貝層とは異なる特徴をみた。また、隣接する8世紀中葉の竪穴建物跡では、鎌と砥石が出土し、国分寺建立期の一般集落の様子がみられた。 山新遺跡第6・第7地点 新たに古墳2基を確認した。また、新知見として二子塚古墳の築造時期よりも早い前期段階の集落と小鍛冶痕跡を確認したことの意義は大きい。 菊間遺跡群宮ノ腰地区 貝層を確認した。遺物が少なく時期は不明確であったが中世のものとみられる。 白船城跡第8次 主郭推定部分を調査したが、大きく削平を受けていたことが残念であった。ただ、今までの調査で未確認の時期である、古墳時代後期の集落跡を確認した。 市原城跡辻地区 市内最大級の大型掘り形をもつ柱穴跡を確認し、数時期にわたって大型建物が存在したことが明らかとなった。光善寺廃寺跡や国府推定地を有する市原エリアである当該地の重要性を、さらに裏付ける事例となった。 |
32 | 11 | 非売 | あり | ||
平野馬頭塚 | 20 | 2011 | 塚は、養老川上流域左岸の丘陵上にあり、出羽三山信仰により築造された供養塚である。塚築造時の地鎮祭祀や盛土途中での撒き銭など、祭祀行為の一端が復元できる。多量の出土銭は古寛永・新寛永の文銭のみで構成され、塚はおおむね延宝から元禄前半期(1673から1697)に築造されたと思われる。幕末には馬頭観音を祀る「馬頭塚」として新たな役割を担っていた。 | 20 | 10 | 非売 | あり | ||
寺ノ台遺跡第2次 | 21 | 2012 | 遺跡は、養老川上流域左岸の標高95メートル前後の独立台地上に位置する。台地の平面形状は三角形を呈し、養老川と浦白川が合流する部分に独立している。付近の畑には縄文時代中期後半の土器片が多く散布し、1次調査区では大形の深鉢数点が出土している。今回の調査でも縄文時代中期後半加曽利EIII式期の遺物が多くみられ、当該期の集落が台地全体にひろがっていることが確認された。 ただ、今回調査区の遺構はやや貧弱であり、黒曜石の剥片が多くみられるなど、狩猟基地としての季節的な土地利用が考えられる。早期中葉の沈線文系・後葉の条痕文系の土器も多くみられ、わずかながら前期の関山式期も混在していることから、想定よりも長期間にわたる土地利用が判明した。 |
20 | 9 | 非売 | あり | ||
平成23年度市原市内遺跡 | 22 | 2012 | 能満遺跡群地楽寺地区第2地点・ 二階台地区第2地点 弥生時代後期と古墳時代後期の竪穴建物跡を調査し、中世の溝跡も検出した。溝跡は鎌倉期にまで遡る可能性があり、戦国期の能満城跡に先行するものとみられる。 椎津尾崎遺跡第2地点 中世の方形竪穴状土坑を検出し、隣接する第1地点からの遺構の分布を確認した。 島原遺跡 古墳時代終末期と奈良・平安時代の竪穴建物跡4軒を確認した。 棗塚遺跡第5次 姉崎の砂堆上において古墳時代後期集落の存在を初めて確認した。 海士遺跡群海士地区 中世以前と見られる溝跡3条・土坑1基を検出した。 二日市場遺跡第2地点 奈良・平安時代と見られる溝跡1条を検出した。 姉崎東原遺跡E地点 中世地下式壙1基を確認した。 菊間藩庁跡 弥生時代後期の集落跡を確認するとともに、菊間古墳群において新たな円墳を確認した。 山倉前畑遺跡第2地点 弥生時代後期から古墳時代前期にかけてと、古墳時代後期における遺構密度の高い集落遺跡であることが判明した。 |
42 | 12 | 非売 | あり | ||
小鳥向遺跡III | 23 | 2012 | 弥生時代中期の方形周溝墓の検出は、叶台遺跡における同時期の集落の墓域である可能性をふまえれば、集落のありかたについてこれまでの理解を再検討する新たな資料となる。 中世については、隣接する小鳥向遺跡第1・3地点に関連するとみられる遺構群を確認しした。直接鋳物師の操業を示す遺構は検出されなかったが、鋳造関連遺物の散布域が東方に広がることが確認できた。 |
21 | 4 | 非売 | あり | ||
中台遺跡 | 24 | 2013 | 東日本最古の古墳として知られる神門古墳群の母村と捉えうる、弥生時代終末期(古墳時時代早期)を中心とする集落。 北陸系・畿内系を中心とする外来系土器が多量に出土し、遠距離間交流の拠点として注目される。 部分的に検出された棟持柱付建物を伴う方形区画施設は、首長居館に関連する可能性があり、神門3〜5号墳被葬者のいずれかが残したものと考えられる。 データ類・本文PDF・RGB版遺物写真図版を収録したDVD-ROメートル付。2分冊箱入。 |
583 | 144 |
1970 |
710 | 2530 | あり |
天神台遺跡 I | 25 | 2013 | 縄文時代早期後葉〜前期前葉の集落跡で、早期は竪穴住居跡と炉穴群、前期は竪穴住居跡群からなる。当該期の大規模調査例として、市内はもとより県内でも稀少。 長軸10メートルを超える早期後葉の大型住居跡が複数検出されたほか、膨大な量の土器・石器が出土。 早期には遺構内を主とする貝塚が存在。貝層すべてが採取され、フルイを用いた水洗選別により、多種・多様な人工遺物、動物遺存体が検出された。イノシシ・シカなどの獣骨類は特に多く、1400点を超えるツノガイ類などを加工した微少な貝玉類は特異。埋葬人骨1体も検出された。 データ類・本文PDFを収録したDVD-ROM付。3分冊箱入。 |
1362 | 187 | 5990 | 郵便 小包 1部80サイズ |
4900 | あり |
郡本遺跡群(第15次) | 26 | 2013 | 養老川下流右岸台地上、東京湾を望む海食崖近くの平坦面で中世後期の生活址を検出した。地山ローム層を掘り込んだ整地面に、掘立柱建物跡3棟・地下式坑4基等を確認した。区画外にも多数の小竪穴・土坑・ピットが分布し、調査区南端の溝まで生活空間の広がることを確認できた。遺構の多くは時期不明だが、出土土器の様相から15世紀前半が主体だと考えられる。 地下式坑の竪坑などから貝層が検出され、イボキサゴが圧倒的な数量を占める共通する様相が確認されている。地下式坑からは他にウマ・シカの肢骨が出土している。馬小屋遺構の可能性もある小竪穴も存在し、中世後期の居住域の構成を示す好例と思われる。土器類の出土密度と組成は、東京湾沿岸の沖積地に展開する街村集落遺跡に匹敵するもので、中世上総の政治的中心部に近いことを反映している可能性がある。 |
46 | 18 | 非売 | あり | ||
平成24年度市原市内遺跡 | 27 | 2013 | 郡本遺跡群第15次 調査区北半に中世後期の台地整形区画と遺構の集中を確認した。 郡本遺跡群第16次 並行する可能性がある奈良・平安時代の南北溝2条を検出した。中世には墓域であったとみられる。 君塚クワノ木古墳 江戸期の塚改修に伴うと思われる寛永通寶を検出した。 市原城跡門前地区 上総国府推定地の調査で平安期の遺構を確認した。古代末から中世初頭の土壙墓の副葬品として握り鋏と火打金が出土した。 山倉前畑遺跡第2地点 養老川右岸の低位段丘面で、弥生後期と古墳後期の集落域を確認した。 辰巳台遺跡群第2地点 開析谷を望む台地平坦面で、縄文早期と古墳前期の居住域を確認した。 菊間遺跡群深道地区C地点 菊間古墳群下層の弥生後期居住域と中世地下式坑を検出した。 市原城跡辻地区第2地点 上総国府推定地の調査で中世の大規模な溝を検出した。古代道路と重複する可能性がある。 山新遺跡永津前地区 姉崎地区の沖積低地において弥生後期と古墳前期の遺構を検出した。 |
40 | 10 | 非売 | あり | ||
山新遺跡永津前地区 | 28 | 2013 | 山新遺跡永津前地区は、市の北側に存在する東京湾岸沿いに展開する沖積地にあり、標高7メートル前後の砂堆列上に位置する。調査の結果、弥生時代後期の土坑墓や、古墳時代前期の溝状遺構などを検出した。 土坑墓は、砂堆列上に位置しており、うち1基は、壺の上部を打ち欠いて破片を置いた上に、下半部を「土器棺」として埋納したと考えられる。溝状遺構は、砂堆列上から低地に向かって、ゆるやかに弧を描きながら、南下している。調査範囲が狭小なため、溝状遺構としたが、円墳の周溝である可能性も否定できない。 これまであまり調査事例のなかった姉崎地区における、東京湾を望む沖積地の調査成果は、今後、沖積地での歴史的な環境の復原を考えていくうえで、大いに参考となるだろう。 |
6 | 2 | 非売 | あり | ||
台遺跡A・D地点 | 29 | 2014 |
弥生時代から平安時代まで続く集落跡の一部。弥生時代から奈良時代の一部の遺構については、台遺跡B・C地点として既に報告書も刊行されている。 |
648 | 160 | 非売 | あり | ||
平成25年度市原市内遺跡 | 30 | 2014 | 能満分区遺跡群(貝殻塚地区) 今回の調査地点は能満分区遺跡群の南端部であり、 能満分区貝塚の東側縁辺部に当たり、能満分区貝塚の時期と範囲が調査対象範囲部分で確認された。 大厩遺跡群(一心原句地区) 当遺跡から南東50〜100メートルに平成4年度調査の大厩鍛冶屋前台遺跡があり、弥生、古墳時代の住居跡が32軒検出された。大厩遺跡群の北辺に当たる。 椎津向原遺跡(第2地点) 平成20年度に調査した椎津向原遺跡の成果と同様な古墳時代後期と平安時代の集落跡が、50メートル東側方向の本地点まで連続していることが判明した。 市原城跡(門前地区・第2地点) 当遺跡の北側隣接地域は、平成24年度調査の門前地区第1地点であり、弥生時代後期集落が検出されていることから、第2地点もこの関連とみられる。 郡本遺跡群(第17次) 調査区内全域にわたり、弥生時代中期から古墳時代前期にかけての竪穴建物跡を検出した。 郡本遺跡群(第18次) 南北に走る古代道の推定地が、今回発掘対象の西側に隣接するが、その痕跡は確認されず、道の推定ラインが今回対象範囲の西側に位置していることが確実となった。 郡本遺跡群(第19次) 海岸平野を西に望む台地の縁辺において、平安期の竪穴建物跡が確認された。 郡本遺跡群(第20次) 調査区内北域において、中世と考えられる溝状遺構を検出した。 郡本遺跡群(第21次) 郡本遺跡群内南側に位置する藤井地区において、奈良・平安期の竪穴建物跡などが確認された。 稲荷台遺跡(L−2地点) 弥生時代後期と古墳時代前期の竪穴建物跡を検出した。 稲荷台遺跡(L−3地点) 平安時代の竪穴建物跡を検出した。 稲荷台遺跡(N地点) 西側隣接地域は稲荷台遺跡の官衙区域に当たり、調査区南北方向は幅10メートル前後の範囲で奈良・平安時代から中世初期まで使用された幹線道路の畦畔が地上部に現れている。調査区北半に中世後期の台地整形区画と遺構の集中を確認した。 |
50 | 12 | 非売 | あり | ||
諏訪台古墳群・天神台遺跡II | 31 | 2015 | 主要な遺構は、墳墓が310基(弥生時代中期後半方形周溝墓から、古墳時代前期古墳までが119基、古墳時代後期から終末期古墳、奈良・平安時代の律令制墳墓が191基)、古墳時代終末期竪穴建物跡1棟、土壙・土坑が350基、溝31条、台地整形4か所、集石遺構1か所などで構成される。 弥生時代中期後半に造墓活動が開始され、弥生後期、古墳時代前期後半まで継続するが、古墳時代後期後葉まで空白期が存在する。その後古墳時代終末期、奈良・平安時代(9世紀初頭)まで区域と墳形が変遷しながら、墓域として存続する。再度の空白期を経て、中世後期段階に台地整形を伴う墓域が形成される。 市原台地でも屈指の密度と、断絶期はあるものの長期にわたる造墓活動は、当該地の土地利用の性格を色濃く反映したものとして特徴付けられる。また、本遺跡は、弥生時代終末期後半とされる神門墳丘墓群と、その被葬者の母村と位置づけられる中台遺跡とは、小谷を挟んで対向する位置関係にあり、神門墳丘墓群造営のあり方を考える上で、比較資料として重要な位置を占める。 |
986 |
227 |
3780 | 郵便 小包 1部80サイズ |
4200 | あり |
海保地区遺跡群II |
32 |
2015 | 海保広作遺跡 旧石器時代では、礫群を含む遺物集中ブロックを検出し、多数の石器製作や使用の痕跡を確認した。 縄文時代では、早期後葉と前期後葉の集落と遺物包含層を検出した。特に縄文前期の浮島から興津式期の集落は、小規模ながら今回の調査範囲内で完結しており、当該期の集落の様子を示すものとみられる。 遺構、遺物の在り方から、短期居住的集落と推定される。 古墳時代の集落や古墳は、海保地区遺跡群の他の遺跡では多数発見されているが、本遺跡内では古墳時代前期の方形周溝墓1基を検出したのみである。奈良・平安時代以降では、遺跡東端で長大な溝を検出した。これらの覆土中堆積物の分析結果等から、牛馬の放牧に関わる遺構と推定した。 |
190 | 43 |
非売 |
あり | ||
稲荷台遺跡L1・L4地点 | 33 | 2015 | 稲荷台遺跡(L1地点) 弥生時代後期から古墳時代前期の集落と平安時代の集落、中世のピット群、溝など。出土遺物では、平安時代の緑釉陶器把手付坏が類例のない優品である。 稲荷台遺跡(L4地点) 性格は不明だが中世とみられる大型の土坑がある。 |
40 | 16 |
非売 |
あり | ||
平成26年度市原市内遺跡 | 34 | 2015 | 大厩遺跡群(一心原句地区第2地点) 今回調査区から南東40〜100メートルに平成4年度調査の大厩鍛冶屋前台遺跡があり、弥生時代から古墳時代の竪穴建物跡が32棟検出されている。近接することから、今回調査区は大厩遺跡群の北辺に当たり、かつ当該期遺構群の北辺部と考えられる。 姉崎二子塚古墳 調査区内全域にわたり、姉崎二子塚古墳の周溝が存在しており、墳丘側周溝内から円筒埴輪片の出土が認められた。 六孫王原遺跡(G区) 調査区西側において、方形周溝墓が確認された。墓域の東端と考えられる。 山倉前畑遺跡(第2-2地点) 弥生時代終末期から古墳時代前期の竪穴建物跡を検出した。 郡本遺跡群(第22次) 調査区内全域にわたり、平安時代の竪穴建物跡を検出した。 市原城跡(門前地区第3地点) 周辺調査では検出例の少ない古墳時代終末期の遺構を検出した。 稲荷台遺跡(L5地点) 平成18年度市内遺跡調査において、確認調査を実施している。 稲荷台遺跡(L6地点) 奈良・平安時代竪穴建物跡では、永田・不入窯産の須恵器が多数検出され、被熱した布目瓦片も多数出土している。 稲荷台遺跡(L7地点) 宅地面から遺構確認面まで1メートル前後あり、盛土造成されている。 |
52 |
12 |
非売 |
あり | ||
六孫王原遺跡G区 | 35 | 2016 | 六孫王原遺跡既調査地点東部にあたるG区を調査した。検出した遺構は、弥生時代後期から終末期の竪穴建物跡と方形周溝墓、古墳時代中期の円墳及び中世の道路状遺構などである。弥生時代後期から終末期の拡張した方形周溝墓の検出や土壙墓から出土した鉄鎌と螺旋状鉄釧は注目される。先に調査した隣接するB・C・D区と同様な遺構がG区まで延びていることが判明した。 | 32 | 13 | 非売 | あり | ||
上総国分僧寺跡II | 36 | 2016 | 天平13年(741)の聖武天皇の詔によって全国に建立された国立寺院のひとつで、創建期軒瓦には平城宮系の文様が用いられた。 中心伽藍を除く遺構出土瓦はいずれも2次利用であるが、軒瓦の笵傷進行及び技法変化に基づく段階設定と、出土遺構時期との対応から、 各瓦窯との時系列的関係が明らかとなり、神門・南田ともに補修期の瓦窯であることが判明した。 創建期軒瓦は平城宮6225-6691型式を忠実に模倣しており、都との強いつながりが考えられる。補修期には軒丸瓦が重圏文系に切り替わるが、軒平瓦は平城宮6691型式系の瓦笵が使い続けられ、文様の斉一性が図られなかった可能性がある。 大規模補修の契機は、9世紀前葉以降に頻発する地震等の自然災害や俘囚の反乱等の騒乱が考えられるが、9世紀中葉の火災以降、瓦窯の再操業や建物の刷新は断念され、再利用により残存建物の瓦葺きを維持し、次第に掘立柱建物へ変化したものと考えられる。 |
1019 | 225 | 5180 | 4150 | あり | |
平成27年度市原市内遺跡 | 37 | 2016 | 椎津城跡(五霊台地区) 調査区は椎津城跡の最南端部に当たる。中世の区画墓域が検出された。 市原条里制遺跡(古市場川端地区) 調査区は自然堤防上に位置し、中世後期から近世初頭の生活痕跡が検出された。 海士遺跡群・蟻木城跡 調査区は微高地上に位置し、激しく重複する古墳時代から奈良・平安時代の竪穴建物跡が検出された。 姉崎台城跡 調査区は千葉県指定史跡の姉崎天神山古墳に隣接する。円筒埴輪の出土から、周囲に埴輪を伴う古墳の存在が想定される。 椎津向原遺跡(第3地点) 調査区は台地縁辺部に位置し、台地中央部から広がる古墳時代後期の集落跡が確認された。 |
28 | 9 | 非売 | あり | ||
稲荷台遺跡L8地点 |
38 | 2017 | 弥生時代から平安時代にかけての竪穴住居跡等を検出した。灰釉・緑釉陶器や墨書土器等が多数出土した平安時代の遺構群は、国府関連遺跡と捉えられているE地点と時期的にも一致する。E地点では確認されなかった「二」と記された墨書土器が検出された。 | 51 | 17 | 非売 | あり | ||
平成28年度市原市内遺跡 | 39 | 2017 |
山新遺跡(永津前地区第2地点) 遺構は未検出ながら、縄文時代中期、弥生時代後期、古墳時代前期の遺物が一定量出土した。 |
56 | 8 | 非売 | あり | ||
千草山遺跡第3地点 | 40 | 2017 | 調査区は、市原台地新田川上流の支谷に挟まれた、南北に長い標高31メートル前後の舌状台地上に位置する。古墳時代後期(6世紀末)の竪穴住居跡1棟(部分)の本調査を実施した。遺構に伴わない遺物は、縄文時代早期の撚糸文系の稲荷台式と、縄文時代中期の加曽利E式、弥生後期土器が少量出土した。 近隣の千草山廃寺関連の遺構、遺物は検出されなかった。 |
8 | 2 | 非売 | あり | ||
台遺跡E地点 | 41 | 2017 | 台遺跡は、東京湾に面した海岸平野を西に望む標高18〜20メートル前後の台地上にあり、 E地点は、御林跡遺跡や根田遺跡を南に望む、台遺跡の北端に位置する。調査では、上層に展開する西谷古墳群を除き、弥生時代中期の方形周溝墓や、弥生時代後期〜古墳時代後期初頭までの竪穴建物跡及び中世の土坑墓などを検出した。また、古墳時代中期後葉〜後期初頭の竪穴建物跡において、土器祭祀及び臼玉祭祀が行われたと考えられる遺構がそれぞれ検出された。北西部においては、中世戦国期における墓域が展開していたと考えられ、板碑や五輪塔などの石造物が出土している。 | 410 | 109 | 非売 | あり | ||
山新遺跡・白塚出途遺跡 | 42 | 2018 | 姉崎二子塚古墳と同じ砂堆上に位置する古墳時代前期末から古墳時代中期前半を中心とした集落跡と古墳群。古墳群は中小規模の古墳で構成され、方墳から円墳への転換期に築造された可能性がある。発見された古墳群は、姉崎古墳群中での位置付けを意図して姉崎古墳群山新支群とした。有黒斑の櫛描文埴輪が出土。 | 185 | 77 | 非売 | あり | ||
平成29年度市原市内遺跡 | 43 | 2018 | 福増中ノ台遺跡 大規模重複遺跡の武士遺跡に隣接し、弥生時代後期集落の広がりを確認した。 姉崎台遺跡(第2地点) 姉崎古墳群の範囲にある弥生時代から古墳時代の拠点的集落跡と見られる。 郡本遺跡群(第23次)・市原古道遺跡 調査区東側が近世以降に大きく削平を受け古道跡は検出されなかった。郡衙推定地と古代道路の関係については今後の課題となった。 柏原遺跡群(第2地点) 養老川河口地域の砂丘帯上に立地する。縄文時代後期中葉の遺物がまとまって凹地から検出され、縄文後期には生業拠点の存在したことが判明した。 海保供養塚群・海保大塚遺跡(第3地点) 遺跡整備のための重要遺跡確認調査。供養塚群のうち海保大塚と三山塚は古墳からの改変が確認された。海保大塚下層古墳は直径が60メートル を超える大型円墳であり、古墳時代前期末から中期初頭に築造されたものと推定される。古墳群下層には弥生時代後期以降の竪穴建物跡が検出され、集落跡の広がりが想定できる。 |
68 | 14 | 非売 |
あり |
||
福増中ノ台遺跡 | 44 | 2018 | 養老川中流右岸の沖積面を西に望む標高70メートル程度の台地上に位置する。縄文時代早期と考えられる炉穴や縄文時代後期〜古墳時代前期までの竪穴建物跡等を検出した。 縄文時代後期の注口土器が完形で出土したほか、縄文時代晩期末葉を中心とした土器が出土しており、東に近接する武士遺跡を含めた晩期遺構の存在が想定される。 |
20 | 6 | 非売 | あり | ||
棗塚遺跡 | 45 | 2019 | 中世後期の集落遺跡。街道の両側に広がる土壙や在家群を確認した。遺物はバラエティーに富み、南伊勢系土器が多量に出土したほか、製革関連業を想起させる転用砥石や鍛冶工房なども検出している。梅毒や水頭症による病変骨の出土も加え、考古学的に都市的な様相が指摘できる。遺跡は13世紀末〜14世紀中葉に成立し、14世紀後葉から高度成長を遂げ、16世紀第2四半期頃に都市的空間が消滅したと思われる。 | 210 | 80 | 非売 | あり | ||
平成30年度市原市内遺跡 | 46 | 2019 |
鬼子母神貝塚・姉崎台遺跡(第3地点) 鬼子母神貝塚東端部の貝層を検出した。 |
46 | 8 | 非売 | あり | ||
祭り野遺跡(第3地点) | 47 | 2019 | 神崎川右岸の標高44メートル 程度の舌状台地上に位置する。弥生時代後期〜終末期の竪穴建物跡3棟、古墳時代前期の竪穴建物跡2棟等を検出した。 第1地点、第2地点から続く集落が弥生時代後期後半から古墳時代前期後半の期間も営まれていたことが明らかになった。竪穴建物跡炉内覆土からガラス小玉が出土。 |
20 | 8 | 非売 | あり | ||
南大広遺跡(C地区) | 48 | 2020 | 調査区は蕨手刀の埋納された基壇を伴う古代寺院跡であるB地区の北側にあたる。弥生時代と平安時代の竪穴建物跡、古墳時代終末期から奈良時代前半ごろの墓域を検出した。 B地区と時期的に一致する集落であることから、寺院の運営集落とみられる。 | 32 | 18 | 非売 | あり | ||
令和元年度市原市内遺跡 | 49 |
2020 |
上椎木遺跡(第4地点) 縄文時代早期炉穴群の広がりを確認した。 瀬又小滝遺跡(第2地点) 縄文時代の土坑を確認した。 大宮神社浅間塚 塚構築土から近世陶磁器に共伴し近代磁器が出土。富士塚の築造年代は明治時代以降と判明した。 南大広遺跡(C地区) 調査区南側において、古墳時代終末期の方墳を確認した。 稲荷台遺跡(O地点) 弥生時代後期及び奈良・平安時代の竪穴建物跡を確認した。 |
28 | 9 | 非売 | あり | ||
山新遺跡第2地点 | 50 | 2020 | 養老川下流左岸の沖積低地浅谷部において、縄文時代後期から晩期の土器を主体とした総量3トンに及ぶ遺物包含層を検出した。土器は晩期前葉に属するものが大半であるが、最下層から晩期中葉の土器も出土している。さらに、晩期後葉から末葉の浮線文系土器や撚糸文が施文された深鉢形土器も出土した。 また、弥生時代中期後半の宮ノ台式期の竪穴建物跡を検出し、周辺から有孔磨製石鏃が出土した。中世では、区画溝を伴った掘立柱建物跡が検出されるとともに、南伊勢系土器や鉄滓などが出土した。 |
202 | 124 | 非売 | あり | ||
稲荷台遺跡O地点 | 51 | 2020 | 稲荷台遺跡・稲荷台古墳群の北方にあたる。L地点の東側隣接地区の調査。 奈良・平安時代を中心とする竪穴建物跡や、平安時代と考えられる溝状遺構、中世前半期の可能性がある方形土坑を検出した。灰釉陶器片などが出土。 |
14 | 2 | 非売 | あり | ||
稲荷台遺跡P地点 | 52 | 2021 | 平安時代を中心とする竪穴建物跡や平安時代の掘立柱建物跡を検出した。 一部は鍛冶工房および関連建物と見られ、滓類や鍛造剥片などの製鉄関連遺物が出土した。 | 72 | 24 | 非売 | あり | ||
牛久石奈坂1号墳・石奈坂遺跡 | 53 | 2021 | 養老川中流域の段丘上に位置する、古墳時代中期後葉の直径約30メートルの円墳。 2基の主体部を確認。 主体部Aからは大刀、刀子、鉄鏃、鉄鎌、勾玉等のほか、古墳時代中期のダ龍鏡が出土。主体部Bからは鉄剣、鉄鏃、刀子、鉄斧、槍鉋、管玉のほか、金銅製三輪玉が鉄剣へ装着された状態で出土した。 下層からは古墳時代前期の竪穴建物群を検出。 同じ段丘上に位置する牛久古墳群と同時期であり、対応する居住地の可能性がある。 |
90 | 64 | 非売 | あり | ||
令和2年度市原市内遺跡 | 54 | 2021 | 郡本遺跡群(第25次) 平安時代の竪穴建物跡が検出された。 稲荷台遺跡(P地点) 奈良から平安時代にかけての竪穴建物跡が多数検出された。手斧などの鉄製品が出土。稲荷台遺跡B地区に隣接する。 稲荷台遺跡(Q地点) 弥生時代後期、古墳時代前期の竪穴建物跡などが確認された。 西野遺跡群(権現堂地区) 奈良・平安時代から中世にかけての井戸状遺構3基、中世の井戸状遺構3基を検出した。中世陶器が出土。 |
26 | 7 | 非売 | あり |
書名 | No. | 刊行年 | 内容 | 本文 頁 |
図版 | 価格 | 送料 | 重量(グラム) | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
小鳥向遺跡IV | - | 2013 | 国際文化財株式会社調査・報告 弥生時代後期の方形周溝墓や古墳時代後期の竪穴建物を遺跡内では初めて検出した。 また、これまでにも見つかっている中世の鋳造関連遺物の分布範囲が本調査区の東側へ広がることを確認した。 |
74 | 15 | 非売 | あり | ||
海保地区遺跡群I | - | 2014 | 国際文化財株式会社調査・報告 3遺跡は、養老川下流域左岸の台地上に立地する。周辺には姉崎二子塚古墳や六孫王原古墳(終末期の前方後方墳)で著名な姉崎古墳群が位置する。 海保西竹谷遺跡 縄文時代、古墳時代〜中・近世の遺構・遺物が認められた。古墳時代終末期では、方墳に前方部を付け足した前方後方墳や横穴式石室墳と推測される方墳などがあり、古墳の周辺で同時期の竪穴建物が確認された。奈良・平安時代では、台地縁辺を縦走もしくは平坦面を横断する長大な溝がある。近世では、塚の底面に納められた曲物から古寛永を中心とした多量の銭貨、数珠、毛髪が出土した。 海保小谷作遺跡 縄文時代〜中・近世の遺構・遺物が認められた。弥生時代では、後期〜終末期の竪穴建物、古墳時代では、中期および終末期の竪穴建物や円墳・方墳がある。 特に中期の円墳SM005からは陶邑産須恵器が出土しており、高坏は、坏部内面に突帯が認められた。奈良・平安時代では、海保西竹谷遺跡と同様に台地縁辺を縦走する長大な溝がある。 海保大塚遺跡 縄文時代〜奈良・平安時代の遺構・遺物が認められた。縄文時代では、中期初頭の竪穴建物、弥生時代では、後期〜終末期の竪穴建物、古墳時代では、中期・終末期の古墳がある。 奈良・平安時代では、海保西竹谷遺跡・海保小谷作遺跡と同様の長大な溝がある。 |
772 | 160 | 非売 | あり | ||
海保地区遺跡群III | - | 2018 | 国際文化財株式会社調査・報告 海保大塚遺跡第2地点 弥生時代から中世の遺構・遺物が認められた。弥生時代後期〜終末期の竪穴建物跡、古墳時代中期の円墳周溝が検出された。 奈良・平安時代では、海保西竹谷遺跡・海保小谷作遺跡と同様の長大な溝が認められた。中世の火葬遺構も確認された。 |
120 | 25 | 非売 | あり |
書名 | No. | 刊行年 | 内容 | 本文 頁 |
図版 | 価格 | 送料 | 重量(グラム) | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
市原市文化財センター年報 昭和57・58年度 |
1985 | 昭和57・58年度の事業・調査概要。 昭和57・58年度の調査遺跡は、菊間手永遺跡・草刈遺跡・小田部新地遺跡・能満番面台遺跡・上総国府推定地・天神台遺跡・池ノ谷遺跡・福増遺跡・片又木遺跡・石川城郭跡・堰の上遺跡・皿郷田茂遺跡・見立林遺跡・ざ王山遺跡。 |
64 | 0 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 昭和59年度 |
1985 | 昭和59年度の事業・調査概要。 調査遺跡は、能満上細工多遺跡・上大堀遺跡・西山遺跡・村上城跡(上総国府推定地)・花和田遺跡・下ヶ谷台遺跡・椎津中林遺跡・沢遺跡・(大厩)浅間様古墳・永田・不入窯跡・萩ノ原北遺跡・千草山遺跡・山田大宮遺跡・下鈴野遺跡。 |
58 | 0 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 昭和60年度 |
1986 | 昭和60年度の事業・調査概要。 調査遺跡は、御蓙目浅間神社古墳・山田橋表通遺跡・千草山遺跡・烏堀込貝塚・椎津中林遺跡・諏訪台古墳群・根田遺跡・外迎山遺跡・唐沢遺跡・山見塚」遺跡・南冨士台遺跡・下鈴野遺跡・中うりヶ広遺跡・大羽根城郭跡・郡本遺跡・土宇下原遺跡・奉免上原台遺跡。 |
76 | 0 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 昭和61年度 |
1988 | 昭和61年度の事業・調査概要。 調査遺跡は、狩豆柵遺跡・今富大道遺跡・大和田遺跡・皿郷田茂遺跡・諏訪台古墳群・西広貝塚・不入窯跡・奉免上原台遺跡・小草畑棒平遺跡・東国吉川中遺跡・郡本遺跡・白船城跡・千草山遺跡・群谷遺跡・姉崎宮山遺跡・文作遺跡・上大堀遺跡。 |
58 | 0 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 昭和62年度 |
1989 | 昭和62年度の事業・調査概要。 調査遺跡は、白船城跡・祇園原瓦窯跡・潤井戸・天王台遺跡・菊間・向原遺跡・能満・東千草山遺跡・東四辻遺跡・文作遺跡・鯉・鯛遺跡・神門三号墳・諏訪台遺跡・西広貝塚・姉崎・東原遺跡・高坂・棒ヶ谷遺跡・北旭台遺跡・中高根・南名山遺跡、吉野1号墳、南岩崎・吉野遺跡・奉免・上原台遺跡・鶴舞・広小路遺跡・永田瓦窯。 |
75 | 0 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 昭和63年度 |
1994 | 昭和63年度の事業・調査概要。 調査遺跡は、大厩弁天台遺跡・雲ノ境遺跡・大厩細野遺跡・白船城跡遺跡(3次)・白船城跡遺跡(4次)・潤井戸居鞍遺跡・潤井戸天王台遺跡(2次)・潤井戸小谷1号墳・定堀込遺跡・郡本大宮遺跡・能満下小貝塚遺跡・根田(辺田・御林跡)遺跡・史跡上総国分尼寺跡・諏訪台遺跡・小田部向原遺跡・犬成桜の木台遺跡・奈良大仏台遺跡・松ヶ島藏ノ下遺跡・青柳塚群・海保中谷遺跡・柏原遺跡群・六孫王原遺跡(A・B区)・六孫王原遺跡(D区)・新生荻原野遺跡(A区・一本松塚)・大坪永隅遺跡・福増山ノ神遺跡・北旭台遺跡・川在南障子遺跡。 |
109 | 0 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 平成元年度 |
1994 | 平成元年度の事業・調査概要。 調査遺跡は、能満分区遺跡群・中高根南名山遺跡・奈良大仏台遺跡・叶台遺跡・花和田遺跡(第2次調査)・新生荻原野遺跡A区・一本松塚・新生荻原遺跡B・C区(確認調査)・新生荻原野遺跡C区(本調査)・史跡 上総国分尼寺跡・村上遺跡群・山倉天王・堂谷貝塚・能満分区貝塚(付)重要遺跡(貝塚)の測量・確認調査・喜多徒士橋遺跡(1次)・喜多徒士橋遺跡(2次)・姉崎上野合遺跡・潤井戸上横峰遺跡・椎津茶ノ木遺跡・史跡 上総国分寺跡・史跡 上総国分寺跡(薬師堂)・大厩浅間様古墳・道生掘遺跡・青柳塚群。 |
71 | 0 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 平成2年度 |
1990 | 平成2年度の事業・調査概要。 調査遺跡は、能満分区遺跡群(本調査)・待戸遺跡・待戸供養塚(確認調査・本調査)・史跡上総国分寺跡(西辺部)・史跡上総国分寺跡(国分寺薬師堂基壇部)・姉崎東原遺跡B地点(確認調査)・南岩崎多田良遺跡(確認調査)・草刈尾梨遺跡(確認調査)・安久谷向ノ岱遺跡(確認調査・本調査)・山田橋表通遺跡(確認調査)・山木白船城跡(確認調査)・村上遺跡群(確認調査)・大厩浅間様古墳(本調査)・椎津茶ノ木遺跡(本調査)・五所四反田遺跡(確認調査・本調査)・磯ヶ谷竹ノ下遺跡(試掘調査)・上高根南名山遺跡(確認調査・本調査)・六孫王原遺跡(C区・D区)(確認調査・本調査)・佐是城跡(確認調査・本調査)・草刈尾梨遺跡(本調査)・山木白船城跡(本調査)。 |
51 | 0 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 平成3年度 |
1995 | 平成3年度の事業・調査概要。 調査遺跡は、史跡上総国分尼寺跡・山倉前畑遺跡・六孫王原遺跡E区・川在南障子遺跡B地点・土宇下原遺跡・高滝柏野遺跡・安須別府台遺跡・古甲遺跡・能満南大広遺跡(B地区)・山田橋表通遺跡(亥の海道貝塚)・六孫王原遺跡C区・能満分区遺跡群・根田祇園原貝塚・南名山遺跡・喜多仲台遺跡。 |
40 | 0 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 平成4年度 |
1996 | 平成4年度の事業・調査概要。 調査遺跡は、不入斗元居原遺跡(確認調査)・喜多仲台遺跡(本調査)・南名山遺跡(確認調査)・釜神遺跡(確認調査・本調査)・山田橋大塚台遺跡(確認調査)・潤井戸天王台古墳(確認調査)・姉崎東原遺跡D地点(確認調査)・江古田送り神塚(確認調査・本調査)・大厩鍛冶屋前台遺跡(確認調査)・原太稲荷塚・郡本遺跡群古甲遺跡(上総国府推定地確認調査)・安須1・2号墳(本調査)・姉崎東原遺跡B地点(本調査)・不入斗大宮遺跡(確認調査)・能満上小貝塚遺跡(確認調査・本調査)・勝間上座頭橋遺跡(確認調査)・村上白山遺跡(確認調査・本調査)・宮原堂谷遺跡(確認調査)・宮原布谷台貝塚(確認調査)・分目要害遺跡(確認調査)・山木深堀遺跡(確認調査)。 |
71 | 0 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 平成5年度 |
1997 | 平成5年度の事業・調査概要。 調査遺跡は、村上遺跡群・椎津坂ノ上遺跡・中伊沢遺跡・分目要害遺跡・山田橋大塚台遺跡・釜神遺跡・神崎東官台遺跡・高倉溝谷遺跡・月崎寺の台遺跡・菊間深道遺跡・古甲遺跡(地中レーダー探査)・新生荻原野遺跡A区・土宇下原遺跡B地点・姉崎東原遺跡C地点。 |
57 | 0 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 平成6年度 |
1997 | 平成6年度の事業・調査概要。 調査遺跡は、山田橋大山台遺跡・村上川堀遺跡・喜多仲台遺跡・大厩新田前遺跡・椎津尾崎遺跡・郡本遺跡群(古甲遺跡第3次)・西国吉新林遺跡・姉崎六孫王原遺跡F区・菊間深道遺跡B地点・福増大清水遺跡・新生荻原野遺跡A・B・C区・月崎寺の台遺跡・郡本遺跡・東国吉大門遺跡・高倉ママダ上遺跡・姉崎六孫王原遺跡F区・浅井小向後谷遺跡・東国吉寺谷遺跡。 |
56 | 0 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 平成7年度 |
1998 | 平成7年度の事業・調査概要。 調査遺跡は、浅井小向後谷遺跡(2次)・白塚出戸遺跡・村上川堀遺跡・天羽田稲荷山遺跡・八幡御墓堂遺跡・椎津坂ノ上遺跡・山田橋大山台遺跡・潤井戸中横峰遺跡・姉崎妙経寺遺跡・潤井戸内野遺跡・鶴舞子来遺跡・上高根大作遺跡・南岩崎仲山遺跡・八幡市原条里制遺跡・永吉鬼子母神遺跡・中野寺沢台遺跡・永吉金原遺跡・永吉松ノ木台遺跡・西野下田遺跡・郡本遺跡群(古甲遺跡第4次)。 |
59 | 0 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 平成8年度 |
2000 | 平成8年度の事業・調査概要。 調査遺跡は、潤井戸鎌之助遺跡・山田橋大山台遺跡・八幡御墓堂遺跡・姉崎妙経寺遺跡2次調査・潤井戸中横峰遺跡(2次)・姉崎棗塚遺跡・山田橋亥の海道遺跡・立野中伊沢遺跡・五井神取遺跡・郡本遺跡群(古甲遺跡第5次)・畑木小谷遺跡・市原条里制遺跡・菊間手永遺跡・下矢田遺跡・二日市場遺跡・中野向山遺跡・東国吉下台遺跡・永吉花ノ台遺跡・椎津大ッ作遺跡・椎津五霊台遺跡・海保野口遺跡。 椎津大ッ作遺跡については報告書を兼ねる。 |
90 | 5 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 平成9年度 |
2000 | 平成9年度の事業・調査概要。 調査遺跡は、姉崎妙経寺遺跡(3次)本調査・姉崎棗塚遺跡(2次)確認・本調査・潤井戸天王台古墳群確認本調査・市原条里制遺跡(菊間徳万地区A)確認本調査・瀬又小滝遺跡確認本調査・村上川堀遺跡(2次)確認・本調査・村上川堀遺跡(3次)確認・本調査・山田橋大山台遺跡本調査・不入斗百枚田遺跡確認本調査・潤井戸鎌之助遺跡本調査・十五沢坊ヶ谷遺跡(A地点)確認本調査・郡本遺跡(3次)確認・本調査・草刈谷畑遺跡確認調査・郡本遺跡(4次)確認・本調査・中高根南名山遺跡(7地点)確認・本調査・市原条里制遺跡(八幡砂田地区)確認・本調査・永吉松ノ木台遺跡確認調査・永吉金原遺跡確認調査・中野鹿ノ原遺跡確認調査・市原城郭跡本調査・畑木小谷遺跡本調査・西国吉遺跡本調査。 西野下田遺跡については報告書を兼ねる。 |
98 | 15 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 平成10年度 |
2001 | 平成10年度の事業・調査概要。 調査遺跡は、八幡御墓堂遺跡・姉崎妙経寺遺跡(4次調査)・潤井戸中横峰遺跡(第3次)・椎津中台遺跡・椎津堰谷遺跡(第1地点・第2地点)・姉崎山新遺跡(第1地点)・山田橋大山台遺跡(2次)・潤井戸鎌之助遺跡・潤井戸鎌之助遺跡(第2次)・野毛上境町遺跡・郡本遺跡(第5次)・五所居下遺跡・新堀小鳥向遺跡・十五沢坊ヶ谷遺跡A地点(第2次)・十五沢坊ヶ谷遺跡B地点・十五沢坊ヶ谷遺跡C地点・宮原遺跡A・B地点・西野遺跡A地点・大作脇ノ坂遺跡・椎津茶ノ木遺跡(第2次)・市原条里制遺跡・鶴舞遺跡・鶴舞子来遺跡・不入斗片又木遺跡・北野原遺跡。 野毛上境町遺跡・鶴舞遺跡・鶴舞子来遺跡については報告書を兼ねる。 |
85 | 2 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 平成11年度 |
2002 | 平成11年度の事業・調査概要。 調査遺跡は、不入斗片又木遺跡・稲荷台遺跡・喜多仲台遺跡・潤井戸潤ヶ台遺跡・新堀小鳥向遺跡・廿五里遺跡・今富遺跡A地点・十五沢坊ヶ谷遺跡B地点・十五沢坊ヶ谷遺跡D地点・宮原遺跡C地点・宮原遺跡D地点・花やしき塚供養塚・高坂棒ヶ谷遺跡(第2次・第3次)・草刈遺跡・白塚台遺跡・加茂遺跡(D地点)・姉崎東原遺跡C地点・福増遺跡群大清水遺跡(確認調査)・福増遺跡群大清水遺跡(本調査)・八幡御墓堂遺跡(本調査)・八幡御墓堂遺跡(確認調査)・市原条里制遺跡菊間徳万地区B・姉崎妙経寺遺跡(第5次)・南岩崎遺跡・姉崎山新遺跡(第2地点)・押沼遺跡・葉木遺跡・能満城跡遺跡・椎津堰谷遺跡・椎津中台遺跡。 潤井戸潤ヶ台遺跡・葉木遺跡については報告書を兼ねる。 |
96 | 4 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 平成12年度 |
2003 | 平成12年度の事業・調査概要。 調査遺跡は、八幡御墓堂遺跡・白塚台遺跡・市原条里制遺跡(菊間徳万地区C)・不入斗遺跡群(片又木遺跡3・4次)・能満城跡遺跡・新堀小鳥向遺跡(第2地点)・椎津正坊山城跡・能満遺跡群(二階台地点)・今富遺跡群立野前地点・十五沢遺跡群E地点・十五沢遺跡F地点・西野遺跡群B地点(確認調査)・西野遺跡群B地点(本調査)・加茂遺跡D地点・喜多中台遺跡・新堀小鳥向遺跡(第3地点)・福増遺跡・姉崎妙経寺遺跡。 |
34 | 0 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 平成13・14年度 |
2004 | 平成13・14年度の事業・調査概要。 平成13年度の調査遺跡は、八幡御墓堂遺跡・片又木遺跡・小鳥向遺跡・姉崎妙経寺遺跡(第7次)・郡本遺跡・姉崎山新遺跡(第3地点)・能満城跡遺跡・南岩崎遺跡1次・2次・西野遺跡群D地点・市原条里制遺跡・西野遺跡群B地点・西野遺跡群C地点・奈良大仏台遺跡・南岩崎遺跡・八幡陣屋跡・柏原遺跡群・古甲遺跡(第6次)・西野遺跡群B地点・西野遺跡群C地点・畑木小谷遺跡・椎津新林遺跡・細山遺跡。 平成14年度の調査遺跡は、能満城跡遺跡・南岩崎遺跡(3次調査)・西野遺跡群B地点・八幡御墓堂遺跡・西野遺跡群D地点・稲荷台遺跡・姉崎山新遺跡(第3地点)・菊間遺跡群(袖ヶ台地区)・菊間遺跡群・東関山古墳。 |
57 | 0 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 平成15・16年度 |
2005 | 平成15・16年度の事業・調査概要。 平成15年度の調査遺跡は、姉崎山新遺跡(第3地点)・西野遺跡D地点・南岩崎遺跡・市原条里制遺跡・八幡御墓堂遺跡・史跡上総国分寺跡・潤井戸西山遺跡C地点・姉崎山新遺跡・潤井戸遺跡群下宿地区・潤井戸西山遺跡・東関山古墳。 平成16年度の調査遺跡は、能満城跡遺跡・松崎中里遺跡・仲山遺跡・市原条里制遺跡蛇崎八石地区・潤井戸西山遺跡D地点・不入遺跡・潤井戸西山遺跡・姉崎山新遺跡・江古田遺跡・郡本遺跡。 |
36 | 0 | 非売 | あり | |||
市原市文化財センター年報 平成17年度 |
2006 | 平成17年度の事業・調査概要(一部平成16年度の調査概要含む)。 平成16年度の調査遺跡は、能満遺跡群地楽寺地区(本調査)・山小川遺跡(確認調査)・能満城跡遺跡(本調査)。 平成17年度の調査遺跡は、草刈狐塚遺跡(確認調査)・稲荷台遺跡K地点(確認調査)・海士遺跡群十二天地区(確認調査)・姉崎棗塚遺跡(3次)(確認・本調査)・辰巳台遺跡群辰巳原地区(確認調査)・姉崎二子塚古墳(確認調査)・山田遺跡群(確認調査)。 |
56 | 0 | 非売 | あり |
書名 | No. | 刊行年 | 内容 | 本文頁 | 図版 | 価格 | 送料 | 重量(グラム) | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
昭和62年度 市原市埋蔵文化財緊急調査報告書 |
1 | 1988 | 菊間向原遺跡 確認・本調査 縄文早期炉穴・縄文中期竪穴住居跡・奈良平安時代方形周構状遺構 鶴舞広小路遺跡 確認・本調査 粘土採掘跡? 吉野1号墳・南岩崎吉野遺跡 本調査 古墳前期方墳周溝・吉野1号墳埴輪(円筒・不明形象) 北旭台遺跡 確認調査 縄文早期竪穴住居跡・弥生後期竪穴・円墳周溝 |
46 | 12 | 非売 | あり | ||
昭和63年度 市原市内遺跡群発掘調査報告 |
2 | 1989 | 福増山ノ神遺跡 確認調査 縄文早期炉穴・古墳後期竪穴住居跡・古代方形周構状遺構 小田部向原遺跡 確認・本調査 小田部墳丘墓周溝・弥生後期竪穴住居跡・古墳前期竪穴住居跡・古墳後期竪穴住居跡 白船城跡遺跡 確認調査 主郭・帯郭・腰郭・カワラケ・陶磁器 定堀込遺跡 確認調査 奈良時代方形周構状遺構 |
43 | 8 | 非売 | あり | ||
平成元年度 市原市内遺跡群発掘調査報告 |
3 | 1990 | 潤井戸上横峰遺跡 確認調査 古墳・周溝墓・竪穴住居跡・弥生後期土器・土師器 椎津茶ノ木遺跡 確認調査 古墳周溝・貝ブロック・弥生〜奈良平安時代竪穴住居跡多数 姉崎上野合遺跡 確認・本調査 縄文後期土器・円墳周溝・円筒埴輪片・古墳中期竪穴住居跡 喜多徒士橋遺跡 確認調査 古墳後期以降竪穴住居跡・江戸時代以前溝跡 |
37 | 9 | 非売 | あり | ||
平成2年度 市原市内遺跡群発掘調査報告 |
4 | 1991 | 姉崎東原遺跡B地点 確認調査 古墳周溝・弥生〜古墳竪穴住居跡 南岩崎多田良遺跡 確認調査 弥生後期竪穴住居跡 草刈尾梨遺跡 確認調査 弥生中期竪穴住居跡・古墳中期竪穴住居跡 安久谷向ノ岱遺跡 確認・本調査 縄文土坑・縄文前期土器・弥生中期方形周溝墓 山田橋表通遺跡 確認調査 縄文中期〜後期包含層・貝層 山木白船城跡遺跡 確認調査 階段状造成面・堀状遺構・陶磁器 |
39 | 9 | 非売 | あり | ||
平成3年度 市原市内遺跡発掘調査報告 |
5 | 1992 | 山倉前畑遺跡 確認・本調査 古墳後期竪穴住居跡 川在南障子遺跡B地点 確認・本調査 縄文中期中葉〜後期後葉の縄文集落(竪穴住居跡・小竪穴) 土器多数 六孫王原遺跡E地区 確認調査 弥生〜古墳時代集落跡 |
31 | 6 | 非売 | あり | ||
平成4年度 市原市内遺跡発掘調査報告 |
6 | 1993 | 姉崎東原遺跡D地点 確認・本調査 弥生中期竪穴住居跡 江子田送り神塚 確認・本調査 近世塚 カワラケ多数 大厩鍛冶屋前台遺跡 確認調査 弥生〜古墳時代集落跡(前期主体) |
24 | 7 | 非売 | あり | ||
平成5年度 市原市内遺跡発掘調査報告 |
7 | 1994 | 東官台遺跡 確認調査 弥生後期竪穴住居跡 溝谷遺跡 確認調査 縄文早期土器・カワラケ 月崎寺の台遺跡 確認調査 縄文中期土坑・縄文中期土器 菊間深道遺跡 確認調査 弥生中期V字溝(環濠)・弥生中期・後期・終末期竪穴住居跡・東関山古墳周溝 |
24 | 5 | 非売 | あり | ||
平成6年度 市原市内遺跡発掘調査報告 |
8 | 1995 | 西国吉新林遺跡 確認・本調査 円墳(吉野63号墳 木棺直葬)・鉄鏃・須恵器・土師器 姉崎六孫王原遺跡F区 確認調査 縄文早期炉穴・弥生中〜後期方形周溝墓・六孫王原古墳周溝 菊間深道遺跡B地点 確認調査 弥生竪穴住居跡・古墳竪穴住居跡・平安竪穴住居跡・石製模造品・土製勾玉 |
16 | 6 | 非売 | あり | ||
平成7年度 市原市内遺跡発掘調査報告 |
9 | 1996 | 潤井戸内野遺跡 確認調査 縄文中期・戦争遺跡(塹壕・対空放火陣地) 鶴舞子来遺跡 確認調査 縄文中期〜後期集落跡 上高根大作遺跡 確認調査 縄文中期集落跡 西野下田遺跡 確認調査 古墳終末期土師器・須恵器 南岩崎仲山遺跡 確認調査 縄文陥し穴・中世溝状遺構 |
19 | 4 | 非売 | あり | ||
平成8年度 市原市内遺跡発掘調査報告 |
10 | 1997 | 市原条里制遺跡 確認調査 北宋銭・志野焼丸皿・土師器・中近世土器 椎津五霊台遺跡 確認調査 古墳前期竪穴住居跡・円墳周溝・土師器 菊間手永遺跡 確認調査・本調査 弥生中期竪穴住居跡・中世台地整形区画・地下式坑・円筒埴輪・カワラケ・中世土器 下矢田城跡 確認調査 平安前期土師器・須恵器 二日市場遺跡 確認調査 奈良平安時代溝・整地跡 |
19 | 4 | 非売 | あり | ||
平成9年度 市原市内遺跡発掘調査報告 |
11 | 1998 | 郡本遺跡(第3次) 確認調査・本調査 奈良平安時代竪穴住居跡・溝・奈良平安時代土師器・須恵器・土錘 草刈谷畑遺跡 確認調査 弥生後期〜古墳前期竪穴住居跡・古墳中期円墳周溝・弥生土器・土師器・勾玉 郡本遺跡(第4次) 確認調査 弥生後期竪穴住居跡・奈良平安時代竪穴住居跡・弥生土器・奈良平安時代土師器・須恵器 中高根南名山遺跡 確認調査 旧石器集中地点・ナイフ形石器・剥片・縄文早期竪穴住居跡・縄文土器 市原条里制遺跡(八幡砂田地区) 確認調査・本調査 奈良平安時代水田・奈良平安時代須恵器・瓦・北宋銭 |
20 | 9 | 非売 | あり | ||
平成10年度 市原市内遺跡発掘調査報告 |
12 | 1999 | 畑木小谷遺跡 本調査 縄文早期炉穴・陥し穴・弥生後期〜古墳中期竪穴住居跡・古墳中期〜後期円墳周溝・ウマ埋葬土坑・木棺直葬墓・縄文土器・石器・弥生土器・土師器・須恵器・ガラス玉・琥珀棗玉・耳環・銅釧 郡本遺跡(第5次) 本調査 弥生後期〜奈良平安時代竪穴住居跡・弥生土器・奈良平安時代土師器・須恵器・灰釉陶器・鉄鏃・墨書土器・カワラケ 五所居下遺跡 確認調査 土師器・土錘 新堀小鳥向遺跡 確認調査 古墳前期方形周溝墓・古墳後期竪穴住居跡・平安時代竪穴住居跡・粘土採掘坑・縄文土器・弥生土器・平安時代土師器 |
66 | 14 | 非売 | あり | ||
平成11年度 市原市内遺跡発掘調査報告 |
13 | 2000 | 稲荷台遺跡 本調査 縄文前期土坑・弥生後期竪穴住居跡・古墳後期円墳周溝・奈良平安時代竪穴住居跡・掘立柱建物跡・縄文土器・弥生土器・土師器・須恵器・灰釉陶器・緑釉陶器・布目瓦・墨書土器・鑷子・火打金・刀子・馬歯 喜多仲台遺跡 縄文中期竪穴住居跡・平安時代竪穴住居跡・掘立柱建物跡・縄文土器・土師器・須恵器 |
21 | 4 | 非売 | あり | ||
平成12年度 市原市内遺跡発掘調査報告 |
14 | 2001 | 椎津正坊山城跡 中世土坑・ピット・陶磁器・土師器・埴輪 能満遺跡群 弥生後期竪穴住居跡・古墳終末期竪穴住居跡・中世溝跡・弥生土器・土師器・須恵器・土製紡錘車・陶磁器 今富遺跡群 中世溝・近世井戸跡・石塔・陶磁器 |
17 | 7 | 非売 | あり | ||
平成13年度 市原市内遺跡発掘調査報告 |
15 | 2002 | 奈良大仏台遺跡 縄文時代土坑 南岩崎遺跡 古墳前期竪穴住居跡・古墳後期円墳・土師器・須恵器 八幡陣屋跡 近世以降礎石建建物跡・中近世陶磁器・土製品・銭貨 柏原遺跡群 近世土坑・溝・須恵器・カワラケ・土錘 |
18 | 7 | 非売 | あり | ||
平成14年度 市原市内遺跡発掘調査報告 |
16 | 2003 | 椎津新林遺跡 縄文早期・前期土坑・縄文土器・土師器 稲荷台遺跡 平安時代道路跡・溝・竪穴建物跡・土坑・中世溝跡・平安時代土師器・須恵器・灰釉陶器・緑釉陶器・瓦・鉄製品・中世陶磁器・カワラケ・獣骨 |
30 | 11 | 非売 | あり | ||
平成15年度 市原市内遺跡発掘調査報告 |
17 | 2004 | 姉崎山新遺跡 中世溝・縄文土器・土師器・須恵器・中世陶器・カワラケ 潤井戸遺跡群下宿地区 縄文土器・土師器・円筒埴輪 潤井戸西山(草刈尾梨)遺跡 弥生中期V字溝(環濠)・古墳後期溝・竪穴住居跡・弥生土器・土師器・須恵器・石製模造品 東関山古墳 東関山古墳周溝・中世溝・地下式坑・弥生土器・土師器・須恵器・石製模造品・カワラケ |
28 | 6 | 非売 | あり |
書名 | No. | 刊行年 | 内容 | 本文頁 | 図版 | 価格 | 送料 | 重量(グラム) | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
史跡上総国分寺跡発掘調査報告書 | 2004 | 2004年 国分寺庫裏建替えに伴う発掘調査。上総国分寺跡講堂推定地の西隣接地を調査したが、主要な建物は検出されなかった。古代のカマド付きの竪穴建物跡や溝跡などが検出され、溝跡からは瓦が出土した。 |
11 | 3 | 非売 | あり |
書名 | No. | 刊行年 | 内容 | 本文頁 | 図版 | 価格 | 送料 | 重量(グラム) | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
研究紀要I | 1 | 1987 | 近藤敏「市原市の先土器時代 -地形・地質を中心として-」 高橋康男「草刈、大和田、永田・不入 -市原市における土器研究をめぐる諸問題-」 木對和紀「房総における-方形(円形)区画改葬墓の提唱-」 田中清美「千草山遺跡の再検討」 |
107 | - | 非売 | あり | ||
研究紀要II | 2 | 1993 | 近藤敏「房総半島の新期火山灰の降下について -富士火山東方地域のテフラ標準柱状図との比較と検証」-」 忍澤成視「縄文時代後・晩期の装飾観念 -市原市西広貝塚出土の骨角貝製装身具を中心として-」 米田耕之助「縄文時代動物意匠論序説」 近藤敏「市原市内出土の非在地系土器 -縄文時代後期を中心として 資料紹介-」 田中清美「唐崎台遺跡の竪穴住居跡等の編年試案」 浅利幸一「土器に描かれた船 -弥生〜古墳出現期を中心として-」 大村直「ムラの廃絶・断絶・継続」 木對和紀「竪穴住居の耐久年数からみた房総における古墳時代須恵器の出現と終焉 -椎津茶ノ木遺跡を中心として-」 田中茂良「竈構造に関しての一考察」 高橋康男「器の大きさ -外容積からみた奈良・平安時代の土器-」 田所真「孟地遺跡の坏」 半田堅三「地下式壙再考 -市原市台遺跡中世遺構の分析-」 鈴木英啓「付編 私の考古学日記」 |
437 | - | 2000 | 560 | 1200 | あり |
研究紀要III | 3 | 1995 | 近藤敏「テフラの観察について -その方向性と視点・論点-」 小川浩一「五所四反田遺跡検出の木製農耕具について」 田所真「上総の「造寺司」 -坊作遺跡出土の墨書土器を中心に-」 田中清美「謎の千草山廃寺(予察)」 櫻井敦史「八幡・五所地域の中世石造物」 |
101 | - | 500 | 300 | 300 | あり |
研究紀要IV | 4 | 2003 | 近藤敏「姉崎台出土の石器について -資料紹介-」 近藤敏・高橋康男「菊間手永遺跡出土遺物補遺」 鶴岡英一「関東地方におけるスッポンの利用 -その開始時期と普及の要因をめぐって-」 小川浩一「五所四反田遺跡出土の「スリット入り」鍬について」 北見一弘「刀子小考I」 田中清美「謎の千草山廃寺II -千草山寺の建っていた頃-」 櫻井敦史「県内における中世村落の発展について -百姓居宅の区画から-」 近藤敏「小湊鉄道研究小史」 小橋健司「遷移と再生産」 |
123 | - | 1000 | 350 | 500 | あり |
研究紀要V | 5 | 2005 | 近藤敏「市原市市原条里制遺跡(蛇崎八石地区)のテフラ分析」 上杉陽「市原市市原条里制遺跡蛇崎八石地区で検出されたテフラ試料の層位について」 忍澤成視「ベンケイガイ製貝輪に学ぶ−体験学習としての「貝輪づくり」−」 忍澤成視「資料紹介:諸久蔵貝塚採集の貝輪」 鶴岡英一「西広貝塚出土の骨角貝製品について−昭和23年調査出土資料の紹介−」 大村直・小橋健司「GISと遺跡情報管理−市原市域における弥生時代から古墳時代中期の遺跡群−」 櫻井敦史「市原八幡宮と中世八幡の都市形成−文献・考古・石造物史料から−」 忍澤成視「資料紹介:祇園原貝塚出土の「泥めんこ」」 |
144 | - | 1000 | 350 | 550 | あり |
研究紀要VI | 6 | 2006 | 小橋健司「姉崎棗塚遺跡出土中世人骨の鑑定と分析について」 松村博文・中村恵美・鈴木隆雄・三谷圭「姉崎棗塚遺跡出土の中世人骨について」 加藤久雄「棗塚遺跡出土人骨における歯冠形態と計測値からみたその血縁関係の推定」 田中清美「市原城郭跡出土の人骨について」 加藤久雄・宮口浩徳・松村博文「市原城郭跡出土の中近世人骨」 加藤久雄「歯冠計測値からみた市原城郭跡出土人骨の血縁関係の推定」 近藤敏「続 小湊鉄道研究小史」 |
84 | - | 1000 | 300 | 360 | あり |
書名 | No. | 刊行年 | 内容 | 本文 頁 |
図版 | 価格 | 送料 | 重量(g) | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
史跡 上総国分寺跡 | 1 | 1986 | 上総国分僧尼寺跡の発掘調査成果にもとづき写真や図を豊富に使い分かりやすく解説。 | 33 | - | 残部なし | 180 | 110 | 電子ブック |
縄文時代の生活 | 2 | 1987 | 縄文時代の人々の生活について、市原市内にある遺跡・遺物をとおして分かりやすく紹介。 | 33 | - | 400 | 180 | 110 | 電子ブック |
書名 | No. | 刊行年 | 内容 | 本文頁 | 図版 | 価格 | 送料 | 重量(グラム) | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
発掘ってなあに第1号 住居篇 | 1 | 2001 | 遺跡で出会うことの多い住居跡を取り上げ、その発掘方法から整理作業にいたる手順をイラストでわかりやすく解説しています(特別号として再編)。 | 16 | - | 50 | 140 | 80 | |
発掘ってなあに第2号 貝塚篇 | 2 | 2002 | 貝塚の発掘から整理作業までをイラストでわかりやすく解説しながらその秘密にせまります。付録「なるみちゃんの便利手帳」をめくればあなたも貝塚博士?。 | 20 | - | 50 | 140 | 95 | あり |
発掘ってなあに第2号別冊 なるみちゃんの貝輪教室 |
2別 | 2001 | 縄文時代のアクセサリー”貝輪”をなるみちゃんが作ります。 みなさんもぜひチャレンジしてね!。 →2006年あらたな発見が!特別号と『貝アクセサリーづくり教室』を見てね。 |
12 | - | 残部なし | 140 | 95 | あり |
発掘ってなあに第3号 縄文土器篇 |
3 | 2003 | 縄文土器の歴史と特長について、市原市内の出土例を中心にイラストでわかりやすく解説しました。付録「なるみちゃんの便利手帳」は土器文様の宝箱! | 26 | - | 50 | 180 | 112 | あり |
発掘ってなあに第3号別冊 なるみちゃんの土器作り教室 |
3別 | 2004 | 縄文時代、最高のテクノロジーだった「土器」を、なるみ・さとしの名コンビが作ります。土器作りの大まかな工程はこれでバッチリ!ぜひ読んで下さい。あとは読者の皆さんが、それぞれ工夫をこらしてみては。 | 22 | - | 50 | 180 | 100 | あり |
発掘ってなあに第4号 弥生土器篇 |
4 | 2005 | 弥生土器の流れを、おなじみ、さとし・なるみコンビが追いかけます。探求の旅の終わりに明かされる真実とは?(大げさ) なにかと話題の炭素年代測定法などコラムも充実! めざせ、弥生博士! |
28 | - | 50 | 180 | 128 | あり |
発掘ってなあに特別号 発掘のしごと篇 |
5 | 2006 | 「そもそも、どうして発掘調査するの?実際の作業はどうやってやるの?」 そんな声にお応えする1冊!フルカラーでさとしが叫び、なるみが吼えます。 財団はなくなってしまいましたが、さとしとなるみは永久に不滅です…。 |
20 | - | 100 | 180 | 100 | あり |
書名 | No. | 刊行年 | 内容 | 本文頁 | 図版 | 価格 | 送料 | 重量(グラム) | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
第1回市原市遺跡発表会 | 1 | 2006 | 第1回市原市遺跡発表会の発表要旨。テーマは弥生終末期の外来系土器。 | 16 | - | 非売 | − | − | あり |
いちはら文化財ガイド | − | 2006 | 市原市の指定文化財を旅する1冊。貴重な歴史遺産や民俗、自然などが目白押し。豪華フルカラーで携帯にも便利なサイズです。 | 63 | - | 470 | 180 | 135 | 電子ブック |
発掘いちはらの遺跡 弥生環濠集落 |
1 | 2007 | 市原市内で弥生中期に出現し短期間のうちに消滅した「環濠集落」群のなぞに迫ります。 環濠集落群が消えた後には後期のムラが爆発的に広がります。この頃、いったい何が起きていたのでしょうか。 各環濠集落の情報や、ムラで使われた道具の解説もあります。フルカラー・中綴じ。 |
20 | - | 100 | 180 | 100 | 電子ブック |
発掘いちはらの遺跡 市原の大貝塚 |
2 | 2008 | 大規模な貝塚が多い市原。とくに、西広貝塚は分厚い斜面貝層・多量の土偶の出土など、その名前は古くから全国的にも有名です。最初の発掘調査から35年、貝塚の大部分を調査し、その後10年にわたる整理作業によって、何がみつかり何がわかったか。縄文の大貝塚にメスを入れます。この他、市内の主要貝塚についても網羅した、市原の貝塚の全てがわかる便利なガイドブックです。 | 32 | - | 160 | 215 | 165 | 電子ブック |
発掘いちはらの遺跡 よみがえる天平の甍 |
3 | 2010 | 上総国分僧寺跡の発掘調査では、伽藍外周に広がる寺院地の存在や、国師・講師院、政所院を含む付属施設など、全国初の重要な発見が相次ぎました。また、その後の研究や整理作業の進展により、寺の誕生から衰退までの流れも、少しづつ明かになってきています。これらの成果を一冊にまとめた、待望の普及冊子です。 巻末にはおなじみの漫画を掲載し、本号の内容を分かりやすく読めるようになっています。 |
32 | - | 130 | 215 | 170 | 電子ブック |
発掘いちはらの遺跡 市原の王陵 姉崎古墳群 |
4 | 2011 | 古墳時代の基礎知識を確認しながら、邪馬台国的な墳形が注目される神門古墳群をはじめ、大規模な前方後円墳が密集する姉崎古墳群の全貌、出土品としては最古の銘文鉄剣である「王賜」銘鉄剣、埼玉県生出塚遺跡で生産され、はるばる市原まで運ばれた山倉1号墳の埴輪など、盛りだくさんの資料を豊富な写真を加え解説しています。 巻末にはおなじみの考古学ルポまんが『発掘ってなあに』もついています。 |
32 | - | 140 | 215 | 170 | 電子ブック |
体験 埋文講座No.1 貝アクセサリーづくり教室 |
1 | 2012 | 市原名物貝輪づくりの体験講座のテキストです。縄文人と同じ材料、同じ方法で貝のアクセサリーをつくってみませんか? 最新の研究成果を紹介しつつ、貝輪からなにがわかるのか、考古学の入門書としても使えるよう情報を満載した1冊。A5版の全編フルカラー、おなじみのさとしとなるみがナビゲートします。 |
36 | - | 80 | 140 | 83 | 電子ブック |
第4回遺跡発表会 |
− | 2016 | 第4回遺跡発表会の発表要旨。テーマは弥生時代から古墳時代への転換期、「邪馬台国時代」について。市原に現れた外来系土器や前方後円墳のさきがけに注目します。 | 16 | - | 150 | 180 | 105 | あり |
この記事に関するお問い合わせ先
市原市埋蔵文化財調査センター
〒290-0011 千葉県市原市能満1489番地
電話:0436-41-9000
ファックス:0436-42-0133
メール:bunkazai-center@city.ichihara.lg.jp
休所日:土曜日・日曜日・祝日
更新日:2022年04月18日